第29話 偽りの罪人
見送った彩理は、夢と本来の内容を話すことにした。
「じゃあ、新島さん。私と話しましょう。お茶菓子も用意したわ」
研究室の机をはさんで、彩理と夢がお茶を飲む。
「あ、ありがとうございます」
久々の夢との会話に、温かい紅茶手に取る彩理は、ぎこちなくなってしまった。
あの事について怒ってはいないのだろうか、と。
「身体の方は大丈夫かしら?」
包帯の解けた身体は、今まで以上に軽く感じるようになった。
「はい。創の前でクロロも試して、急に暴れたりとかは無かったです。体組織も安定しています」
彩理の言葉に夢はひと安心する。
「良かったわ。新島さんの身体が気がかりだったの」
夢の表情は優しい母の顔として彩理に届いていた。
しかし、彩理の表情には険しさが加わっている。
夢に対してどうしても伝えなければならないことがあった。
「―――あの、勝手に薬を飲んでしまって、すみませんでした!」
ソファに座ったまま、思い切り深々と謝る。
ところが夢は「顔をあげなさい」と怒った様子は見られず、むしろ快く受け入れているような印象すらあった。
夢は誤解の無いように弁明する。
「そんなに謝らないで。創から状況は聞いているわ。私もあそこにいたら、新島さんと同じ選択をしていたもの」
「えっ―――」
彩理にとってその答えは予想外であった。
「創は皆を守ろうとして常に無茶をしてしまうの。『もっと守れるようになりたい』って言った時から、勉強も能力に対する訓練も、バイオツールの開発も―――すべてあの子が独りでやってきたことよ」
創の過去を知ってしまった彩理にとって、彼が人を守ろうとする行動すべてに意味という重さが加えられている。
「そうなん、ですか……」
「おそらく新島さんが守ろうとした時も、創の身体は限界を超えてしまっていたのかもしれないわ」
夢の推測通り、本来生身のヒトであれば致命傷なはずの傷を受けて、創は動こうとしていた。
「はい。明らかに動くことが困難な傷を負っていました」
「ええ。だからこそ、あなたは創を守ろうとしたのね」
こうするしかなかったと、彩理は無意識に正当化するように言い聞かせる。
「あの時は、ただ、純粋に創を助けたい気持ちでいっぱいでした」
夢にとって彩理という存在は、肉体が無事であると同時に、本来ヒトの肉体が崩れ
落ちるアンプルに適応したことで、新たな研究の第一歩を踏み出す要因を作っていた。
「でも、それがあなたの『クロロ』という現象の発生に繋がったのよ」
「なんだか、わたしと創って似ていますね」
過去の事象でも、創は強い意思を示して、クロロという力を出してきた。
「かもしれないわ。でも、純粋な気持ちだけじゃ、新島さんは死んでいたの」
「まさかわたしは、例外を持っているんですか?」
奇跡だと言わんばかりに夢は彩理へ不可解な事実を伝える。
「そのことなのだけれど、新島さんのお薬手帳を拝見させてもらったのだけれど、抗うつ薬のルボックスと睡眠導入剤のリスミー、どちらもクロロにつながる要素にはならなかったわ」
彩理の飲んでいる処方薬だけでは原因を突き止めることができなかった。
もやもやした頭の中を振り払いたい夢だったが、それが晴れるにはもっと多くの時間を要する。
「じ、じゃあ結局、原因はわからないままなのですか・・・」
「今の段階では、まだわからないわ」
暫くクロロの原因や今までに起こった身体の変化に対するやりとりを続けていると、研究室の電話が突如はやし立てるように鳴り響いた。
「はい、芦川です―――わかったわ。すぐ行く」
夕方から夜に切り替わる時間帯、彩理と夢は研究室をあとにした。
*
それはスフィア・プラント社から対象者を救助し、谷崎の病院へ運び終えた中村たちからの報告だった。
連絡を受け、彩理たちも病院へ急行すると、待合室で創とジルが複雑な表情をしながら救助者の身を案じている。
ふたりを見つけた夢は「なにがあったの?」と返答を待ちきれない様子だ。
「地下にいるはずのバイオロイドたちが、完全にいなくなっていた・・・」
「ホラー映画の実験室みたいでしたね・・・」
バイオロイド製造システムは復旧していたが、駆けつけた時には一切作動されておらず、多くの水槽の中に点在していた人型も全てさっぱり消えてしまったのだという。
「どういう、こと?」
彩理も理解しがたい反応を示す。
「あいつらはどうも、別の場所に移されたようだ。だけど、もっと信じられないことがあった」
その時、待合室へ人物の手当てと治療を受け入れた谷崎が合流する。
「二人とも来てくれたか。すぐ病室へ案内する」
救助者は独房のように管理された部屋の中で、靴底に隠し持ったポケットWi-Fiとスマートフォン、モバイルバッテリーを駆使して、中村のタブレットへ救難信号を送ったのだ。
谷崎が見守る中、彩理と夢も、その救助者と対面する。
それは恐怖と驚きで瞳の面積が小さくなる瞬間でもあった。
病衣を着る男性は、腕をカテーテルでつながれ、衰弱した状態から回復しているもの、それは彩理たちが戦った人物で、その時よりも痩せこけた姿をしたままベッドで横になっていた。
スフィア・プラント社の現社長の藤本泰久、その人だった。
「!?」
夢は声をうまく出せず、ただ口を手で覆って驚きを示している。
(なんで!? どうして!? ねぇ! 何が起こっているの!?)
