第3話
「なんだか賑やかだなぁ……って、なんだこれ⁉」
依頼失敗でジャックに土下座し、冒険者ギルドに帰ってきたイーサンを待ち受けていたのは、巨大な肉の塊だった。
表面は艶のある鱗で覆われており、切断面からは赤い筋肉が油で煌めいている。見るからにおいしそうな肉だった。
ギルドの机を数十個も使って置かれている肉塊をイーサンが呆然と眺めていると、不意に背後から声を掛けられる。
「よお、ギルドマスター。今帰ったぜ」
「タイアーか。ドラゴン討伐は終わったんだな」
「ああ。腕の一本まで無事で終わったよ」
イーサンが振り返ると、鎧を身にまとった長身の男性が立っていた。
鎧から伸びる腕には筋肉の存在が窺える。そこにはいくつもの痣や傷が刻印のように残っており、彼がくぐってきた修羅場の数が示されていた。
黒ひげが印象的な男。イーサンはタイアーをそんな風に覚えている。
「あの巨大な肉塊って、お前が持ってきたのか?」
「そうだ。ドラゴンの尻尾は美味しいって地元のグルメ本で発見たんだ。本当かどうか確かめようと思って持って帰ってきた」
「ドラゴンの尻尾を勧めるって、どんな本だよ……」
タイアーが口にした本の名前は、イーサンにとっても馴染み深いものだった。メルコポートでは名の知れた料理家の著書で、主な購買層は主婦だったはず。
「確か、本のタイトルに『夫の居ぬ間にドラゴン討伐』って書いてあったな」
「それは無理に決まってるだろ」
ドラゴンは村一つを崩壊させるような力を持つ。そのような怪物が主婦の片手間で倒せるはずがない。
平然とおかしな文章を書く著者がどんな人物なのか、イーサンには想像できなかった。
「で、どうしてドラゴンの尻尾がここにあるんだ? お前の家で食べた方が効率的だろ」
「それは……」
「それは?」
イーサンの質問に言い淀むタイアー。膠着状態の二人のところへ、一人の女性がやってきた。
「私が説明するわ」
声のした方向へ目を向けると、ブロンドの髪の女性が目に入った。
背丈は平均的だが、華奢な体つきなので小柄に見える。一見優しそうな顔つきだが、瞳の奥に宿る光には隙の一つも見当たらない。
「ええと、タイアーの彼女だったよな?」
「そうよ。職業はビショップをしてるの。メアリーって呼んで」
「いちいち聞き直して悪かったな」
「気にしないで。私がこの街に来てからまだ数日しか経ってないもの」
メアリーは微笑しながらそう言った。
「防御だけが売りのタイアーに、こんな美人な彼女が出来るなんて想像できなかったな」
「俺自身驚いてるさ。まさか依頼先の村で彼女が出来るなんて考えたこともなかったよ」
談笑する男衆を見て、メアリーは恥ずかしそうにタイアーの脇腹を錫杖でつつく。第三者からしてみれば、タイアーとメアリーは良い夫婦のように見えた。
「で、どうしてギルドに尻尾を持ってきたんだ?」
「私とタイアーの家に持って行こうと思ったんだけど、そもそもドアを通らなかったのよ。それで大きい倉庫みたいな場所がないか、ってタイアーに相談したら、ここを勧められたの」
「タイアー?」
「悪気があったわけじゃないんだぞ? 俺は寛大でかっこいいイーサンなら許してくれると思ったんだ。決して便利な物置とか思ってないからな?」
焦って思考がまとまらないタイアー。思わず本音が漏れてしまっていることに気付いていないようだった。
持ってきてしまった以上、今更責める気力が湧き上がってこない。
考えなければならないのは今ある尻尾をどうするかだ。
「冒険者も興味深そうに見てるし、しばらく置いておくのは許す。だが、数日したら腐る前に持って帰ってもらうぞ」
「さすがはイーサンだ。俺たち冒険者たちのことを第一に考えてくれる素晴らしいギルドマスターだ!」
おだてるようなタイアーの言葉は、仕事で疲れ切っていたイーサンの心を逆撫でする。褒められているはずなのに、目の前の巨漢が鬱陶しく思えてならなかった。
嬉しそうに微笑み合うカップルに嫉妬を覚えながら、イーサンはギルドのカウンター裏へと回った。
冒険者ギルドのスタッフが仕事部屋では、数人のメンバーが書類の処理に追われていた。
キメラの血の臭いを纏ったイーサンを見ると、ほとんどのメンバーが気まずそうに顔を下げる。
「お帰りなさい。思ったより早かったわね」
しかし、エリスはイーサンの見た目を気にすることなく、気さくに挨拶をした。
「クリスのせいでキメラがすぐに倒せたからな。ジャックさんの家にも土下座してきたし、明日までは外に出る用事は無くなった」
「それは良かったわね。こっちも依頼を全部冒険者に押し付けることができたわ」
「報酬とか吊り上げてないだろうな」
冒険者不足が問題になっているこのギルドでは、いかに多くの仕事を冒険者に押し付けられるかが課題となっている。
さすがに命に関わるような依頼は推奨しないものの、薬草の採集や買い出しの依頼は積極的に受けてもらえるように冒険者ギルドは様々な手を使っているのだ。
イーサンが疑惑の視線を向けると、エリスは小さく首を振った。
「そんなことをしてないわよ。お茶に誘ったり、かっこいいとか言ってみたりしただけ。ただえさえ資金繰りが苦しいのに、無駄なことにお金をかけるわけがないでしょう?」
「色仕掛けを使ったってわけか」
「正解」
右目でウインクをするエリスに、イーサンは眉を顰めるものの、あえて批判することはできなかった。
エリスは約束を必ず守るので、別に嘘で冒険者を騙しているわけではない。そのうえ、エリスの働きによってギルドが回っているのも事実なのだ。
裏の顔を知ってしまっているイーサンには、どうしてもエリスを美女として眺めることができない。むしろ魔性の女としか思えなかった。
「あ、そうだ」
エリスは手を叩くと、綺麗に整頓された引き出しの中から一枚の紙を取り出す。
「これをイーサンに渡してくれってジークに頼まれてたの。確認してもらえる?」
「バイトの件か」
今朝にそのような話をした覚えがある。イーサンが資料に目を通すと、簡単な名簿と給料について書かれていた。
「これを見てどうしろと」
「私に聞かないでよ。イーサンとジークの間のことでしょう。とりあえず認めるって言っておけばいいんじゃない?」
「めんどくせぇ……」
ゆっくりできると思ったのに、急な仕事が現れて疲れがどっと押し寄せる。
つま先立ちで部屋の中を見渡してみるが、ジークの姿はどこにもなかった。おそらく外回りか受付にでも行っているのだろう。
イーサンは適当に資料を振り投げてエリスに渡した。
「許可したって言っといてくれ。俺は仕事の処理に戻る」
「ちょっ……私に仕事を丸投げしないで!」
「丸投げじゃない。ギルドマスターからの命令だ。せいぜい励んでくれたまえ」
「最低な上司ね……」
凍てついたエリスの視線を痛いほど感じながら、イーサンは二階の執務室へと戻るのだった。
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