第11話 不穏な足音
「ただいま――」
「谷崎先生、それは本当ですか?」
「ああ、企業から技術提供の圧力をかけられている。まったく、利益を優先しよって」
研究室のドアを開けると谷崎先生が来ていた。
足腰に負担をかけないためにソファに座っている。
創は夢の使う椅子に腰をかけていた。
二人とも表情が深刻になっている。
「院長先生、こんにちは。ここに来るなんて珍しいですね」
彩理に気がついた谷崎先生は優しい笑顔を見せてくれた。
彩理も研究室内の脇にあった椅子に座った。
「おお、彩理さんか。久しぶりに会えて嬉しいよ」
「さっき来られたばかりなんだ」
「そうだったんだね――それで、どうしてそんなに難しそうな顔をしていたんですか?」
「さっき創くんと話していたのは、ちょいと大きめの会社がうちの研究室に交渉を求められていてね」
思わずキョトンとした反応を示す彩理。
「企業? どうしてうちの学園なんかに来る必要があるんですか?」
「彩理ちゃん、端的に言うと、母さんの持つ技術が最終的に兵器へ転用される可能性がある、ということだ」
「悪用される――?」
彩理はまだ事態のほとんどを飲み込めていない。
谷崎が口を開いた。
「ついさっきのことなのだが、連絡が入ったのだ。ワシの知り合いにいる法案に反対していた知り合いが『数日以内に芦川教授の研究に魔の手が伸びるだろう』と、伝えてきてな。ワシの推測が正しければ、企業は芦川先生の研究を使い、海外の軍事会社へ死なない兵士を作る計画を目論んでいる」
「そんな――まだ夢先生の研究は、理論がようやく完成して実験を行っていないんですよ!?危険です!」
はっきりとした研究内容や大型動物での実験もこれからだというのに。
「だからこそ、全力で止めにいかなきゃいけない。現段階では死なない兵士どころか体組織の維持すら、俺の飲む薬を使わなければすぐに砂になる」
二人曰く、恐れていた事態というのはこのことだった。
「あやつらの動向が怪しいと、わしは睨んでいたのだが、やはり当たっていたようだ」
「皮肉なことに技術というものは常に戦争によって発達していった側面もあるからね。今やどの国でもネットの世界でテロリストと国によるサイバー攻撃の応酬が続いている。政府は容赦なく報道規制をかけているから、それらをこじ開けるためにクライムハッカー、企業を守るホワイトハッカーが参加していたりするんだ」
「そんな……」
知らなかった。
創と谷崎が自分の国に起こっていることを聞かなければ、知らないまま日常を過ごしていたことであろう。
今この問題に気づくことができたのが一つの救いなのかもしれない。
「夢先生は、それを知っているんですか?」
「母さんは数年前からそうなるだろうと察知していた。最初に聞いたときは信じ難かったけれど、今になってそれが現実になったんだ」
創は表情を変えなかったが、内面では衝撃的なニュースだったはずだ。
「ワシから伝えておきたいことは、この一件で芦川先生だけではなく、創くんと彩理さんまで身元が割れ出すのが時間の問題なのだ。強制的に実験や研究者として酷な使い方をされるだろう」
彩理が創や夢に関与したことで、ここまで生活が一変してしまうなんて、思いもよらなかった。
良い方向にも、悪い方向にも。
「その時は、俺が責任をもって彩理ちゃんを守ります。勿論、俺自身も」
「創くんであれば、きっと正しい判断ができるだろう。ワシは生まれた時から君を見
てきた。どんなことがあろうと創くんを信じている。彩理さん、すべての判断を創くんに委ねて欲しい。頼んだよ」
「は、はい」
「ありがとうございます、先生」
「うむ、わしもそろそろ戻らないといかん。では二人とも、幸運を祈っている」
よいしょ、と谷崎先生はゆっくり立ち上がり、研究室を出て病院へと戻っていった。
「――信じられないよ、こんなことが起きているなんて」
「無理もないよ。俺だって母さんの言ったことが本当になるなんて思わなかった。それから、ごめんな。こんな厄介事に巻き込んでしまって」
「ううん、いいよ。だってこれはわたしが選んだことなんだ」
――むしろ創と一緒にいられることが嬉しい
彩理は思わず、ぼそりと呟いてしまった。
「ん? 何が嬉しいって?」
「な、なんでもない! なんでもない!」
創は地獄耳だった。すかさず彩理は本題に戻した。
「そ、それより、わたしでも自分の身を守る方法があるかな?例えば―――護身術みたいな」
