雨宿りの夕方に

 私は気まずくて黙っていた。隆宏と個室で二人きり。おまけに二人は風呂上がりで、私はアオザイ姿、そして手には棒アイス。こんなに気まずいことはない。


「ねえ、ヒロ君」「カナさん、今日は楽しかったですね」

 二人の言葉がかぶった。そして弘樹はこちらを振り返って見ている。


 私は動揺を抑えながら

「うん、そうね」

 と落ち着いて答えた。


 私は手に持っていた食べかけの棒アイスをお皿に置いた。隆宏もこっちに近づいてきて、食べ終わったアイス棒を私と同じお皿に置く。私たちはテーブルを挟んで、向かい合って座る。


「カナさん、今日はありがとう」

 隆宏が落ち着いた様子で話し始めた。


 私は素直に隆宏を褒めてあげることにした。

「そうね。雨でびしょ濡れになったのは残念だったけど、かっこよかったよ。ヒロ君」

 気合いを入れて選んだコーディネート。かっこよく着こなしてもらって嬉しいに決まっている。


「僕のこと、カナさんに見てもらえるのがとてもうれしかったです」

 隆宏は少し照れたように笑っている。こういうときの隆宏はかわいい顔をしている。でも、それだけじゃなくて、時々男らしい部分が見え隠れする。そのギャップがたまらない。


「私も嬉しかったよ」

 素直にうれしい。笑顔で答える。


「しかも。カナさんのアオザイ姿を自宅で見られるなんて」

「い、いや、だからってそんなにじっと見なくても……」

「い、いや、その、きれいだなって思って。ほ、本当ですよ?」

「そう、ありがとう」


 うれしいけれど、本当はちょっと恥ずかしい。胸を凝視されて悪い気がしないのは、それが隆宏の気持ちだからだ。


 沈黙。私が隆宏のことを見つめると隆宏も私を見ている。気まずい。


 隆宏が口を開いた。

「それにしても、シンガポールの雨は凄いですね。僕たち、びしょびしょになっちゃいましたね」

「ほんとよねぇー」

 隆宏なりに無難な話題を考えたつもりだろう。だが、私にはわかる。この話題は危険だ。


「カナさん、シャワーを浴びてからなんだかとてもいい匂いがします」

「そう?ボディーソープ借りたから同じだと思うんだけど」

「いえ、すごく甘くて、いい香りがします」

「そっか、なんか嬉しい。ありがとね」


 やっぱりこの話題は変えよう。いまの二人はシャワーを浴びたばかりで、その気になったらいつでもベッドインできてしまう状態。いわば開戦前夜の平和外交。というわけで、私はできればそのことに触れたくないのだ。


 話題を変えるために私は

「ねえヒロ君、今度はどこに行こうか?」

 と訊いてみた。


 隆宏が答える。

「今度は僕がカナさんのことを連れて行ってあげる番でしたよね」

「ヒロ君、どこに連れってくれるの?」


「それが……行きたいところはあるんですけど」

「どこなの?」

「セントーサ島です。クラゲと言えば真っ先に名前が挙がる有名なところです」

「へぇ。そうなんだ。私はあんまり行ったことないわ」

「夜景を見たいので、できれば一緒に滞在してほしいのだけど、いいでしょうか?」

「え、それは泊まりがけってこと?」

「島内に一泊したいと思っています」


 ごめん。私、これでも既婚者なの。そんなこと正面から訊かれちゃったらウンとは言えないよ。


「提案はうれしいんだけど、私には旦那がいるからなぁ。ごめんなさい」

「ですよね……」

「ごめんなさい」

「いえいえ……」


 隆宏は私と泊まりがけの旅行をしたいんだろうな。セントーサ島も素敵だろうけど、二人で泊まりがけだとそういうことになるよね。


 私だってできれば隆宏とお泊まりしたい。それに、この年頃の男の子にセックスさせてあげないのはどう考えてもかわいそうだと思う。でも私は無理だからなぁ。プロの女性を雇って3Pして、隆宏にその人とさせてあげる、っていうのも一つの方法かもしれない。だけど、それだと隆宏のプライドを傷つけちゃうかもしれないし。


 私はそんなふうに、隆宏のお母さんみたいな気持ちで隆宏のことを心配していた。いや、お母さんは息子と3Pしようなんて思わないか。とにかくそういう心持ちで私は隆宏のことを思っていた。


