第23話

 エクエスの一言に、イーサンの怒りが膨らむのをミーアは肌で感じていた。


「イーサン! 怒りに飲み込まれちゃダメです!」


 樹木の幹に背を預けながら、ミーアも二人のやり取りを聞いていた。


 互いに故郷を滅ぼされ、独り身となってしまった同じ境遇の人間同士。


 違ったことは、魔物と人間のどちらかに滅ばされたかという違いだけ。


 だが、その一点だけで運命は狂ってしまった。


「エクエス、お前のせいで俺がどれだけ苦しんだのか知っているか?」


「故郷を失った者同士として、想像に難くない。さぞ苦しかったことだろう」


「貴様!」


 ミーアから見ても安っぽい同情ではなかった。


 だが、イーサンが満足するには不十分だったらしい。


 腕を組み、悠然と構えるエクエスを殺すため、イーサンは大剣を抜き放った。


 大地を揺らすほどの衝撃で足を踏み抜くと、疾風の矢のごとくエクエスへと距離を詰める。


「面白い」


「舐めるな!」


 ほとんど不可避に近い斬撃。しかしエクエスは槍の先で受け止めた。


 全力の一撃を防がれると思ってもいなかったのか、イーサンは両目を見開く。だが、それは一瞬だけのこと。


 再び大剣を振り回して紫の兜へと狙いを定めた。


「もう少し冷静になれ」


「お前にだけは言われたくない!」


 空気を置き去りにする攻撃を、エクエスは難なく躱してみせた。


 肉弾戦には全く詳しくないミーアだが、紫鎧の動きは異常なことぐらいはわかる。たった二発の攻防だったが、イーサンが不利なのは目に見えて明らかだった。


「イーサン! ここは一旦引くべきです!」


 喉から絞り出したようなミーアの声に、イーサンは睨みつけるだけで、納得しているようには見えない。むしろ不快な感情が生まれているようだった。


 槍と大剣が激突し、森の中に金属音が響き渡る。


 イーサンは今まで見たことのない速度で大剣を振るい、全てを切り裂いて破壊していく。


 踏み込んだ力で地面に亀裂が走り、大剣によって生み出された風の刃で木々が次々に倒れてていた。


 圧倒的な力を前にしても、エクエスは平静を崩すことはない。


 的確や槍捌きで剣筋を逸らし、大剣の破壊力を最小限の手段で受け流す。筋力に頼らず、知性までも利用した戦い方は実に合理的だ。


 エクエスの流儀に軽く感動を覚えながらも、ミーアは二人の戦いを見守る。


「私に何かできれば……」 


 目の前で繰り広げられる戦いは常軌を逸している。得意な魔法は魔力切れによって使えないので、参戦することもままならない。


 そんな無力な自分が悔しくて、ミーアは無意識に唇を噛んでいた。


 しばらく休んだおかげで体力が少し戻ってきた。戦うには不十分だが、走るのには十分だろう。


 二人の戦いを見ながらも、エクエスの背後に控えるスケルトンたちに目を配る。


 魔物たちは微動たりともしない。エクエスの命令が無ければ動けないのかもしれない。


「今なら……!」


 エクエスとイーサンは戦闘で手一杯。スケルトンも動かないのなら、今すぐ逃げられる可能性がある。


 背中を向けて、後ろを振り返る。


 人間の域を超えた槍術を繰り広げるエクエスを前に、イーサンが徐々に押し込まれていた。このまま放置していても、負けるのは時間の問題だろう。


「今すぐ助けを呼んできます……!」


 イーサンの叫び声に後ろ髪を引かれながら、ミーアは元来た道を引き返し始めた。


 


「おや、キミはイーサンと一緒だった女の子じゃないか」


「あいつはいないのか?」


「クリスさんとグレンさん!」


 山を下った先で見つけたのは、話をしていたクリスとグレンだった。


 ボロボロの恰好で走ってくるミーアをみて、男二人はあからさまに顔を顰める。手練れの冒険者は非常事態だと見抜いていた。


 詳しい理由を聞くことなく、単刀直入に話を始める。


「イーサンに何があった」


「紫鎧のスケルトン……エクエスと戦っています!」


「奴がいたのか⁉」


 ミーアの話に、クリスとグレンは目を見開く。


「はい。今も戦っているところですが、一人では危険戦わせるわけにはいかないので……」


「それほど手強い相手なのか?」


 肩で息をしながらミーアは首を縦に振る。


 クリスとグレンは互いに顔を見合わせると、イーサンをどうするべきか相談を始めた。


 一刻を争う事態なので、ミーアとしては急いで欲しいところだが、結果が伴わなければ意味がない。


 しばらくして、ようやく二人はミーアの方を向いた。


「ボクがキミとイーサンのところへ行くよ。グレンには他の冒険者を集めてきてもらう」


「というわけで、俺は山を下ってくる。後のことはクリスに頼んでおけよ」


「はい!」


 ミーアは疲れなど忘れてしまうほど、クリスの存在が頼もしく思えてならなかった。


 グレンは別方向の二人に手を振りながら颯爽と山を下っていく。迷いのない足の運びは、さすが盗賊といったところか。


「さて、ボクたちも急がないといけないね。イーサンのところまで案内してくれるかい?」


「わかりました!」


 新たな援軍を引き連れて、ミーアは元来た道を引き返していった。


 


