ハルキ6.渇いた夜

 放課後になると、明仁から夜に集まるかと連絡があった。おれは用事があるからとそれを断って、琴音に夜に会おうと連絡した。

明仁あっきー雄輔ゆーくんは?」

「今日はナシだって。アイス買ってこうぜ」

 自分で断ったくせに適当嘯いて、おれは団地前の自販機付近で待っていた琴音を迎えた。


 明仁や雄介に見つかっては気まずいので、いつもの場所とは別の、もっとこぢんまりとした公園で過ごすこととした。おれたちは行きがてらコンビニに立ち寄り、おれはソーダのアイスキャンディーを、琴音はパウチに入った飲むバニラアイスを買った。公園のベンチはふやけた落葉と泥で座れたものではなく、琴音はブランコに、おれはそれを囲む低い柵に座って一息ついた。いつもの公園よりも小さく、手入れのなされていない木々の黒い影が鬱蒼とおれたちを取り囲んでいて、この場所を選んだことを少し後悔した。人気のないところで話したかったけれど、こんなに不気味で気が散るなら、コンビニの前でたむろしている方がマシだったかもしれない。


「ねえ、遥希のアイス、ちょっと齧らして」

 右手でバニラアイスを吸いながら、左手をこっちに差し出されて、おれは昼間から抱えている悶々とした感情が危く吹き飛びかけた。

「は? いやだよ」

「あたしのも飲ますから」

「いらないし。お前人に食べかけとか飲みかけあげたり、ねだったりすんの、やめろよ」

「どうして? 友達同士ならいいじゃん」

 彼女なりに人を選んで行動していることが分かり、おれは少しほっとした。しかし同時に、「友達」の二文字が頭のてっぺんを殴りつけるような衝撃を持っておれに襲いかかった。友達、おれは琴音の友達か。まあそうか。間違っていない。


「じゃあ、佐川にも同じことすんの」

 こんな、売り言葉に買い言葉みたいなやりとりの中で、確認するつもりはなかったのに、口の滑りが絶好調で止められなかった。琴音は話についていけずに、アイスの飲み口を噛みながら小首を傾げた。

「佐川宏翔。今日の体育の移動時間に話してたじゃん」

 とはいえ、「話していた」というほど何かやりとりをしていた様子はなかった。しかし琴音は、数秒間を空けて、それから公園の侘しい外灯にほんのり照らされた顔を綻ばせた。聞かなきゃよかった。

「佐川くん! なんかね、助けてもらったの」

「ぶつかってきたの、あいつらじゃん」

「違うよお。あたしがぼーっとしてて佐川くんの友達に気づかなかったの。そんで、コケそうになったらね、佐川くんがバッって……」


 聞きたくない。

「びっくりしたけど、ちょっとドキってしちゃった。片手でぐって引っぱられてさ。佐川くん、何も悪くないのに「ごめん」って謝ってくれて……」

「そんなの、ぶつかったあっちが実際に悪いんだから、謝って当然だろ」

「そんなことないよ。自分でやっといて、謝らない子もいるよ」

「佐川のことめっちゃ庇うじゃん。好きなの?」

 聞きたくないって言ってるだろ、おれの馬鹿。


 琴音は、春よりも長くなった髪を手前に寄せると、前髪をいじりながら俯いた。おれと遊んでいるときに、前髪なんて気にしたことないくせに。

「好きとか、わかんないけど……カッコいいなって思うけど……」

 琴音は思っていることを誤魔化せるほど機転は利かないし、嘘もつけない。だから、そうやって戸惑いを滲ませながらも訥々と零れ出る言葉が、彼女のありのままだということを思い知らされた。

 胸を押されて突き飛ばされた気分だ。それか、今本当に一緒にいたいのは、お前じゃないんだと言われた気分だ。はたまた、お前の献身はもういらないと言われた気分だ。いずれにしても最悪だ。


「無理じゃね」

 最悪な気分に、と思った。だからおれは、同じくらい最悪な気分にさせてやりたいがために吐き捨てた。


「あん時のお前、見ててヤバかったわ。猫背で髪ぼっさぼさで」

 一度放たれた悪意の吐瀉物は止まらず溢れ出る。

「てか、ちょっと優しくされただけで一目惚れとか、チョロすぎんだろ」

「遥希、え、何……」

「佐川にとっちゃ、挨拶すんのと同じノリだろ。それとも、お前に優しくすんのって佐川くらいなん? じゃあ勘違いしても仕方ないか」

「か、か、勘違いしてないもん。ねえ遥希、どうして」

「そんなチョロいと、変な奴に付け込まれるぜ。あ、でもお前鈍いから呑気に付き合いそうだよな。お前の母親みたいに」


 そこまで暴言を羅列して、おれは我に帰った。いつのまにかブランコから腰を上げた琴音に気付いて、おれの沸騰した感情がさあっと冷めてゆく。

 琴音の頬が、微かな外灯の明かりを薄く反射する。その光の筋をパーカーの袖で何度も、何度も拭いながら、琴音は無言で立ち尽くしていた。

 おれは琴音が口火を切るのを待った。おれからは、何を言っていいのか分からなかった。ヒドイと非難するか、もう嫌いと怒るか、お母さんは関係ないと正論を突きつけられるか。そうしたら、謝るきっかけができる。


「ごめんね」

 おれが言いたかった言葉を、琴音は奪い取って泣きじゃくった。


「なんで謝ってんのか、分かんないくせに謝んなよ」

「ごめん、ごめんね。怒んないで」

 傷つけたのはおれなのに、謝っているのは琴音という捻れた状況に耐えられず、おれは柵から腰を上げてバイクの方へ向かった。

 バイクに鍵を差して回す。そしてヘルメットを被っても、琴音が寄ってくる気配はない。

「…………おい」

 燻っているエンジン音にかぶせて、立ち尽くしたままの彼女を呼ぶ。ここから徒歩で琴音の家までは、一時間近くかかる。


 言いすぎた、ごめん。送るから帰ろう。

 おれは散々喚き散らしたのに、まだ、そんな風に素直に折れるだけでは溜飲が下らなかった。どうしておれが怒っているのか、分からないままに謝り続ける琴音が腹立たしかった。

「どうすんの、帰るなら乗って」

 最低な言い方なのに、それでも琴音は恐る恐るおれに近づいて、ぎこちなくバイクの後部に跨った。罪悪感よりも、拒絶されなかったことへの安堵がおれの胸いっぱいを満たす。


 おれはバイクを急発進した。慣性で体が後方に引かれながら、公園を走り出る。琴音が力いっぱい、こっちが息苦しくなるくらい懸命にしがみついている。胸の下に絡みつく細すぎる腕の感触が、どうしようもなく嬉しい。

 けれど、こんなにも縋り付いてくるのに、彼女はおれが思うようには想ってくれない。琴音の腕は、おれの想いと同じ温度ではない。たかが二人乗りで舞い上がって、馬鹿みたいだ。


 訳がわからないまま膨れ上がる感情が眦から溢れて、田園の青臭い風に乾いていく。おれは鼻を啜る音が万が一にも琴音に聞こえないように、アクセルを回してスピードを上げた。

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