第12話 拒否と警告

「――はい、分かりました――もし何かあれば、俺の方から連絡を入れておきます。では、失礼します」


 創がスマートフォンで谷崎と連絡を取り、通話を切った。


 時刻は十二時。


 この日は彩理の履修した授業はなく、代わりに夢に呼ばれ、念のため創と共に通学した。


 谷崎の話した通り、二日後にはテレビでよく見る起業家の男が学校のキャンパス内を視察するという、日常では到底ありえない異様な光景を目の当たりにした。


 権威のある人間ほど無意識に近寄りがたくなる。

 

 学生の中で彼らがやってくるという情報を知る人は少ない。


 谷崎曰く、黒スーツの集団は大学の門で待っていた初老の学長と起業家が握手を交わし、キャンパスを案内したあと、研究棟へ向かうらしい。

 

 周囲の学生に紛れながらスーツの集団を確認したあと、彩理と創は先回りして夢の待つ研究室へと向かった。


「恐れていたことが、起きてしまったわね」


 険しい表情をしながら話す夢先生も異変に気づいていた。


 普段から研究室内は書類や文献で山積みになっていたが、今日は一段と多い。


 過去の論文などを引っ張り出して来たのだろうか。


「特に俺たちは見つかるとまずいんだよな?」


 楽観的な創も、流石に危機感を示している。笑顔の多い創が、いつになく真剣な表情を私に見せていた。


「ええ――創と新島さん、どちらかが見つかっても危険よ」

 ある意味、彩理の命やこれからの人生に関わることになる。


 命に関わるのは二度目。


 しかし、最初の方は彩理が自発的に行ってしまったことだ。


 今回は、外部から三人が狙われている。


「どうしたら、いいですか?」


 彩理の脳内のキャパシティだけでは限界があるため、夢に問いかけた。


「そうね――二人ともこの部屋の中に隠れなさい。創、任せたわよ」


 夢は創と目を合わせ、アイコンタクトを取った。


 創もどうやら理解した様子で頷いた。


「あの手か。了解」


「研究室は狭くて確実にバレると思うんだけど・・・」


 一体、六畳程の狭い一室にどこに隠れ場所があるのだろうか。


「心配するなって、企業が狙っているのは母さんの方だ。母さんに釘付けになっていれば俺たちは死角の中に紛れることができる」

 

 自分の目の前で、いつもの笑顔を創は見せてくれた。


「うまくいくの?」


 彩理は何も聞かされてないため、尚更不安だった。


「まぁまぁ。見てなって」


 何も言わずに、彩理は従うことにした。


   *


「あなたが、芦川教授ですね? 代表の藤本です」


「どうも、お目にかかれて光栄です。藤本さん」

 企業の経営を担うリーダーが二人のボディガードを引き連れ、研究室にやってきた。


 企業の指示により研究室は窓を閉め、白いカーテンで外から見られないように隠した。


 視察を共にした側近の社員たちですら入れさせず、大学の門まで戻るよう指示したのだ。


 非公開の交渉を行う際、この例はありうるが、一般の学園でここまで規制がかかるのは異例だ。

 

 藤本泰久ふじもとやすひさ――年齢にして五十代だろうか。


 アスリートの連想させるがっちりした体躯にほぼ白い短髪、ダークスーツ。


 夢が藤本と握手を交わすのを、彩理たちは薬品棚の後ろから観察することにした。


 勿論、息を殺して。

 

 壁と薬品棚の間には1メートルほど空いており、やろうと思えば座ることも横になることもできる。


 今回は二人並んで立ち、壁に寄りかかりながら政治家と生物学者の会話をガラス越しに見ることにした。


(ガラス部分はマジックミラーだから、音を出さなければわからない)


(わたし、初めて見たよ。有名企業の人なんて)


(俺も。本当は一番出会いたくない人間だがな)


 バレてしまうのではないだろうかという不安に襲われ、心拍数が上昇していくのが首に手を当てなくとも分かってしまう。


 創は警戒しつつも冷静さを保っているが、彩理は冷や汗をかき、手足が震えてしまっている。

 

 当然ながら会話は非常に細く小さな声で話すことになる。


 呼吸すらもゆっくり行わなければ、聞こえてしまうような緊張感すらある。


「教授の研究は非常に有名ですよ。あなたの発表した細胞はあらゆる場面で活躍するであろうと」


 やはり目的のためなのだろうか、夢の研究のこともきっちり調べているようだ。


 この年齢の起業家にある思考は、私利私欲を優先的にプログラミングされ、それらの欲が漏れたら叩かれる――不思議な男性だ、と彩理は思った。


 すると夢が何の前触れもなく、質問を提示した。


「単刀直入に質問しますが、私の研究を軍事目的で使うのですね?」


 夢は何らかの理由で気づくことができたのかもしれない。


 しかし藤本という人物は、それを見越していたように笑みを浮かべていた。


「教授は非常に勘が鋭いですね。何か論理的な裏付けでも?」


「私が信頼する学会のメンバーから聞いたのです」


 夢もまた、独自のパイプを用いて調べていたようだ。


 藤本はものともせず、自身の要求を述べた。


「ほう。なら話は早い。我々は教授の開発した細胞を兵士に使用し、不死身の軍を作ることが目的なのだ。これは決定事項だ。資源の乏しいこの国の軍隊が不死身になれば、少ない兵力でも有効に戦えるのです」


