ハルキ11.夢見心地の一日

 夏休みが明けてからも、琴音はこれまでどおり、おれが誘えば夜遊びに付き合った。そうとはいえ、おれの方が遠慮と気まずさで琴音と顔を合わせづらく、会う機会自体は減った。

 琴音といる時、おれはつい佐川の話題を避けるようになり、琴音から佐川と出かけた日のことを聞いていなかった。当の琴音は浮かれている様子はなく、かといって落ち込んでいるわけでもないので、結局佐川とうまくいっているのかどうかは判別しづらかった。ただ、琴音は人との距離感が独特であるし、おれが思っていたよりも佐川に強く惹かれていたわけではなかったのだろうかと、そんな予想とも都合の良い期待とも取れる考えが過ぎるようになった。


 9月も終わる頃に琴音から「文化祭一緒行こ」と連絡が来たことで、おれはそんな都合の良い期待に拍車がかかった。佐川と一緒に行かないのかと聞いてみたかったけれど、高校最後の文化祭を琴音と一緒に過ごすチャンスが潰えるかもしれないと即座に思い直して、おれは「いいよ」とだけ返信した。


 おれと琴音は、2日目の昼頃から一緒に文化祭を見て回ることになった。夏よりも遠く淡くなった秋の快晴の下、学内はどこもかしこも人で賑わっている。校舎の中は色とりどりの風船や花飾りであふれていて、どこも自分のクラスを一番目立たせようと教室の前に個性様々な看板を立てている。すれ違う生徒たちは、制服の上からそれぞれのクラスのTシャツを来て一様に笑顔で廊下を行き来している。校舎も生徒も浮き足だって現実感がなく、おれたちの高校とは似て非なるパラレルワールドにでもやって来た気分だ。

 おれは隣を歩く琴音を盗み見た。彼女もまた、パーカー——夏用のものではなく、少し大きめの薄桃色の裏起毛素材のものだ——の下からクラスTシャツを来て、心なしか上下に跳ねるような足取りで、浮かれているのが見て取れた。


「中学の時にね、たまたまラジオで聞いてすごく感動したの。CDは買えてないんだけど、ライブの動画探して何度も聞いてるんだ」

 琴音は、実行委員会が配布している舞台展示のタイムスケジュールを見ながら声を弾ませた。一般開放日である今日は、うちの学校では結構有名な女子生徒がクラス劇の幕間に出るらしいと、少し前から話題になっていた。琴音はどうやら、それを生で見ることを楽しみにしているらしい。


「今から?」

「2時50分からだって。あと2時間くらいある」

「じゃあ一個前の劇から観に行く?」

「うん! ねえ、その前にパンケーキのカフェ行ってみたい」

「あー、何年何組?」

「2年生だったはずだけど。パンフ見てみるね」

 それから、おれは琴音に案内されるままに、どこか夢見心地な光景が広がる賑わった廊下を歩いた。


 琴音が行きたいと言っていた2年生のパンケーキカフェは、窓やテーブルの隅にハイビスカスを飾っていて、黒板にはチョークを駆使して青空と砂浜のイラストが描かれていて、ハワイがテーマであることがわかった。

 頭にハイビスカスを付けた女子生徒からメニューを受け取ると、琴音は周囲をきょろきょろと見回した。

「なんか探してんの?」

 尋ねると、琴音は残念そうに口を尖らせて唸った。

「このクラスにめっちゃ可愛い子がいてさ、昨日この教室の前を通った時はウエイトレスやってから、また会えるかと思って」

「おっさんかよ」

「違うの、遥希にも見せたかったの」


 おれたちが言い合っていると、水を持って来た男子生徒が苦笑した。

「もしかして糸賀のことですか? あいつ、今日は午前中に店番だったんですよ」

「なあんだ」

 男子生徒の言葉に、琴音はがっくり肩を落としつつも、貝殻や熱帯魚のイラストが添えられたメニュー表を眺め始めると、その口元に笑みを取り戻し始めた。

「お前、ゲンキンなやつだよな」

「ええ何それ? それよりさあ、遥希は何頼むの?」


 おれたちはそれぞれ、一番おすすめとされているバナナパンケーキを注文した。

 パンケーキと言っても、文化祭クオリティとでも言うべきか、薄いホットケーキにスライスしたバナナとホイップクリーム、チョコシロップがトッピングされた手作り感の溢れるものが出された。正直に言うと、家で瑠美さんが作るホットケーキの方が美味しいが、文化祭で琴音とパンケーキを食べていると言う事実が、紙皿に盛り付けられたそれの価値を何倍にも底上げしていた。


 パンケーキを食べながら20分くらい時間を潰したおれたちは、展示教室に出入りしながら何をするでもなく騒がしい廊下を歩いて回った。

「ねえ、琴音」

「うん? なに」

「佐川と文化祭、行かなかったのなんで?」

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