ハルキ14.夢の続き

 おれは翌日まで学校を休んだ。反吐が出るほど不快で妬ましい夢が、片頭痛で疼く脳になんども蘇る中、おれはあの夢の続きが気になった。最低な好奇心ということではなく、琴音の自殺の理由が、佐川にふられたことと何か関係しているかもと思い立っただけだ。おれはインスタの、いまだに残っている琴音のアカウントを開く。一年以上前にほんの数回だけ、野良猫や買った飲み物の写真が投稿されているそこは、琴音が去っていった空っぽの部屋のようだった。おれは喉から物悲しさが迫り上がってくるのを堪えて大きく深呼吸をすると、彼女のフォロワーから佐川のアカウントを見つけて「フォローする」をタップ、勢いのままメッセージを開いた。


 佐川からは放課後の時間帯に返事が来た。

 その次の日、おれはようやく登校することにした。リビングに向かうと、洗い物をしている瑠美さんがほっとした笑みを浮かべた。

「おはよう、遥希」

「お、遥希、頭痛はもう大丈夫か?」

 義典さんが、洗面所から歯を磨きながらおれの様子を見に来た。おれは二人から顔を逸らして、マグカップに牛乳を注ぐ。


「今日から学校行くから」

「そう、良かった。ごはん用意してあるから、食べて行きなさいね」

「うん」

「いやあ、体調が戻って良かったよ」

 瑠美さんと義典さんは、おれに何も問わずに良かった、良かったと口にした。おれは牛乳を飲んで、目の前に出されたスクランブルエッグを咀嚼しつつ奥歯を噛み締めた。瑠美さんと義典さんの「良かった」は、誰にとっての「良かった」なのだろう。おれもここで、「良かった」と言うことができたら「良かった」のだろうか。




***

 約10日ぶりの学校は、琴音の死に場所だなんて思えないほどいつもどおりで、正門付近のイチョウの木から落ちた枯れ葉が、くすんだ白い校舎を掠めながら秋の弱い風に吹かれて舞い落ち穏やかだ。正面玄関に吸い込まれていく生徒の流れに任せて、おれは足早に教室に向かった。その途中、琴音のクラスにちらりと目を遣ると、彼女の机の上には小さな花瓶が置かれ、白百合が挿してあった。その献花の周りは不自然に誰も寄り付かず、まるで見えない壁があるみたいだった。

 ぼんやりとその様子を眺めた後、自分の教室に向かおうと視線を逸らしかけた時、献花の奥で窓にもたれる男子生徒と目が合った。その生徒、佐川宏翔は腕を組んでおれを見ていて、目が合うと穏やかに口の端を上げた。おれは彼から顔を背けて、逃げるように自分の教室に入った。


「なあ鹿嶋くん」

 昼休みにおれの席までやってきた佐川は、朝と同じような微笑を浮かべて、席に座っているおれを見下ろした。好青年という言葉がぴったりな彼は、目尻に少し皺を刻んで笑みを深くすると、おれの机に大きな手を添えた。一昨日公園で見た夢を思い出して、おれはその手をなるべく見ないように、佐川の顔をじっと見上げた。


「DMの件だけど、時間と場所どうする?」

「……なんでもいいけど」

 自分から連絡をとっておきながら、おれがぶっきらぼうに言い放つ。しかし佐川は、気にしない様子で斜め上を見て少し考えた。

「夜でもいい? いったん家に帰りたいから」

「うん。別にそれで」

「ありがと。じゃあ7時くらいに待ち合わせるとして、場所……は、おれ電車だから駅の近くがいいんだけど、鹿嶋くんって自転車通学チャリ通だよな?」

「いや、バイクあるから割とどこでも」

「まじ? それじゃ——」


 そう言って佐川が指定したのは、俺や琴音たちがよくたむろしていた公園だった。おれが思わず目を見開くと、佐川は笑顔のまま首を傾げた。

「どした?」

「なんでもない。……そこの東屋でいい?」

「オッケー。じゃあ7時にまた」

 佐川はひらりと手を一振りすると、明らかに動揺しているおれに構わず教室を去っていった。




***

 日が沈み切って上着越しにも冷たい空気を感じる頃に、おれは公園の土の匂いを纏った木枯しに目を細めながら、東屋で佐川を待った。

「悪い。電車一本乗り遅れてさ」

 約束から10分くらい遅れてやってきた彼は、おれに手を降りながら駆け寄ってきた。おれが東屋から降りると、佐川はその場に立ち止まり、おれたちは公園の歩道で対峙するような形になった。


