恩返し
「なあ熊谷」
「なんだ昨日パシリに使いやがった北原くんよ」
結局昨日は、鞄を熊谷に家まで持ってきてもらうことになった。まあ、お礼の少し高いお菓子も渡したし、このニヤニヤした顔と言い方ならこいつは気にしていないだろうからスルーする。
「天野桜って知ってる?」
「天野桜だあ?!」
突然顔が変わり机越しに身体を乗り出してくる。そんなに凄いやつなのか天野って。
「昨日彼女と別れたばかりの男がもう次の女の話をしたと思ったら、次は学校のアイドル兼現役モデルを狙うとは……」
今の熊谷の一言でなんとなくではあるが、疑問が解けた気がする。まだ憶測でしかないが、正しいのだとしたら俺は彼女に謝らなければいけない。
「いて」
考えていると、いきなり熊谷に頭を叩かれた。反射で出た言葉なので本当はちっとも痛くはないが、文句でも言ってやろうと熊谷に目を遣ると、いつもと違って真面目な顔だった。
「それはお前の長所でもあるけど、悪癖でもあるぞ」
『それ』というのは多分、思考力や洞察力のことを言っているのだろうと思う。頭が回るのは良いことだが、考えすぎるのもよくない。
「ありがとう」
「どういたしまして」
ニッと笑った熊谷を見て、初めて会った頃の彼もこんな顔をしていたのだと思い出す。熊谷には助けられてばかりだ。
「北原ー!」
いきなり自分の苗字を呼ばれ話途中にそちらに視線を向ける。……なんだあの集まり。
「悪い、ちょっと行ってくる」
気を付けてな、と熊谷に言われ席を立つ。近づくと集団が2つに割れていき、クラスメイト伝に俺を呼んだであろう人物が見える。そこに立っていたのは、
「昨日はお世話になりました、北原先輩」
「天野」
彼女の雰囲気は昨日とは違い、どこか取っ付きにくいような感覚を覚える。
大体だが、話の内容は予想がつく。昨日の恩返しとかいうことだろう。
「……ここじゃ目立ちすぎるな、移動しよう」
とりあえず、周りの人混みを何とかすることを最優先に考える。天野も頷き、移動を開始する。移動途中に聴こえる周りの話し声は全部無視だ。
◆
移動先に選んだのは体育館のギャラリーの端っこだ。この時期の体育は雨が振らない限りは基本外なので誰もいない。
「しかし、まさかお前がここまで有名だったとは」
「本当に知らなかったんですね」
「今知ったよ」
スマホの検索画面に写っている少女の画像と、目の前にいる天野の顔は一致している。検索フォームにはもちろん『天野桜』と入っている。
昨日名前を聞いたときの不思議そうな表情の違和感はこれだったのか。だが、あの人の集まり方を見ると、自意識過剰と呼べるものでもないだろう。
「話って昨日のことだよな」
「はい、それでどうしようか考えていたのですが」
「まず先に謝らせてくれ、昨日は余計なことをした」
深々と頭を下げる。
「なぜ、先輩が謝るのですか?」
戸惑いを隠せない様子の天野は、疑問を投げかけてくる。ただ、その疑問は彼女にとっては当たり前であってもこっち目線ではそうはならない。
昨日の今日で訪ねてきた。しかも、わざわざ目立つことが確定しているような上級生の教室にだ。察するに彼女のような人間は受けた恩を律儀に返そうとしてしまうのだろう。それが悪い事とは言わないが、重荷になってしまっては本末転倒だ。少しの嘘を織り交ぜながら、彼女が気負わない条件に持っていく。
「結果的に天野が困るというか、迷惑のかかる結果になった」
「それは……結果だけ見ればでしょう」
「知らなかったは言い訳にはならない」
少し強引だが、これで決着するだろう。
「だから、昨日のことはなかったことに」
決着すると、思っていた。
「嫌です」
予想外の返答に下げていた頭を上げると、満面の笑みの奥にとてつもない怒りを秘めた天野の顔があった。
甘さを知らない彼女を甘さで満たすお話。 天野詩 @harukanaoto
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