第2話
冒険者ギルドの一階に降りると、大勢の人々が押しかけていた。
食堂のテーブルに座って酒を飲んだり、掲示板から依頼を探したり、思い思いに過ごしている。
鎧を着た戦士や教会の服を身にまとった僧侶など、さまざまな人間が集まっていた。
「いつ見ても飽きないな……」
行き交う人々が同じであることなど、一日としてあることはない。金貨を得て素晴らしい装備になったり、不幸で命を落としてしまったりする人がいるからだ。
イーサンが薄笑いで冒険者たちを眺めていると、横から楽器の音が聞こえた。
「こんなところで棒立ちしてるなんて、どうしたのかな、イーサン?」
「ぼーっとしてただけだ。クリス、そのうるさい楽器を鳴らすのをやめろ」
「騒音なんて心外だなぁ。これはボクの武器であり、生活の道具なんだよ」
イーサンが顔を横に向けると、緑を基調とした格好の男が目に入った。
年齢は二十歳ぐらいだろうか。羽根つき帽子をかぶり、新緑色のマントで全身を覆っている。
手に持つ竪琴からは、馴染みのある軽快な音楽が流れていた。
顔なじみの冒険者に、イーサンは声を掛ける。
「お前、今は暇か?」
「どちらかと言えば退屈だね」
「それなら、ちょうどいい依頼があるんだ」
イーサンは懐からキメラの依頼書を取り出す。クリスはその紙を眺めると、ゆっくりと首を振った。
「これはボクに達成できない。イーサンに悪いが、遠慮させてもらうよ」
「なら、せめて一緒に来い。後方支援ぐらいならできるだろう?」
「いいよ。というか、それしか出来ないからね。ギルドマスターのお役に立てて光栄だ」
クリスは腰を折って優雅に礼をする。最初はクリスの鼻に付くセリフの数々がイーサンの神経を逆なでしていたが、数年の付き合いでもう慣れた。
契約が成立したところで、第三者が現れる。
「イーサン、ちょっといいか」
「ジークか。どうした、何か問題でも起きたか?」
「そうじゃない」
ジークは冒険者ギルド「フェンリル」で働くギルドメンバーの一人だ。筋肉質の体は見た目通り頑丈で、仕事を休んだことが一度も無い。
精悍な顔つきで、短く切られた黒い髪の色は、この国の人間ではないことの表れだ。
「最近は討伐依頼が多くて、書類整理のために数人バイトを募集したいんだが、予算を回してもらえないか?」
「バイトの予算か……」
顎に手を当てて、頭の中で目まぐるしい数字を操作する。マイナスの数字が何度も行き交い、「フェンリル」の財政がいかに厳しいものか思い知らされる。
どう頑張っても赤字が確定していることに、イーサンは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「金貨五百枚あれば十分か?」
「ああ、当分は何とかなる」
ジークは首を縦に振って、イーサンがサインをした書類を受け取った。書面には金貨五百枚については扱いが書かれている。
ジークが小さく礼をして立ち去ると、隣で様子を眺めていたクリスが口を開いた。
「あんなに渡しちゃって大丈夫なのかい?」
「どういう意味だ?」
意味が分からない。そう言わんばかりにイーサンは楽しげなクリスに目を向ける。
「だって、あのお金は君の財布から出しているんだろう?」
「……ふん」
イーサンはクリスに返事もせず、不満げに鼻を鳴らす。無言の返事を受け取って、クリスは微笑んだだけだった。
調弦された竪琴を鳴らし、騒々しいギルドのロビーに調和をもたらす。
「忙しい君のことだ。こんなところで油を売っている暇はないんじゃないかな?」
「そうだったな。さくっとキメラを倒して報酬をいただくとするか」
「もちろん、ボクへの分け前も忘れないでくれよ」
イーサンは大剣を肩に担ぎ直し、たるんだ気持ちを締め直す。ずっしりと重い感触が肩に伝わってきた。
「さてと、出発しようか」
軽やかなリズムを背景に、イーサンとクリスは冒険者ギルドを後にした。
「あいつです」
「なるほど、あれは面倒だな……」
