第24話

 所有者の手を離れた楽器は宙を飛んで最高点へと舞い上がる。何度も回転を繰り返しながらクリスの手元へと戻ってきた。


 クリスは唇を結び、目を閉じて聴覚に全てを託す。


「貴様は何をするつもりだ?」


 意味不明な演奏家の挙動に、なぜかエクエスにも戸惑いが生まれる。だが、その隙を狙う余力はイーサンには無さそうだ。


 クリスは瞼を開くことなく、一心同体の竪琴へと語りかける。


「さあ、始めようか」


 男性とは思えないほど、細くて長い繊細な指で、一音違うことすらなく弦を弾いていく。


 まるで音楽の神が宿ったような演奏の極致がそこにあった。


「すごい……」


 ミーアは息を呑んでその光景を見守る。


 平和を体現したかのような時間を破壊したのは、死者の叫び声だった。


「なんだ……力が……抜けてゆく……!」


 糸を切られた人形のようにエクエスの身体がバランスを崩していく。膝を地面につき、槍を地面に刺すことで、ようやく姿勢を持ち直した。


 睨むような、警戒の色を込めた視線がクリスへと向けられた。


「貴様、何をした」


「アンデットはこの世ならざる存在だ。ならば、神を讃える讃美歌なんてキミたちには猛毒だろう?」


「今すぐ止めろ!」


「残念だが、それはできない相談だね」


 エクエスは力が戻らない手で馬上槍を一直線に投げる。クリスはマントを翻しながら優雅にそれを回避した。


 エクエスは忌々しそうにクリスを睨みつけるが、視線で人を殺せるはずもない。演奏家の前に、死せる騎士は無力だった。


 ミーアがあたりを見回すと、エクエスだけでなく、背後で待機していたスケルトンたちももがき苦しみながら昇天している。このまま全滅するのも時間の問題だろう。


 クリスは演奏の手をいったん止めて激しいリズムで音色を奏でる。


「もう一度立ち上がるんだ、ボクたちの英雄よ」


 赤く色づいたオーラがイーサンの周辺に生まれた。イーサンの身体に刻まれた傷が見る見るうちに癒えたかと思うと、彼の目にもう一度活力を与えた。


 半ば飛び起きるように立ち上がり、隣に落ちていた大剣を握り直す。


「感謝する、クリス」


「礼は結構だから、早くこの騎士を倒して欲しい」


「もちろん。今すぐにでもな!」


 ミーアの見る限り、イーサンが優勢になったように思える。


 現に敵は膝を着いたままだが、イーサンは猛獣の如くエクエスへと飛び掛かっていく。


 力を奪われてしまってはエクエスに成す術はない。


「……仕方ない」


 動くことを諦めたエクエスは、懐から何かを取り出す。


 ミーアが目を凝らしてみるとそれは鋭利なナイフだった。


 イーサンではなく、なぜかクリスの方を向いてエクエスは投擲する。


 クリスは真横に飛んで余裕をもって回避しようとする。


 だが、その目が大きく見開かれた。


「まったく、騎士がナイフとは想定外だった。やられたよ」


 ナイフはクリスを狙った訳ではなかった。ナイフの軌道上にあったのは、彼の手元にあった竪琴だったのだ。


 一瞬だけ高い音を立て、千切れた弦が上下に分かたれる。一本の弦でも抜けてしまえば完璧な演奏など出来ない。


 讃美歌を無効化したことで、エクエスは再び力を取り戻す。重装とは思えないほどの動きでイーサンの大剣を回避すると、投げた馬上槍を再び手に入れた。


 迷いのない橋捌きでクリスに急接近。そのまま彼の横腹を槍で貫き通した。


「クリスさん!」


 鋭い痛みに、クリスは声を出すことすらままらない。大量の血を地面にこぼした。


 エクエスは冷静なまま目の前の敵に言葉を掛ける。


「騎士に相応しくない飛び道具を使ったことは謝罪しよう。貴様の演奏は尊敬に値する」


「褒められるのは嬉しいのだけれど……今ではないかな。ボクもキミの騎士としての矜持を讃えよう」


「光栄だ」


 殺している者と、殺されている者とは思えないやりとりを終えて、クリスは力なく地面に倒れ伏した。


