ハルキ10.割り切りきれない
「遥希、遥希聞いて。ほらこれ」
聞いて、と言いながら、琴音はスマホの画面を見せつけてきた。
「宏翔くんから、夏休みのうちに遊ぼって」
しかも全く聞きたくなかった報せだ。
8月2週目、外出が死ぬほど億劫な猛暑日の夏休み終盤頃、珍しく琴音から昼間に呼び出されて、おれは彼女の団地から徒歩数分の距離にある大型スーパーのフードコートまでバイクを走らせた。おれたちはすみっこのカウンター席に並んで座り、琴音はちっちゃな紙コップで無料の水をしばきながら、甘酸っぱいDMのやりとりに目を輝かせている。おれは琴音と食べるために買ったLサイズのポテトフライを3本まとめて口につめて、リアクションを取らなくていいよう喋れないふりをした。しょっぱい旨みが口の中を満たしていく。
「やだなー、夏休みあと1ヶ月もないよ。予定合うかな?」
「いや、再来週から登校日だよ」
「うそ!?」
琴音がスマホの液晶から目を離して、おれに詰め寄った。あまりに急だったので、おれは思わずのけぞって琴音の顔と距離を取り、その拍子にポテトをつまらせた。驚いて背をさすろうとする琴音の手を制止して、おれは一息つくと自分の紙コップに口をつけた。
「嘘じゃないよ。3年は再来週の月曜から受験に向けて特講あるだろ」
登校するかどうかはさておき、3年生でなくとも耳にしたことくらいはあるだろうし、把握していて当然のことである。しかし琴音は、全くの初耳であるかのように「あちゃー」と口を開けたまま呆然としていた。
「なんかあんの」
「何かあるわけじゃないけど……ママに言ってないってだけ。ママ、9月まではあたしが家事できると思ってるからなあ」
琴音は細長いポテトを少しずつ噛み進めながら、がくりと項垂れた。痛んで毛先がばらついた髪が油まみれの指にくっつきそうな様子に、おれは思わず世話を焼きそうになり、そして踏みとどまった。
「髪の毛耳にかけろよ、汚いから。ほら、手拭いて」
「ありがと」
素直に聞き入れた琴音は、それでもどこか上の空で消沈しているように見えた。その姿を見ていると、さっきまでは聞きたくないと思っていたのに、おれは余計な気遣いをしてしまう。
「話戻るけど、佐川と会うのいつにすんの」
尋ねると、琴音はぱっと顔を上げて耳を真っ赤にした。
「自分から提案して、ウザくないかなあ」
困り眉だが、口角は上がっている。やぶさかではない様子に、おれの心はちくちくと痛みながらもほっこりと暖かくなって、感情の処理が自分でも追いつかない。それを悟られないようにと、おれは琴音から目を逸らして、水を飲んだりポテトに手を伸ばしたりした。
「別に、佐川から誘ってきたんならいいんじゃないの」
「じゃあ遥希も一緒に返事考えよ」
「めんど」
「ねえ、お願いお願いお願い!」
そう言って、琴音はおれの腕を揺さぶった。屋内のエアコンで冷えた琴音の指先が、おれの二の腕をぎゅうっと掴んでいる感触に、耳の淵がぼんやりと熱を持ち始めるのを自覚した。
「わかった、わかったよ。痛いからやめろって」
本当は痛くなかったけれど、ばれる前に耳を放熱したくて早々に降参した。琴音が小さくガッツポーズをして、自分のスマホの画面をおれに見せてくる。
「遊び行こう、って言われたら、「行きたい」って返したらいいの?」
「そこからかよ。別になんでもいいんじゃないの」
「ねえー、ちゃんと考えて」
わざと嫌な返事を考えてやろうかな。
そんな下衆な考えが脳裏をよぎったが、横目で、佐川とのやり取りの経過を眺める楽しそうな顔を見てしまい、そんな思考は頭の片隅に丸めて放っておくことにした。理想通りでなくてもいいから、このままの距離でいいから、こうして横目で彼女を見つめることができる立ち位置を維持しよう。おれはそう思うことにした。
***
それが、先週の話。
