第3章 兵器
第13話 命令は絶対
すっきりとした短髪で、スラッとした細い体躯を持ち合わせている彼は、頭を抱えながら書類の群れに目を通している。
今回調査にあたるバイオテクノロジーを伴った新製品の共同開発――否、それは表向きのプロジェクトだ。
裏では人体実験と兵器開発――あらゆる違法のエトセトラがびっしりと敷き詰められている。
自らがこの企業で勤務を始める以前から、藤本は経営の最前線を担う人物であった。
新たなプロジェクトが発足されるたびに社内で囁かれる不安や不満も、功を奏した
戦略で切り抜けてきた実績により、次第に払拭されていくようになったのだ。
スフィア・プラント社CEOの補佐役を務める彼は、絶対的な上官である藤本の意見を汲んで相手先の調査や大口取引のサポートをこなす、エリート社員として現在勤めている。
社長室に一人佇む中村の表情が曇る中、重厚な扉をノックする音が軽快に鳴った。
「入るぞ」
目的の大学へ、視察と交渉を進めていた代表者の帰還だった。
「社長。いかがでしたでしょうか?」
中村がいつもと変わらない社員としての対応を行う。
「いつも以上に難航している。今こそ君の力を借りたい」
老いた彼もまた、ただただ表情を曇らせていた。
この職場環境において、絶対的な実権を握る上司には、絶対的な服従が必要不可欠だ。
「承知いたしました。今までのデータを照会する限り、今回のプロジェクトの規模は国内の企業としても初の試みだと考えられます」
中村があらかじめ収集しておいた過去のファイルをまとめ、藤本に紙媒体として引き渡した。
藤本が書類を受け取ると、書面に目を向けて小さく頷きながら側近の問いかけに答える。
「そうだとも。この会社を軌道に乗せるためには、重要なことだ」
「はい。社長、私の行う役割を教えていただけないでしょうか」
「ああ、教えよう」
一瞬の間を起き、藤本が端的に告げる。
「君は新島彩理、芦川創――この二名を人質に取れ」
中村は言葉が出るよりも先に、表情に動揺が出現していた。
「なっ――正気ですか!?」
勢い余って、手に持っていた残りの書類を全て落とした。
「そうでもしなければ、あの女を挫くことなどできない。どんな手を使ってでも、こちらへ招くのだ」
今まで信頼を置いていた最大の上司が、別人のように経営方針を転換する。
本人の口から聞こえたのは、初めてのことだった。
「し、しかし、これでは社長も問題を追求されれば罪を問われます。マスコミにこのことが表面化したら――」
途中までの言葉を藤本は遮る。
「この時のために既に手は打ってある。コネは全て使った。今ならもれなく、君をこの世から跡形もなく抹消することだって可能だ」
どんな手を使ったのか、どんな裏があるのか、それは側近を勤める身でありながらも、全く不明である。
「中村君。頭のいい君ならこの状況を理解できるはずだ。受けてくれるな?」
上の命令は――絶対――。
言葉がよぎる。
「承知――致しました」
晴天のように機嫌の戻った上司と、険しい表情をさらに隠せなくなった部下が、社長室にはいた。
*
「まさか、わたしのアイディアに先生が賛成してくれるなんて」
彩理にとっては反対を覚悟される上での提案だったため、事の運び方に驚きを隠せなかった。
一方、創は乗り込む気満々で、両手のそれぞれ指の関節を鳴らしていた。
「ふふ、ちょうど私の知り合いが、あなたたちをバックアップしてくれるわ。その人を頼りなさい」
夢は好都合であるかのように彩理の提案に乗ったように思えた。
「母さん、それ誰のこと?」
彩理はともかく、創にとってもそれが誰なのかは不明なようだ。
「秘密よ。でも、決して悪い人ではないわ」
子どものいたずらみたく、何かを企んでいる節のある夢だった。
「それから。創、新島さん――これを持って行きなさい」
夢は、さらに医薬品らしきものを彩理と創へ渡した。
手に取ってみるとプラスチック製の単三電池ほどの大きさの細長い容器に何やら透明な液体が詰まっていた。
「先生。これ、何ですか? 小さな試験管のような形をしていますけど・・・」
彩理が親指と人差し指で長い方を持てるほど、小さい容器だった。
「これは改良した創の薬品アンプルよ。液体に変えただけじゃなく、修復時間も錠剤の半分になるまで早くなったのよ」
つい最近までの錠剤が嘘のように、目覚しい改良を遂げた薬がここにはあった。
「凄い。まさかこの時のためにアンプルを?」
あまりにも高度にチューンナップされた改良品に創もそれを疑うほどだった。
「まさか。たまたま完成するのが予定より早かっただけよ。ようやく作れるようになったから数は少ないけれど、ここぞという時に使って頂戴ね」
今までの錠剤タイプに加え、アンプルを創と彩理で五本ずつ、計十本を小さなビニール袋へ入れて持つことになった。
「あ、ありがとうございます」
「使わせてもらうよ、母さん」
やや緊張しながらポーチへ入れる彩理と、まるでピクニックでも行くかのように陽気にカラビナ付きのケースへしまう創だった。
「二人とも気を付けてね。必ず戻るのよ」
子どもの身を案じる母は信じて二人を送り出した。
「言われなくてもわかってる」
「では、行ってきますね」
二人はドアを開け、研究室を後にした。
*
見送りを終えた夢は「ふうっ」と息を吐いたあと、研究室の電話から別の人物への連絡を取った。
「―――あなたの出番よ」
『いえっさー!』
「――相変わらずね。頼んだわよ」
『お任せ下さいっ!』
電話の先にいる女性は、快活に夢の会話へ応答した。
*
彩理と創はやけに肌寒い空の下、それぞれカーディガンとジャケットを羽織り、スフィア・プラント社から指定された学園のエントランスへ向かっていた。
合流地点にはダークスーツに身を包んだ人物が現れた。
企業の秘書を担当しているらしい。
短髪に細い体躯。
名前は中村修也。
藤本よりもふた周り以上は若く、二十代後半から三十代と思われる。
社員として仕えてなければ、雑誌のモデルにもなれるほど男前な顔立ち、身長は創と同じか少し高いぐらい。
そして礼儀正しく、律儀な人間だということはひと目で理解できた。
「教授は多忙のようだが、君たちだけでも我々の計画を理解してもらいたい。共に我々の会社まで来てもらえるだろうか」
しかし、彩理も創も警戒心がそれで解けるまでの判断材料としては少ない。
この誘いは、よくドラマなどで使われる罠であろう。
彩理たちを拘束・軟禁するために遠まわしな言葉を用いている。
しかし、同時に相手の懐に潜り込み、情報を入手できる好機でもあった。
それを信じて、彩理たちは中村に同行した。
キャンパスから離れた場所の駐車場へと案内され、駐車されていたひときわ目立つ黒い高級車へ乗り込んだ。
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