「なるほど……これはマズイね」


 ときどき現れるスケルトンを蹴散らしながら、二人はイーサンの下へとやってきた。


 茂みの下で目を細めながら、クリスはエクエスとイーサンの様子を見ている。


 その隣では、ミーアも心配そうに戦いを見守っていた。


「やっぱり厳しそうですね」


「彼があれほど手こずる相手なんて初めて見たよ。正直、見ている今でも信じられないくらいだ」


 イーサンは全身に傷が出来ており、体中から血を流している状態だ。


 一方、エクエスは鎧に傷が出来ているものの、前より動きが鈍ったような感じはなく、イーサンの攻撃に何らダメージを受けていないようだった。


「まだだ!」


 全身から血を流してもなお、イーサンの心は折れていない。


 足に力をため、ばね仕掛けの要領で大きく跳躍すると、迷いのない大剣捌きでエクエスに攻撃を仕掛ける。


「貴様の攻撃は見切った。それ以上は時間の無駄だ」


「うるせぇ!」


 諭すようなエクエスの言い方に、イーサンが神経を逆撫でされて激昂する。


 怒りの感情までも力に変換することで、更に大剣を加速させた。


 しかし、エクエスは感情的に勝てる相手ではないことぐらい、ミーアにでもわかる。


 エクエスは小さくため息を吐く。馬上槍をゆっくりと構えると、寸分の狂いなくイーサンの大剣の腹を突いた。


 力任せに受け止めるわけではなく、力を殺す完璧な一撃。イーサンの大剣の軌道が大きく変化する。


「チッ」


 舌打ちして剣を持ち直そうとするイーサンだが、そんな隙をエクエスが見逃すはずもない。


 横腹に回し蹴りを叩き込み、成人男性の身体を軽々と吹き飛ばす。宙を舞ったイーサンは樹木に背中を激突した。


「ガハッ!」


「冷静に戦いを見極めろ。お前のように頭を使わず戦うなど愚の骨頂だ。よもや、この程度の雑魚ではあるまい」


「――!」


 イーサンは血を吐いて言葉を話すことすら出来ない。そんな彼をエクエスは冷酷な眼差しで睥睨していた。


 エクエスは空中で槍を振り、槍についた大量の血を落とす。


 赤黒い液体の下に隠れた槍は、再び恐ろしいまでの紫色を日の下に晒した。


 弱っている敵を前にしても殺さないのは、生前の騎士としての矜持からだろうか。


 エクエスはイーサンに槍を向けても殺す素振りは見せない。


 だが、思い浮かぶ最悪の想像に、ミーアは隣の人物へと助けを求めた。


「クリスさん! このままじゃ……」


「わかってる。キミはここで待っててもらえるかい?」


 ミーアが無言で頷くと、イーサンは微笑を浮かべながら立ち上がった。


 愛用の楽器を調弦してからおもむろに歩きだす。まるで酒場に行くような、そんな軽い足取りだった。


 美しい竪琴の音色を流し、殺伐とした戦場に安らぎを与える。


 一瞬だけ、しかし一瞬も相手のことなど忘れて、エクエスとイーサンは乱入者であるクリスを見やった。


「クリス……どうやってここに来た」


「可愛いお嬢さんに教えてもらったんだ。彼がピンチなので駆けつけてくれ、とね」


 流し目にウインクをするクリス。その発言にとんでもない間違いがあることに気付いて、ミーアは茂みから顔を出してしまった。


 羞恥で頬を赤く染めながら、クリスに向けて怒鳴る。


「私はイーサンをそんな呼び方で呼びません!」


「あれ、そうだったのかい?」


「二度と間違えないでください!」


 穴があったら入りたいくらい恥ずかしかった。しかしクリスはきょとんとした顔でミーアを見返すだけで、納得しているようには見えない。


 戦場で馬鹿なやり取りをする二人の存在に、クリスは大きな音を立てながら舌打ちした。


「お前たちは何をするためにここに来たんだ? 俺たちの戦いに水を差すなら容赦なく殺すぞ」


「キミを称賛することはあっても、馬鹿にすることなど絶対にない。ボクが呼ばれたのはキミを助けるために決まっているだろう?」


 クリスはそう言うと竪琴を持ち直し、天高く放り投げた。


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