 生き物の持つ「死」の権利を捨てさせてまで作りたいとは思わない。


 そう様子を伺っている創も一段と表情が険しくなっている。


「さぁ、協力してもらいましょうか、教授」


 藤本は夢を、言葉を使って握手を求めた。


「お断りします」


 夢の返事はすぐに返ってきたが、期待には添えない言葉だった。


「何だと! 私の意見に賛同できないというのか!」


「落ち着いてください。まだそう決まったわけではありません」


 思わず藤本が激昂しかけ、二人のSPが落ち着かせようと躍起になっている。


 ボディガードが藤本をなだめたところで、夢は会談を再開させた。


「藤本さん。落ち着いて聞いてください。残念ですが、まだ実用化を行うにはあと数年はかかってしまいます。私の研究の理論は構築しました。しかし、まだ人体への実験を行っていないのです」


 夢の反論に対し、動揺することもなく藤本はまた怪しげに口の左端を釣り上げた。


「あなたは嘘をついていますね? あなたの創り出した細胞で生きている人間がいることを――勿論、それが“あなたにはいないはず”の子どもだということも。ついでに助手を取らないはずのあなたが、生命倫理を犯し続ける研究に助手がいることもね……」

 

 夢も彩理たちも割り出されるだろうと知っていながら、すべての動揺を隠すことは不可能だった。


(畜生、こういう時だけ企業は仕事しやがって)


 皮肉混じりに悪態を付いた創。


 ますます不安になる彩理。


(どうしよう……)


(今はやり過ごすしかない。あいつらが帰ってからこれからのことを考えないと)


 創は右手で頭を抱えながらも思考を張り巡らせているようだった。


「やはり、割り出したのね……!」


 夢の表情までも険しくなっていた。


「ええ、どうしてもあなたに協力していただきたいのですよ――芦川教授」

 

 夢の歪んだ表情が変わらない。


 彩理たちもろとも、追い詰められているように感じた。


 しかし、何かを決心したためか一気に表情が和らいだ。


 戦うことを選んだ、強い母親の顔はここまで凛々しい表情をするようだ。


「それでも、私は協力しません」

 

 夢の意思は変わらなかった。


 今まで笑っていた藤本は真顔になり、同様に一つの決心をしたように思えた。


「そうですか、では覚悟しておいてください。我々は教授の研究を使い、目的のためなら手段を選びません」


「私は何と言われようと、この研究が正しいと信じます。あなた方のような起業家に、この研究を、技術を渡すことはできません」


「その言葉を最後まで貫けるといいですね。では、私は時間がないのでこれで失礼します。今後そちらには私ではなく、私の側近が向かうことでしょう。お楽しみに」


 ボディガードと共に帰っていく藤本の、品のない笑い方を残して研究室のドアは閉まった。


 夢はしばらく動かず、気を吐き、ただ立ち尽くしていた。


 スーツを着た三人組の足音が完全に消えたあと、彩理たちを呼んだ。


「創、新島さん、もう大丈夫よ。出てきなさい」


 彩理と創は合図が聞こえると、隠れていた薬品棚の裏から壁と同化した扉を開いて出た。


「お疲れ様、母さん。しかし厄介なやつらだな」


「ええ、地の果てまで追いかけてきてもおかしくないもの」


 確かに彼らの言動を見る限り、執念深そうだった。


「わたしたちがバレるんじゃないかと思うとハラハラしましたよ……」


「新島さん、うまくやり過ごせたわ。二人ともありがとう」


 夢は疲弊した表情を見せながらも、お礼を彩理たちに言った。


「俺と彩理ちゃんまでこんなに早く調べられていたのはヒヤヒヤしたよ。やつら、母さんのパソコンをクラッキングしたのかも」


 夢曰く、彩理と創の情報を知っているのは谷崎など、ごくわずかな人物しか知らず、それ以外はファイル名を全く違う名前に書き換えてあったらしい。


 経営者の手によって追い込まれているはずなのに、三人揃って安堵の表情を浮かべているのはなぜだろう。


「完全に逃げ場がないよね。一体どうしたら――あ!」


 思考はひとりでに「逃げ場がない」という言葉を反芻する。


 突然脳内でひらめき、すぐにアイデアを実践できるかどうかを三十秒ほどで計算し終わった。


「彩理ちゃん、何か思いついた?」


 彩理の中でもかなりの奇策だ。


 うまくいくかはわからないけれど、やるしかないだろう。


 思いついたアイデアに興奮していたが呼吸を整え、先生と創に彩理はアイデアを告げた。


「――どうせ逃げられないなら、こっちから行こうよ」

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