ハルキ5.晴天の霹靂

 琴音と出会って数日もしないうちに、おれは断られた時の自分への言い訳を何通りも用意した上で、琴音を夜遊びに誘った。彼女はその数十分後にあっさりと誘いに乗っかり、明仁も交えて深夜を共に過ごすことが増えた。おれが明仁からバイクを借りたり、バスケ部を辞めた雄介が加わったりするのは、高校2年の年末頃だった。


 もともと素行が悪い明仁、部活での挫折からやさぐれた雄輔、誰からも腫れ物扱いされるおれ。そして琴音もまたその行動の端端や、異様に近い距離感と学校での物静かな態度のギャップを見ていれば、無邪気な振る舞いの背後に仄暗い事情が蠢いていることを察するに余りあった。それでも、おれたちは互いの事情を深く追うことはしなかった。何を言っても互いに傷つくような気がして、誰も触れようとはしない。おれたちは、誰に傷つけられる心配もない、そんな場所が欲しかったんだと思う。おれたちにはおれたちしかいない。そんな奴らの寄せ集めだった。


 そういう爪弾き者だから、おれは学校に明仁たち以外の友人どころか言葉を交わす相手もいない。おれたちは皆クラスが別で(たぶん、高2頃から連み始めたおれたちを同じクラスにしないよう、教師どもが図ったのだろう)、そもそも、騒ごうものなら他生徒から白い目で見られて不愉快なので、おれたちは校内で顔をつきあわせることはほぼない。


 そうはいっても、最近、つまり7月初めに席替えをして、窓際前から3番目の席になったおれは、密かに習慣となったことがあった。

 水曜日の3限目前の10分休憩、琴音のクラスが体育のために校舎と体育館をつなぐ渡り廊下を行き来する時間だ。別にばれるはずない距離なのに、ついつい息を殺して窓の外前方に見える渡り廊下の往来を観察した。


 やがて、中学生にも見える女子生徒の姿——琴音が歩幅狭く廊下を歩いていた。薄手のパーカーではなく、上だけ学校の指定ジャージを着ていて、そのぶかぶか具合に短パンから晒される足の細さが一層際立ってしまっている。今日はひとりか。おれが安堵しかけると、彼女の背後から3人組の女子の集団が駆け寄ってきた。


「…………」

 おれはその様子を見て口元をひき結んだ。女子生徒集団は、琴音の両脇を走り去る間際に、彼女の髪の毛を犬にそうするようにわしゃわしゃと撫で回していった。琴音は肩を縮こまらせてじっと固まる。締め切った窓の奥から、女子生徒たちの甲高くて聞くに耐えない笑い声が聞こえてくる気がした。


 琴音は、女子生徒たちが去った後も数秒の間は固まって動かなかった。動き出したかと思えば、ぼさぼさになった髪の毛をぎこちなく触りながらとぼとぼ歩くものだから、背後からふざけ合いながらやってきた男子生徒たちのひとりに衝突してしまう。今度は、相手に意図がない分容赦無くぶつかり、琴音の小さな体が空き缶のように軽々倒れかける。


 しかし、その体は男子生徒の一人によって支えられた。遠目からでも分かる、彼は元野球部、琴音と同じクラスの佐川宏翔だ。彼はふらついた琴音の腕を掴んだまま、ぶつかった男子生徒に笑顔で咎めている様子だった。琴音は、ぶつかった方の男子生徒が軽い調子で頭を下げているのを一瞥して、それから自分を助けた背の高い爽やか男子をじっと見上げた。彼が琴音の視線に気づき、片手を顔の前で立てて謝る仕草を見せると、琴音は勢いよく何度も首を横に振った。

 男子生徒たちが去った後も、琴音は体育館の方を見つめてぼんやりと立ち尽くしていた。やがて3限目開始の鐘が鳴る。


「ほらー、席つけー」

「起立」

 数学担当教師がやってきて、おれのクラスの日直が号令をかける。琴音は慌てて駆け出して、体育館の中に入って行く。顎を上げ、背は先ほどよりもぴんと伸び、そして足取りはふわふわと軽やかな様子だった。

「鹿嶋ぁ、号令かかってんぞー」

 教師が注意するのも無視して、おれは琴音が去った渡り廊下を見て呆然としていた。


 琴音がクラスメイトに絡まれただけだ。それでも、佐川宏翔に対する琴音の一挙手一投足が、まるでおれの知らない誰かのように感じる。片頭痛がおれを蝕む。

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