「急に連絡もらった時、すげえびびった。秋村つながり?」

 想定以上に早く飛び出した名前に、おれは心臓大きく跳ね上がってうまく声が出てこなかった。からからから、と囁きながら、落葉がおれと佐川の足にぶつかりどこかへと走り去っていく。

 おれが何も話さないでいると、佐川がウィンドブレーカーのポケットに両手を突っ込み、話を続けた。

「秋村から聞いてた。鹿嶋くんと仲が良いんだって。だから正直、こんなことになって————」


「佐川」

 穏やかに、つらつらと淀みなく言葉を紡ぐ佐川が不気味だった。話を遮ると、佐川はぴたりと口を閉ざして柔らかい表情でおれを覗き込む。

「鹿嶋くん?」

「夏休み、琴音と出かけたんだろ」

 喉が震えてしまうのを必死に堪えて尋ねると、佐川はあっさり認めた。

「ああ……うん。夏休み前に仲良くなってさ。二学期になる前に二人で」

「出かけた……だけかよ」

「え?」

「琴音、何か言ってなかったか」

「あれ、聞いてなかった? 秋村とおれ、付き合おうって話になったんだ」


 皮膚は晩秋の冷気に冷え切っているのに、体の内側からじわじわと暑くなっていく。おれは息苦しさを感じて大きく呼吸した。佐川が頭の後ろを掻いて首を捻り、それからまた笑った。自販機の明かりを反射したその目が鋭くおれを捉えて、おれはその場に縫い止められたかのように動くことができず、声を絞り出して問い返すことで精一杯だ。

「琴音は、ふられたって」

「え、マジか。むしろ俺が避けられてたんだけど」

「なに、したんだよ」

「うん?」

「何をして、避けられたんだって聞いたんだ」

 琴音の人との距離感は独特だ。誰にだってすぐに近づくし、警戒心がまるでない。彼女が誰かを避けるのは、おれが彼女を罵ったときのように、自分に悪意が向けられた時だけだ。


「えーっと」

 佐川はぐらりと力なく空を仰いで、それから口元に手を当てて俯いた。おれが黙ってそれを見ていると、佐川はおれに向き直って口元の手をどけた。

 佐川は少し笑っていた。

「だって付き合うなら、普通じゃん?」

「嫌がってただろ」

 夢に見ただけなので、実際に佐川と琴音の間にどんなやりとりがあったのか、おれに知る由もない。そんなことが頭からすっぽ抜けてしまうほどに、おれは腹の奥で煮え始めた怒りに囚われていた。


 佐川は呆れた様子で嘆息すると、足元の枯れ葉を爪先で突いて、踏みつぶし弄びながら言った。

「嫌だなんて、言われてねえよ」

「見たらわかるだろ」

「見てないくせに何言ってんの」

「うるせえよ。お前のせいで——」

「何、おれのせいで秋村死んだの? 秋村から相手にされなかったからって、八つ当たりすんなよ」

 言葉に詰まってしまったのは、佐川の表情から笑みが消えたことだけが理由ではない、図星を指された気になってしまったからだ。

 佐川は靴底を強く地面に擦り付けて枯れ葉を潰した。おれは上着のポケットの中で拳を握った。

「つうか、向こうから寄ってきたんだから、文句言われる筋合いねえよ」


 そう吐き捨てられた瞬間、おれの頭は真っ白に、というよりは怒りで真っ赤に染まった。噛み締めた歯の隙間から溢れる荒い呼吸と共に怒気を孕んだ呻きが漏れるのを抑えられない。おれは佐川に掴みかかって突き飛ばした。

 佐川はふらりとよろけたけれど、倒れることはなかった。佐川はおれががむしゃらに掴みかかるのを引き剥がし、土塗れのスニーカーでおれの腹を蹴り飛ばす。後方に倒れた俺が起き上がろうと顔を上げると、外灯に霞んだ夜空を背にした佐川が間近に迫っていた。握りしめられた手の甲で頬を打たれて、口の中に錆びた味がする。


 それが何度か続く頃には、このまま死ねば楽になれるのかな、と思い始めた。

 遠くからパトカーのサイレンが響いていた。

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