ハルキ15.一緒にいてよ

 佐川は赤く浮かび上がるパトカーの奥に押し込められて連行された。おれは大丈夫だと言い張ったけれど、その場に残った警察官が頑なに譲らず、彼に瑠美さんの連絡先を伝えたのち、遅れてやってきた救急車で病院に運ばれた。


 一通りの検査と治療を終えて薄暗い受付に戻ると、がらんとした待合席の立ち並ぶ中で瑠美さんと義典さんがひっそりと寄り添い合っていた。彼らはおれと目が合うと席を立ち、瑠美さんが手を伸ばしてきた。肩に触れてこようとしたそれを、おれは身をよじって避けた。瑠美さんは何も言わずに手を引っ込めて。額を抑えて俯いた。

 それから、義典さんは受付で看護師といくらか話して治療費を払い、おれと瑠美さんを連れて車に乗せた。


「警察からね、事情を聞きたいから後日連絡が来るってさ」

 助手席でカーラジオから流れるお便りコーナーを聞き流しながら、闇に染まった田園を眺めていると、義典さんが運転しながら静かに告げた。

「……あと、ドラッグストアから万引きの被害届が出ているから、それについても遥希に聞きたいことがあるらしいよ」

「うん」

 万引きがばれたというのに、おれの心は全く波立たなかった。

 義典さんが、あぜ道の端に車を寄せて停車した。

「なあ遥希。何か、おれたちに話したいことがあるんじゃないのか」

「ねえよ」

「そんなこと、ないだろ」

「ねえんだって」

 話したいことなんて何もない。尋ねもしないくせに恩着せがましいその言葉が、殴られた傷とは別に、頭の内側から血管を疼かせる。片頭痛が冷静な思考を蝕んで波紋を呼ぶ。


「無いわけないでしょ…………」

 後部座席から、聞いたことないくらい低い声で、瑠美さんが呟いた。

「毎晩毎晩、どこにいるかも分からなくて、免許もないのにバイクに乗ってるって噂も流れて……!」

「瑠美、落ち着いて——」

「だからなんだよ」

 おれが義典さんの静かな声を遮って振り返ることもせず聞き返すと、瑠美さんは息急き切って捲し立てた。

「警察から大怪我したって連絡が来たと思ったら、万引きだってしてて! 一体何考えてんのよっ」

「なんだっていいだろ」

「いいわけないでしょ、どうして何も話してくれないの!」

「何も分かんないだろ!」


 叫ぶと、しん、と静まりかえった。「つづいて、最後のお便りですっ」とパーソナリティの底抜けに明るい声が遠く聞こえた。

「遥希——」

「触んなよ!」

 おれの腕に触れた義典さんの指を振り解いて、狼狽えてわずかな星明かりに揺れる瑠美さんの瞳を睨んだ。おれの視界も熱く揺れ始める。

「話しても分かんないだろ。周りの奴らがみんな死んでく、おれのことなんか……!」

 どうしておれは、他の誰もが当たり前に持っているものすら、指の隙間をすり抜けて逃してしまうのだろう。

 頭が割れるような痛みが増して、言葉にしきれない本音が頬を伝っていくのを感じた。


「お前らみんな、おれを憐むか死ぬかのどっちかだ!」

「遥希、ごめ——」

「触んなっつったろ」

 瑠美さんの指を叩き落とすと、彼女の目から光の筋が落ちていった。

「おれなんかのこと本当はどうだっていいくせに! じゃあもう放っといてよ、半端にいい人ぶるな!」

 ずっと傍にいてもいいんだと、期待させないでほしい。期待は必ず裏切られるのだから。そう思うのに、喚きすぎて意識が朦朧とし始めても、感情がおれの喉を割り裂いていく。まるでまだ、何かを聞いてほしいと言わんばかりにおれの口は勝手に動く。


「お前らも、親も、琴音も大嫌いだ! 大嫌いなんだよ! みんな死ね、死ねよ……!」

 義典さんがおれの肩を強引に掴んだ。息を切らした俺が言葉を止める。「それでは今日はこの辺で」湿っぽいピアノに合わせて、ラジオパーソナリティの声が響く。

 義典さんは険しい表情だ。おれは咄嗟に目を閉じて顔を伏せた。


「————分かれなくて、ごめんな」

 抵抗するおれの頭を強引に自分の肩に押し付けながら、義典さんは声を震わせて呟いた。

「離せよ」

「離さない。ごめん、ごめんな遥希。僕は分からない、分かってあげられない。でも……理解したいから」

 話してくれてありがとう。話させてごめんな。

 義典さんの言葉はほとんどかすれて声になっていなかったけれど、確かにそう聞こえた。


「皆さん、また来週」ラジオパーソナリティが別れを告げる。

 義典さんの厚い掌と、瑠美さんの細い指が、嗚咽して上下するおれの背を撫でた。


 流れっぱなしのラジオから、煤を払うあの声がノイズ混じりに鼓膜を震わせた。





鹿嶋遥希の自暴 了

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どうか夢に堕ちて ニル @HerSun

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