第30話 港へ

 その日の夜、中村は病室で藤本のサポートに回るため、そばに残ることとなった。


 彩理たちは一度、これまでの出来事をまとめようと芦川家へ戻ることにした。


 夢と創が研究者関連で“アンソニー・セダスキー”と名乗る人物を探してみても、そこへヒットする人物は一人もいなかった。


 スフィア・プラント社の取引のために使用した偽名の可能性も考えられる。


「わかっていることは、あの時俺がナイフを向けて怖がっていたことだな」


「先端恐怖症だと、本人が言っていました」


 その報告に夢は再度そのことを確認した


「刃物が苦手なの?」


 創が「うん」と頷くと夢は「なるほどね」と何事もなかったように本題へ戻った。


 藤本の告げた目的地についての話が始まると、創と彩理はエリシアの本質へたどり着きたい一心で語りかけていく。


「港町の工場へ行こう。この事件の始まりがわかるはずだ」


「急がないと、何が起こってもおかしくない」


「二人とも、何を急いでいるの?」


 エリシアの知らない夢は、彩理たちの本質へたどり着けていない。


「創くんも彩理さんも、どうしたのですか?」


 創の考えを理解しているジルでさえも、今までにない積極性を見せる創に戸惑いを隠せなかった。


「母さん。やつの目的は、母さんの技術だけじゃない」


「どういうこと?」


「それは、過去に先生が研究に利用した時の“パンゲア”です」


「えっ――」


 そのリアクションは、超常現象の末に人類滅亡というシナリオに戦慄する人物に等しかった。


「えっ……えええ!?」


 ジルは全身に力を込めて両手両足を広げたオーバーリアクションで対抗する。


 創と彩理は例によって、エリシアの正体を説明できない代わりに、それ以外の出来事から推測する方向へ転換する。


「あの事件のあとに母さんはパンゲアを逃がしたよね?」


 それは初めて創がクロロを発生させた日のから帰国するまでの出来事。


 夢はパンゲアの細胞を必要分だけ採取したあとパンゲアを元の生息地へ戻していたのだ。


「ええ。細胞だけをもらって海に放流したわ。でも、なぜあの時のパンゲアを?」


「俺たちがクロロを使えるようになったのは、あのパンゲアだけだと思うんだ」


 創も彩理もスフィア・プラント社で戦ったことで、新たな疑問として浮かび上がっていた。


「あの時の、だけ……?」


 研究した夢ですら知らない事実に、彼女は瞳を小さくする。


「今までのことから、少し考えてみたんです」


 彩理は創とクロロの訓練を行ったあとに、戦った人型の異形について考えていたのだ。


 言うまでもなく、話し合っていくうちに二人まとめて眠りの中へ引きずり込まれたが。


「もし、すべてのパンゲアが同じ性質でバイオロイドが創られたとするなら、わたしたちが戦ったバイオロイドたちもクロロが使えると思えるんです」


「おそらく、何らかの方法で母さんの情報を盗み、同じ技術で生まれた存在だ。でも、俺のように自我がなかった」


「まっ、待ってください! それじゃあ、先生の理論は、間違っているのですか?」


 勢いよく反論のために飛び出したジルを「姐さん、まだ続きがあるんだ」と創が落ち着かせながら伝える。


 ジルによる一瞬の混乱が治まるのを待って、彩理は話を続けた。


「ほかのパンゲアにはない、何らかの特性によって、生かされている気がします。そうでなければ、創やわたしが生きてクロロを発現することは証明できないと思いました」


 提示された彩理の内容に、夢は暫く考え込んで今までの記憶と経験をすり合わせる。


「二人の考えも、一理あるわ。本音を言うと、創と新島さんに付属されたクロロは、わからないことがありすぎて、ずっと不安だったの」


 パンゲアを調査した夢にとっても、クロロの本質には皆目見当がつかなかった。


「ごめんなさいね。気づいたら、私は独りで解決しようとしていた。大切な人を失いたくなかったから、ずっと怖かったの……」


 昔の事件が起こって以来、息子である創をできる限り守ってきたのが夢だった。


 しかし、その中で創は自らの力をコントロールし、弱点を克服するための努力によって、人を守れるだけの強さを持つようになっていた。


 その成長ぶりに母親は、今までの苦悩をどこへ打ち明けたら良いのかわからなくなってしまったのだ。


 未だに知ることのなかった事実に、ジルは突如として大粒の涙を流しながら、小さな身体で夢を抱きしめた。


「先生、ごめんなさいっ! あたし、そんなことも考えずに、今まで図々しくしてしまって……!」


 彼女の過去を知らない彩理は、それを察することしかできなかった。


「ジル。いいのよ。あなたにとって、元気は取り柄なのだから、笑いなさい」


「ううっ……ぐすっ……先生……ありがとう……」


 頭をポンポンと子どもをあやすように軽くたたきながら、彩理と創へ目を向けた。


「皆、ありがとう。おかげでちょっとすっきりしたわ」


 曇る表情をしていた夢に、いつもの自信に満ちた表情が戻ってきた。


「事件を突き止めたら、また新たな発見がありそうね。すぐに準備しましょ?」


 研究者としてのスピリットは、決して消えない。

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