 脇腹から流れる血は止まる気配を見せない。血に咲いた紅の華の上にクリスは横たわる。


 ミーアは我を忘れて彼の下に駆け寄った。


「クリスさん! しっかりしてください!」


「……ボクはもうだめかもしれない。イーサンのことは……任せた……よ」


 ミーアの細い腕の中で、クリスはさらに細い呼吸を繰り返す。辛うじて息が残っているが、こと切れるのは時間の問題だろう。


 悲しみに暮れるミーアの傍に、死の騎士が近づく音がする。


「貴様に戦う意志が無いのなら、今すぐここから立ち去るがいい」


 ミーアは何も言えなかった。


 腕の中で死にゆくクリスに理解を奪われ、世界がセピア色に染まっていく。


 鎧のすれる音が聞こえる。


「ミーア、避けろ!」


 顔を上げて、自分が殺されかけていることに気付くのが遅かった。


 空気の一点を貫くように、槍はブレることなくミーアの脳天を刺突しようとする。今すぐ動き出しても狙いが外れて苦しむだけだ。


 思考が、理解が追い付かないままに、ミーアの命をエクエスは刈り取ろうとする。


「ミーアだけには手出しさせねぇ!」


「――さすがだな」


 槍がミーアに当たる寸前、人間の速度を超えた脚力でイーサンが二人の間に割り込んできた。


 大剣を下から上へと大きく振り上げ、槍の根元を叩きつける。破壊の塊と化した大剣の一撃は、エクエスの槍を真っ二つにした。


 エクエスは手元に残った柄をじっと眺める。そして、気が狂ったとしか思えない声で、高らかに笑い声を響かせた。


「まさか、魔帝から頂いたこの槍を折る人間が居ようとは! イーサンといったか。貴様、人間のままで魔物側に就く気はないか? 貴様なら魔帝に気に入られるだろう」


「生憎だがお断りだ。俺は自由主義の人間だから、魔帝の言うことなんて聞く気がねえんだよ!」


「それは残念だ」


 初めて見える騎士の落胆。


 似た境遇を歩んでいたイーサンとエクエスは、本当の最後で分かり合えなかった。


 イーサンは大切なものを守るため。エクエスは大切なものを奪った者を殺すために武器を取る。


 たったそれだけ、されど深い溝が二人の間に横たわっていた。


 イーサンとエクエスが話しているうちに、ミーアはクリスに治癒魔法をかける。


 脇腹の出血は止まったものの、生きるために必要な血が全く足りていない。応急処置の限界だった。


 そんなミーアなど無視して、エクエスは口笛を鳴らす。


 クリスの歌を受けてもなお健在だった骨の馬が騎士の傍へと歩み寄ってきた。


 まるで慈しむかのように、エクエスは馬の頭を撫でると、馬に掛けられていた鞘から一振りの剣を抜き出す。


 先程までの魔槍に比べるといかんせん地味な作りになっていた。


 華々しい装飾は無く、剣身は鈍い灰色の金属で出来ている。ミーアが見ても魔力を感じないあたり、どこにでも売っていそうな剣だった。


「この剣は、昔に騎士としての心の在り方を誓った際に使ったものだ」


「つまり……人間の時に叙勲式で使った剣だと?」


「そうだ」


 少し拍子抜けしたようなイーサンに、エクエスは神妙な声で肯定する。


 どこにでもある普通の剣。しかし柄を握るのは魔帝の配下なのだ。何が起こっても不思議ではない。


 警戒するイーサンとミーアをよそに、エクエスは剣身に手をかざす。


 真っ黒に染まった負の感情が剣を嘗め回し、高貴な騎士としての思い出を邪悪に染め上げていく。


 呪いが、執念が剣に宿り、感情は鋭い暗黒の刃となって顕現する。


 エクエスの手に握られていたのは、実態を伴わない黒の剣だった。


「貴様には私たち魔物の敵だ。ここで死んでもらう」


「お断りだ」


 両者の誇りが剣となり、激しくぶつかり合った。


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