ハルキ7.ひとりぼっちのふたり
帰宅するなりベッドに身を投げ出して、枕で涙腺に蓋をしながらじっとしていた。頭の中は琴音への不満と罪悪感と優越感と苛立ちで思考が騒々しいのに、体は呑気なもので、いつの間にか眠りに落ちていた。
部屋のドアを開ける音で目が覚める頃には、締め切ったカーテンの裾から真夏日の日射が差し込む時間帯となっていた。
「遥希、体調悪いなら、あたし仕事休もうか?」
瑠美さんが気遣いをにじませて囁く。仕事に出かける時間ということは、今は午前9時半くらいだろうか。
俺はシーツを頭までかぶって、「いい、一人で」と瑠美さんの申し出を断った。
「でも、もし熱あったら病院とか」
「いいって。病院も行かねえし」
「そう? ……けど、遥希やっぱりちょっと変よ。一応熱測ってから——」
「だからいいって言ってんじゃん!」
シーツの中で横になりながら膝を抱えて怒鳴ると、耳鳴りがするほどの沈黙が漂った。
「——そう、分かった。でも、保険証は一応テーブルに置いとくね」
瑠美さんは穏やかに告げ、おれを残して部屋から遠ざかっていった。やがて玄関ドアの開閉が聞こえると、途端におれの周囲から音が消え、時間が止まったようにさえ感じられた。冷房が効きすぎて寒かったけれど、頭痛と眠気で机に置きっぱなしのリモコンを撮りに行くことが億劫で、おれはサナギみたいにシーツを体に巻きつけて目を閉じた。
寝ているような、起きているような、曖昧に浮遊した意識状態のまま時間ばかりがすぎていって、いい加減眠れそうにないことを感じ始めたのは、午前11時前だった。
「だっる……」
ベタついた顔を手で覆いながら起き上がると、おれは着たままだった制服のシャツのボタンを外しながら部屋を出た。手短にシャワーを浴びて、洗濯された制服のシャツに着替える。ついでに洗面台で歯を磨いていると、嫌でも静けさが過去の記憶を呼び起こす。
人の気配のない家というのは、おれにとっては廃墟や墓地よりもずっと不気味なものだった。なるべく浴室を見ないようにしながら口を濯ぐと、リビングに向かう。何もないと分かっていながらも、ダイニングキッチンの様子をそっと確認しては、誰の人影もないことに胸を撫で下ろした。
食卓の上には、保険証と、ラップのかけられたウインナーと卵焼きとプチトマト二個、そして「パンかご飯は自分で用意してね」との書き置きがあった。帰ってきたら、お礼くらいは伝えようかな、流石に。
おれは立ったまま皿に盛られたおかずだけ適当につまんだ。それから一度自室に戻ると、ほぼ何も入っていない無意味な鞄を抱え、沈黙が支配する家を出た。その瞬間、遠くから叫ばれる蝉の合唱と肌を炙る日差しが出迎える。おれは顔をしかめながら、火傷しそうなほどに熱された自転車のサドルにタオルを敷いて跨った。沸騰した鍋の上に吊るされたような空気にくらくらしながら、おれは人のいる場所に身を置きたくて自転車を走らせた。
これまでも、午後から登校することは何度かあった。三年の教室が立ち並ぶ廊下の真ん中を大股で歩いているうちに、隣のクラス——琴音の教室に無意識に目を向けてしまった。昨日あんなことがあったのに、おれと違って琴音はきちんと登校していた。彼女は教室の真ん中より少し後ろあたりの席で、ペンケースを漁っていた。百均で見かけたことのある音符柄のその袋から、クシャクシャでカラフルな紙のようなものを取り出してはポケットに詰めている。
くすくす、と含み笑いが鼓膜に届いた。それと同時に、琴音が下を向いて夢中になって漁っているそれが、飴だかチョコだかの個包装の食べ殻だと気づく。
くすくす。ささやきは教室前方のドア付近から聞こえてくる。女子生徒たちが寄り集まってスマホを見ている——フリをしながら、教室の方を横目で確認して口元を歪ませていた。すぐさまこの状況の意味を解すると同時に、その事実の恐ろしさに俺の足が動かなくなった。
女子生徒たちから琴音に視線を戻すと、彼女と目が合った。
「————」
琴音は無言でおれからぱっと顔を背けると、髪を顔の周りに寄せて表情を覆った。おれは禁忌を犯してしまった気がしてならず、怪訝そうにこっちを一瞥する女子集団のそばを横切りその場を立ち去った。罪悪感と自己嫌悪で心臓が脈打ち、早足で一階に降りて保健室の戸を開ける。
「鹿嶋くん、ドアは静かに——」
「頭痛いから寝かして」
睨み上げながら呟くと、筒井はため息をつきながらベッドを整え始めた。
「…………
「しなくていい」
「一応熱を測ってから決めるわ」
「……分かったよ」
アルコールの染みた脱脂綿で拭き取った体温計を脇につっこみ、ベッドに腰掛けてじっとする。案の定、平熱だ。
「薬はまだあるの?」
「さっき飲んだ」
そう偽って、なんなら頭痛すら嘘で、おれは表情からそれが筒井にバレないうちに、布団の中に潜り込んだ。筒井がまた、ため息をついた。
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