二人は村人に案内されて近くの山脈に入っていた。暗鬱な木々が生い茂り、太陽の光も満足に差さない。
そんな森の中、大きく開かれた広場の中央にキメラは居座っていた。
二つある頭は別々の動物になっている。片方は角の生えた獣であり、片方は鋭い牙が印象的な獣だ。
猛獣のような体躯から生える尻尾には、毒蛇の顔が付いていた。
岩陰からイーサンが覗き込むと、怪物は幸せそうにいびきをかいている。どうやら食事を終えた後らしい。腹が異様に大きく膨れていた。
クリスは退屈そうに、しかしキメラに聞こえないように静かな竪琴を奏でる。
「あの大きさは珍しいクラスだね。どうする、イーサン。帰るなら今のうちだよ?」
「そんな! 私たちの村を見捨てるつもりですか⁉」
クリスの提案に、村人は悲鳴のような叫び声を上げる。村の存亡が本格的に厳しくなることが、真っ青な顔からうかがえた。
「俺は見捨てたりしないから心配するな。クリスはしばらく黙ってろ」
「ありがとうございます……」
「しょうがないね。イーサンに言われた通り、ボクは楽器を奏でることに専念しよう」
とはいえ、イーサンの体の何倍も大きな相手にどう立ち向かったものか。飛んで逃げられる心配は無いが、動きが素早いことは間違いない。
剣の柄を握りながら、幸せそうに惰眠を貪るキメラを睨みつける。一瞬と限定するならば隙だらけだった。
ふとイーサンは思い出したようにクリスを見やる。
「お前、楽器を使った魔法はできるんだったよな」
「一応ね。だいたいの魔法は覚えてるよ。だけど、相手を傷つけることができる魔法は持っていないかな」
「攻撃までは期待してない。睡眠関係の魔法はないか?」
「眠りを深める魔法なら使えるよ」
「キメラに掛けてくれ」
クリスは無言で頷くと、目を瞑って竪琴の音に耳を傾ける。指の神経に命を懸けて、思い通りの音楽を紡いでいく。
イーサンは瞼が重くなってきていることを感じ、自分の頬に拳をめり込ませた。
下を見ると、村人が心地よさそうに眠っている。
「何度見ても腕は一流だな。けどよ、効果の範囲はどうにかしてくれ」
「音楽に国境が無いように、ボクの魔法にも効果範囲は決まっていないのさ。僕は誰にでも平等。悪く言えば無差別主義なのさ」
気の利かないクリスにイーサンは舌打ちをする。しかし効果は絶大であることには違いなく、広場で眠るキメラは深い眠りに誘われていた。多少足音を当てても問題なさそうだ。
クリスに村人を託して一歩ずつ近づいていく。
魔獣の腐った肉のような体臭が鼻を刺し、イーサンは思わず眉を顰めてしまう。
意識が飛びそうな頭を理性で叩き起こしながら、背中に負われた大剣を抜き放つ。鍛えられた鋼の輝きが天上の光を映した。
「不意打ちで……悪いな!」
魔獣の三つの頭部の内の一つ、鋭い牙が生えた頭がつながる首に向けて大剣を振り下ろす。
気持ちの悪い骨の砕ける音が森の中に鳴り響いた。
「グルァッ!」
突然の痛みに、キメラは悲鳴じみた絶叫を上げる。残された首であたりを見回して、攻撃者であるイーサンを四つの目で捕捉した。
ここから先は不意打ちができない。改めて怪物と向き合って、イーサンは早鐘を打つ心臓を深呼吸で抑え込む。剣を握る指に力を入れ、来るべき時に備えた。
角の生えた頭部はイーサンの正面から突きを加える。一方、蛇の頭を持った尻尾は背後に回ってきた。
「イーサン!」
「わかってる」
クリスからの忠告の声。恐らく背後を取られていると伝えたかったのだろう。
だが、この程度で殺されるイーサンではない。大剣を振り回し、遠心力で極限まで加速する。
回転する刃に突っ込んだキメラ尻尾は、跡形なく粉々に切り刻まれた。
残された最後の頭は大剣の前で急停止。一度イーサンから距離を取り、牙を鳴らして威嚇を始める。
「そんなの怖くねえって。ほら、来いよ」
掌を上に向け、人差し指を動かして挑発するイーサン。しかしキメラも知的らしく、馬鹿正直に突っ込む気配を見せなかった。