彩理は病室の為声を小さくし、創とジルに耳打ちしたが、ふたりもまた、混乱している様子だった。
(見ての通り、です)
(何が起こっているのか、まだわからない……)
「社長、お身体は大丈夫ですか?」
ベッド傍の椅子に座る中村の問いかけに、藤本は応答する。
命に別状はないようだった。
「ああ。なんとかな」
彼は、自身の不覚を嘆くばかりだった。
彩理たちと目が合うと、驚いたように口を開き、必死で言葉を紡ぎ出した。
「君たちだな。秘書である彼から聞いた。すこしばかり話をさせてくれ」
憔悴している藤本を前に、夢は情報の共有も兼ねて断るわけにはいかなかった。
「ええ。わかったわ」
「本当に申し訳ない……君たちを、巻き込んでしまって……」
謝る藤本へ真っ先に言葉を返したのは創だった。
「気にしないでくれ。研究室へやってきたのは、あんたの偽物だったのか?」
創の言葉に察しの良さが含まれていたらしく、
「その通りだ、若造よ。先月からあの地下室へ閉じ込められていたのだ」
藤本は1ヶ月前に“アンソニー・セダスキー”と名乗る人物の支援を受ける交渉を進めていた。
国内の展開は概ね黒字が続いたが、海外展開を拡大して5年目、スフィア・プラント社は創業以来の大赤字へ転落した時に、彼は現れたのだという。
そしてあるとき、藤本はアンソニーによって地下に置かれた、シェルターという名の独房に閉じ込められる結果となった。
おまけにアンソニーは藤本と瓜二つの姿にまで変化し、誰にも気づかれることもなく経営を続けていたのだ。
牢獄は、最低限の食事と生活環境はあったが、徐々に精神は削がれ、肉体は衰えていき、仕舞いには食事そのものがなくなった。
すべてが限界まで追い込まれた時、非常時を想定して自らに備えておいた通信手段によって、中村たちをここまで呼ぶことができたのだ。
「あの時やってきた男はまさに“救世主”でな。業績の悪化し始めた会社を立て直すために賭けに出たのだ。その結果がこのザマだ・・・」
後方で腕を組み、真剣な表情から「やはりか」と呟く谷崎の声は話を付け加えた。
「世界に技術力で勝てなくなった大企業は、政府の手を借りて軍需企業へと転換せざるを得ない。会社を潰し、逃げることは容易だが、その下に多くの社員がいれば、食わせるものも消えてしまう。生き残るには社員を捨てるか、軍のために国の指示に従うか……」
過酷な現実に苛まれた経営者が選んだ道は、社員全員を守るための、苦肉の策だった。
ジルもまた、その現状を理解している一人であった。
「確かに、近年で法律は大きく変化しています。防衛としての兵器を所持する範囲も広くなりました。でも、そこに抗う余地だってまだあったと思いますよ?」
藤本の一言一句は、今までの過ちをなぞらえるだけの重みを感じる。
「そそのかされたのだ。次第に追い詰められ、打つ手も無くなりかけていた時に、この交渉が出れば、リスクをとってでも受け取ってしまう。欲に、負けてしまった」
自らの不甲斐なさを受け止めきれず、天を仰ぐ。
「救世主に、まさか幽閉されてしまうとはな」
自らを撃った人物だと思い、警戒していた彩理も、徐々に態度を軟化させ、意見を提示する。
「じ、じゃあ、わたしたちと戦っていた人は……」
「アンソニーって奴の仕業かもな」
創も考えるとおり、削除法でその人物しか考えることはできなかった。
「港町にある、会社の工場へ行くんだ。やつはその倉庫と工場を利用したいと行っていた」
藤本の紡ぐ言葉に、彩理と創の中で、ひとつの事実がつながった。
海の近く、水の箱、暗い場所。
港町の工場エリア、明かりを閉ざした暗い倉庫、その中にある水槽ということなのか。
創から長いあいだ遠ざかっていた人物。
二人のいる白い空間に出現し、救うことを望んだ女性。
(間違い、ないよね?)
彩理は改めて創に問いかける。
(間違いない。やつの目的は、エリシアだ)
創の告げた答えも、ひとつしかなかった。
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