 それで勢い余った私は、素直に隆宏に訊いてしまった。

「一緒にお泊まり、もしどうしてもってことなら、3Pにする?」

「は?」

 やばい。やっぱり露骨に嫌がられているかも。

「やっぱりなんでもないわ!」

「えっ、あっ、はい」

 この話はこれでおしまい。やっぱりろくでもない話題だった。


「雨、止まないわね。ヒロ君、なんとかしなさいよ」

 気まずい雰囲気を避けて、結局、雨の話題に戻ってきてしまった。


 隆宏は窓の外を見て素直に答える。

「はい、すごい降りですね。どうしたんでしょう」


 沈黙。手持ち無沙汰だ。なにか見つけないと、またろくでもない話題になる。


 そう思って私は部屋の中をもういちど見回してみた。考えてみれば、男の子の部屋を訪ねるのは数年ぶりだ。何か面白いものはないものか。


「あっ!」

「どうしました?」

「ねえヒロ君、ベッドの下見せてくれない?」

「えっ、どうしてですか?」

「だって、そこにエロ本を隠してるんでしょ?」

「ええ!?」

「図星みたいね」

「ち、違いますよ。それ普通にセクハラ」

「あら、別にいいじゃない。ヒロ君がどれほど巨乳好きか、知っておきたかっただけよ」

「だから、それがセクハラ……」

「大丈夫、ヒロ君にしかしないから」

「僕にだってしちゃダメですよ」

 たしかに正論だよ。でも私にも言い分がある。


「どうして?さっきから私の身体をじろじろ見てたじゃない。一体どんな想像をしていたのよ」

「いや、ただ僕は、カナさんがすごくセクシーできれいだなって思っただけです」

「ふぅん、そんなにおっぱいが好きなんだ」

「そ、そういう意味で言ったんじゃありませんよ」

「でも、好きでしょ?」

「そりゃ、好きですよ」

「正直でよろしい」

 私は少しだけ胸を強調する仕草をしておどけて見せた。


 私の渾身の演技を無視して、隆宏は続けた。

「とにかく、本とかそういうの、本当にありませんから」

「わかったわ」

「え、わかってくれたんですか?」

「だっていまどき、本じゃなくてスマホよね?そういう時代よね」

「……それは」

「やっぱそうなのね!」

 私は真相にたどり着いた名探偵のような気分で答えた。


 隆宏は恥ずかしそうにしながらうなずく。

「べつに、女性向けも似たようなものでしょう……」

「それでね、私は疑問に思うんだけど」

「この話、まだ続けるんですか」


 私は無視して進める。

「あんなちっちゃい画面で、どうやってするの?」

「するって何ですか」

「そりゃもちろん、エッチなことに決まってるでしょ」

「し、しませんよ」

「またまた~」

「本当です」

「絶対嘘」

「本当です」

 そこまで言うならしょうがない。そういうことにしておいてあげよう。私は大人なのだ。


 隆宏が訊いてきた。

「じゃあ僕からも質問なんですけど」

「あら、なにかしら」

「カナさんはどんなタイプの男性が好きなんですか?」

 またすいぶんと直球だね。ここは私も素直になっておこうか。


「うーん、ヒロ君みたいなタイプかなぁ」

「僕の、どこがですか?」

「ヒロ君はいつもニコニコしていて、楽しそうで、すごく明るいし、なんか安心できるし、包容力があって、優しいし、あと、かわいい顔してるところ」

「かわいい顔ですか……」

「うん、かわいい」


「カナさん、よく恥ずかしげもなくそんなことが言えますね。うれしいですけど」

「まあまあ、素直なのは美徳だよ」

「香奈さんの好みに合うような男になれるように頑張ります」

「ありがと」


「僕も香奈さんのこと好きです」

「ホント?ありがとう。うれしいわ」

「これからもよろしくお願いします」

「こちらこそ」


 私は隆宏の手を取って指を絡めた。隆宏は私の手を握り返してきた。私は、隆宏を抱きかかえるようにして彼の体に寄り添うと、顔を近づけて、ほっぺたにチュッと軽く口づけをした。隆宏は驚いていた。そしてちょっとだけ嬉しそうだった。


「あの、さっきはすみませんでした」

「ううん、全然大丈夫。それより、雨が止んだわね」

「あっ、ほんとだ」

「そろそろ帰りましょうか」

「はい」


 帰りがけ、玄関で隆宏に右手を差し伸べる。隆宏は照れくさそうに私を見つめて、手を取って優しく握ってくれた。少し不安そうな表情。遠慮がちに私に触れてくる。彼が私の手を握り、手首に軽くキスする。私は握り返して、それから彼の手をつかんでお互いに身を寄せた。私たちは頬を寄せ合って抱き合い、それからお互いのほっぺたにキスをした。


 今の私たちは、それだけでとても幸せだ。どうなることかと思った雨宿りだったけれど、私たちの間に流れていた微妙な空気は消え去って、言いたいことを言い合える仲になった気がする。


 近くの路地で別れるとき、隆宏はまだ私に何か言いたそうだった。

「実は、カナさん。質問があるんです」

「何でも言ってちょうだい」

「あの。3Pって何ですか?」


 私は、隆宏と一緒にスマホで3Pを検索して、隆宏と一緒に私もびっくりしているふりをした。便利ね、スマホ。

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