「膠着状態か……面倒だな。後からギルドの仕事をやらなきゃならないってのに……」
イーサンは舌打ちして苦しげに睨んでくる手負いの獣を眺める。
キメラが来ないなら、こちらから行くまで。だが、それで仕留められないと逆に時間の無駄になってしまう。
岩陰から頭を見せるクリスに向かってイーサンは叫ぶ。
「クリス! 攻撃支援系の魔法は使えるか?」
「了解!」
二つ返事で竪琴から音楽が流れ始める。細かいリズムと高い音が組み合わさり、自然とイーサンの心を鼓舞してくれる。
戦いを望むように、血が湧き上がり、頭の中が赤色に染まる。
音楽の効果はキメラも同様らしく、先ほどまでの警戒を忘れて無防備に突っ込んできた。
「ガアッ!」
数えきれない牙が一斉にイーサンの肌に突き刺さろうとする。だが、冷静ではないイーサンの心に、恐怖の感情など入る隙も無い。
怪物の喉の奥に見える暗闇。そこ目がけて大剣を突き立てる。
大量の返り血がイーサンを赤色に染める。気持ち悪い獣の匂いがあたりに充満し、イーサンの嗅覚にダメージを与える。
「――!」
喉笛が切られているせいで、キメラは上手く声を上げることが出来ない。されど現世への未練を訴えるように肺から空気を絞り出す。
自分の何倍もの巨獣。しかし死にゆくキメラに、イーサンは同情してしまう。
「悪いな。俺たち人間の生活を邪魔されるわけにはいかないんだ」
「グルル……」
糸が切れてしまった操り人形のように、イーサンの剣を支えにしながらキメラは倒れ伏す。
既に瞳に光は宿っていない。完全にこと切れたようだ。
多少の罪悪感を抱えつつ、イーサンは血塗れの大剣をひと振りする。べっとりと付着した魔獣の血液が大地に深紅の華を咲かせた。
「お疲れ、イーサン。横から見ていたけど、君の腕前は全く落ちていないね。むしろ上達しているんじゃないかな」
「俺が何のために素振りをしてると思ってるんだ? 毎日鍛えて成長してなかったら泣く自信があるな」
「ギルドの仕事で忙しいくせに、素振りをする余裕はあるんだね」
痛いところを突かれて、イーサンは返事代わりにクリスを睨む。美丈夫の笑みが憎たらしくてしょうがない。
「おっと。その物騒な大剣を向けないでくれないか」
「少しぐらい血が付いた方が戦った感じがするだろ? だからお前の服を血で染めてやるよ」
「遠慮したいんだけどな……」
薄笑いを浮かべながら、真っ赤なイーサンの剣を回避するクリス。いくらイーサンが本気を出していないとはいえ、紙一重で避ける姿は、手練れの冒険者のそれだった。
怪物と戦ったせいで体力が少ない。剣を振り回すのが面倒になり、イーサンは大剣を地面に突き立てた。
木の葉の隙間から覗く太陽を見ると、中天あたりに差しかかっている。
「さっさと山を下りるぞ。今はまだ昼過ぎだが、俺にはギルドの仕事があるんでな。寝ている村人の処理はお前に任せた。俺は先に帰るから、報酬はお前がこの人から受け取っておいてくれ」
「面倒だなぁ……ボクも帰らせてよ」
「お前の魔法で寝かしたんだろうが。最後まで責任もってやれ」
脅迫めいた口調は自由人に通じない。クリスは軽やかな音を奏でてイーサンの言葉を肯定した。
イーサンは岩陰で眠る村人を見る。キメラとの戦いなどつゆ知らず、幸せそうな寝顔でいびきを掻いていた。
村を守ることが出来たという実感が心の底に湧き上がる。イーサンの苦労が癒されてゆく心地がして、思わず頬が緩んでしまう。
クリスは楽器を片付けると、背中に村人を背負って歩き出す。
「それじゃ、ボクは先に行くよ」
「ああ。またギルドでな」
手を振って別れを告げる。疲労で重くなった足を冒険者ギルドのへと向けると、
「ジャックさんのところに行かなきゃいけなかったんだった!」
急遽予定を思い出し、イーサンは森の木々を破壊しながら最短経路で依頼主の下へと向かった。
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