結局、フードコートでは日程を合わせようという話で、琴音と佐川のやり取りが止まったけれど、その後、2人はとんとん拍子に出かける予定を立てたらしい。後日、日程が決まった時に琴音から意気揚々と佐川とのやり取りのスクショ付きで連絡が来て、おれはその事実を受け入れざるを得なかった。そして今日が、その当日であるはずだ。
正午頃、一人で悶々としながらスマホでゲームをしていることにも限界を感じたおれは、柄にもなく自分から雄輔と明仁に連絡を取った。おれたち3人は今、学校から一番近い駅前のファミレスに集っている。
「そんなに嫌なら止めろよな」
雄介はハンバーグを頬張りながら、行儀悪くおれをフォークで指し示して笑った。
「できるわけねえし」
おれは雄介の茶化した言葉に眉根を寄せて、氷が溶けて水っぽくなったコーラを飲み、食べかけたままのカツカレーを口に運んだ。
「でも俺、遥希と琴音はそのうちくっつくと思ったんだけどなあ」
明仁は、つい先ほど運ばれてきた期間限定の冷やし坦々麺をかき混ぜながらぼそりと呟いた。今となっては自惚も甚だしいが、おれだってそんな淡い期待を抱いていた頃もあった。
「つうか佐川宏翔って。琴音もレベル高いやつ狙ったよな」
「琴音は別に、狙ってるとかじゃない……と思うけど。遊びに誘ったのは佐川だし」
さりげなく琴音に失礼な明仁のぼやきに言い返すと、雄介がつけあわせの丸い人参をフォークで転がすのを止めて顔を上げた。
「あれ、そうなの? 佐川と琴音って仲良かったっけ」
おれは思わず、大袈裟に首を横に振って見せた。仲の良さで言えば、おれの方が断然上だという自負があった。今更、そんなことを声を大にして言い張ったところで惨めなだけなのも分かっているので、代わりに鼻で笑って冷めかけたカレーを頬張る。
「いやあ、あいついじめられてるから、佐川くらいしか声かけてくれるクラスメイトがいなかったんだよ。たぶんそれが理由」
「あー、琴音ってやっぱそうなんだ」
「女子こええ」
実際にその現場を見たことがないからだろう。明仁と雄輔はどこか他人事であった。おれは二人の呟きを耳に、なんとなくスマホを手に取った。お呼びですか、と言わんばかりにぱっと明るくなった画面には、琴音からの連絡通知が来ていた。
「どうしたー」
雄輔の問いを無視して、おれはスプーンを咥えたまま画面を見つめた。「今待ち合わせ中 めっちゃ緊張する!」の文字列に、口の中のカレーはその辛味どころか、味までもが失われていく。おれが動きを止めたことを不思議に思ったのか、隣に座っていた明仁が無遠慮におれのスマホを覗き込んできた。
「うわ、琴音からだ」
「無視しろ、無視」
二人のからかう声もまた無視して、おれはスマホの画面を伏せて泥みたいになったカレーを咀嚼した。
「あ、そうだ遥希」
ファミレスから出る時、先に会計を済ませて外に出ていた明仁が、振り向きざまに言った。
「なに」
「まじで佐川ムカつくんなら、手ぇ貸すよ」
「……どういうこと?」
明仁の意図が分からずおれが立ち止まると、彼はヘルメットをボールのように回して弄びながら、にやりと笑った。
「シメるんなら俺も一緒に行くよ」
「ばっかじゃねえの」
物騒なことを抜かす明仁に、おれは引きつった笑みを浮かべながら吐き捨てた。雄介もまた、呆れ顔で明仁を見ている。明仁は声をあげて笑うとヘルメットを被った。
「ウソウソ。お前そんなことやんないしな」
「お前もやるなよ」
「やんないよ。就活だってしなきゃだし、もう問題起こせねえわ」
じゃあ、バイトあるから。明仁はそう言って去っていき、おれと雄介もまた変えることにした。おれは明仁から借りたバイクに乗る直前に、もう一度スマホを確認した。何も通知がきていないことにほっとする反面、琴音が何をしているのか気になってしまい、先ほど食べたカツカレーの重たさも相まって胸焼けがした。
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