創に聞いてみると、予想以上にあっさりと答えてしまった
「ああ、それなら隣の実験室へ行こう。彩理ちゃんでも簡単に使えるバイオツールのことを教えるよ」
創はデスクにかかっていた実験室の鍵を取り出した。
「――わたしでも使えるの?」
「ああ。本来、人はバイオツールに直接干渉することはできないけれど、強い衝撃を与えれば、化学反応を人工的に起こして使うことができる――早速やってみよう」
「う、うん」
一体どんな使い方をするのだろうか。期待と不安が混じりながらも、研究室の隣――実験室へと足を踏み入れた。
実験室は一見すると中学校などで見られる理科室をふた周りほど小さくしたものだが、壁には吸音材と衝撃吸収材を併用、窓には強化ガラス、天井には排気ダクトを設置してあるなど、水を入れた容器にナトリウムを入れるような危険な実験を行っても、ビクともしないほど頑丈に作られているのだ。
尚、扉上部には『実験中』と書かれた赤いライトを発光させておき、現在使用中だということを表す。
創は実験台の上に消しゴムサイズの小さなバイオツールを10個、サングラスを二つ置いた。
「うっし、これからちょっとしたテストを始める。まず彩理ちゃん、このサングラスをあげるから、かけておいて」
創の言われた通り、スタイリッシュでシャープデザインの黒いサングラスをかけた。
視界が大きく暗く変化した。創は既にかけてあった。
「かけたよ」
「そして、俺がこいつを床に叩きつけたら合図するから、五秒以内に耳を塞ぐこと――いいね?」
爆発系のバイオツールなのだろうか?
「創、もしかしてそれって――」
「ああ、閃光弾だよ。殺傷能力はないが、音と光が凄まじい。俺のそばにいれば大丈夫だから、落ち着いて」
「わ、わかった」
「いくよ――耳を塞いで!」
創が数メートル先の床に向かってバイオツールを叩きつけ、耳を塞ぐ。
即座に彩理も耳を塞いだ。
するとどうだろう――サングラス越しの視界には創に叩きつけられたバイオツールが跳ね返り、宙を舞いながら、発火し大きな爆発と眩しい閃光を実験室一帯に広げ、後には煙が残るのみだった。
そんな危険物が爆発したにもかかわらず、実験室はガラスにヒビ一つ入らなかった。
彩理と創は一度サングラスを外した。
「すごいだろ?」
「ちょっとびっくりした――耳塞いでいなかったら危なかったね」
「囲まれたりしたら、こいつを使ってから逃げるといい。10秒くらいなら足止めができる。それに跡形もなく消滅する仕組みだから、片付けは要らないよ」
「これを、わたしに?」
「そうだよ。彩理ちゃんもこのバイオツール何度か練習しておこう」
自分にできるだろうか――それを考えている時間はない。
早いうちに自分を守る術を身に付けなければいけない。
「――うん」
こうして残りのバイオツールで練習を始めた。
しかし、最初のうちはツールの節約と恐怖心の克服のため同じサイズの金属で練習を始めた。言うまでもなく、彩理が弱く投げていたが「強い衝撃を与えないと作動しないよ」と、創から真剣な口調で言われたため、恐怖心と戦いながら、何度も何度も床に強く叩きつけた。
「うん、これならうまく作動するよ。今度はツールで試してみよう」
再び二人はサングラスをかけた。
恐怖心はだいぶ改善されたが、非常に緊張する。
それでも、自分を信じてぶつけるしかなかった。
「てぇい!」
妙な掛け声と同時に思い切りバイオツールを叩きつけ、耳を塞ぐ。
少し前に創が叩きつけた時と同様に跳ね返り、綺麗な閃光と爆発音を響かせた。
「――成功だ! 彩理ちゃん、よく頑張ったね」
サングラスを外しながら創が歓喜の声を上げた。
「や、やったぁ――って、おわっととと……」
彩理はサングラスを外して緊張が一気に緩んだせいか、バランスを崩し、膝を折ってヘタリこんでしまった。
一時間ほどだろうか。
すっかり投げることだけを染み込ませた右腕が痛い。
翌日は筋肉痛になることだろう。終わった頃には
「これだけできれば大したもんだよ。研究室でお茶でも飲んで一息つくか」
「――うん、今日は疲れた……」
谷崎が伝え彩理たち狙われていることが、仮に起こらなくても、何も対策を立てないより遥かに良い。
彩理たちはこれから、見えない敵から身を守り、闘うことになるのだろうか――それはまだ不明確な憶測にすぎない。
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