ハルキ3.不良交友

「ああ、だから遥希、昨日DM無視してたんだ」

「ごめんごめん」

 両親の命日の翌日午後10時過ぎ。高校生なら補導されかねない時間だが、おれはいつもの小さな公園で、いつものように友人らとたむろしていた。昼間は老人の寄り合いに占領されている東屋のベンチに座り、笑いながら明仁に謝ると、彼は乗ってきたバイクに腰掛け「まあ別にいけどさ」と笑い返しながらアイスキャンディを齧った。バイク好きの明仁は、彼の先輩から譲り受けたお古のバイクを、おれに貸している張本人だ。明仁自身は、今でこそ免許を持っているけれど、中学時代に結構乗り回していたみたいで、おれがバイクに乗ってみたいというとあっさり乗り方を教えてくれた。


「てか遥希、今日午前中の体育いなかったじゃん、さぼってたの?」

 おれと同じようにタバコを吸っていた雄輔が、短くなったそれを東屋のテーブルに押し付け後ろ手に放り捨てながら言った。

「ああ、ほら、アレよ。まだ頭が痛くってさ」

 実際に頭痛が治らなかったのだが、深刻な話はしたくなくて、おれは敢えて言い訳がましく答えてみた。案の定、明仁と雄輔は「嘘くさ」だの「仮病じゃん」だの野次を飛ばすので、内心ほっとした。


「アタシも、天気悪い時とか頭が痛くなるから分かるよ。休みたくなるよねえ」

 呑気にそんなことを言うのは、その場の唯一の女子、琴音だ。彼女は、大きめの薄いパーカーから覗く小っちゃい指先で、グレープファンタの缶の結露を弄びつつ続けた。


「寝ても治らないんだもん。遥希はいつもどうしてるの?」

「薬飲んだらだいたい治るだろ」

「ええ、アタシ持ってない。ちょうだい」

 琴音はずいっと真っ直ぐに腕を伸ばし、おれの胸元で両手を広げて見せた。おれは心臓が跳ね上がって思わず後ろに下がろうとしたが、明仁と雄輔の手前、それを押し留めた。

「今、持ってるわけじゃないし」

「んー、じゃあ今度ちょうだい、ね」

「覚えてたらな」

「やた!」

 付近の自販機の微かな明かりに浮き上がる、琴音の破顔した表情がおれを捕えた。彼女から目が離せないでいると、咥えたままのタバコから灰が足元に落ちた。ショートパンツから伸びるマッチ棒みたいな脚が、軽やかに跳ねてそれを避ける。


「あぶね」

「わ、燃えちゃう」

「いやそれはねえから」

 琴音がまた笑う。おれの時間がまた止まる。

「おいー、俺たち忘れんなよ」

「もうバイク返せお前、ははっ」

「うるせー」

 頬が熱を持ち始め、おれは今が深夜で良かったとほっとしながら、吸い殻を足元に落として踏み潰した。「汚あい」と琴音が肩を揺らして笑うから、おれはまた明仁や雄輔にからかわれる顔になってしまっているのだろう。


 それからしばらく、野郎3人は、三者面談で親からも教師からも鬱陶しくて息苦しい説教を受けたことを、口々に愚痴をこぼして過ごした。琴音はそれをのんびり聞いて相槌を打っていたが、やがて眠そうに東屋のテーブルに顔を伏せ始めた。さっき、雄介が吸い殻を押し付けていたことを思い出して、おれはテーブルと琴音の額の間に手を差し入れて、彼女の顔を浮かせた。


「雄輔の汚い灰がつくぞ」

「眠い……」

 琴音がはっきりしない発音でそんなことを漏らすと、雄輔がスマホを確認した。

「11時過ぎちゃってる。俺もそろそろ帰んなきゃ、また父さんにどやされるわ」

「明仁、お前は?」

 そう尋ねると、明仁は「怒られるけど平気」と答えて、アイスキャンディーの棒をバイクのドリンクホルダーに挿した。


「でもお前ら帰るなら、俺も帰ろうかな。遥希、また琴音送ってけ」

「おればっかり面倒くせえよ」

 と言いつつ、おれは内心で明仁に親指を立てた。明仁にはおれの本音が伝わったのか、にやにやして、その顔をフルフェイスのヘルメットで覆った。

「ヘルメット二つ貸したし、お前の帰り道に琴音ん家あるんだから別にいいだろ」

「ねえ、遥希お願い」

 寝言のように柔らかく頼まれて、おれは振り返った。琴音はおれよりもさらに小さくて、首を傾げながらこっちを見上げていた。そんな存在が、背後からTシャツの裾を掴んで引っ張ってくるので、おれに拒否権はなくなる。拒否するつもりは、これっぽっちもないけれど。


「後ろ乗って」

「いえーい」

 小柄な琴音は、バイクの後部によじ登って跨ると、早く乗れと言う代わりに車体を叩いておれを急かした。

「じゃあな」

 おれがヘルメットをつけながらそう言うと、明仁は手を振って、それからエンジンを轟かせて公園を走り去っていった。

「気を付けろよ、警察にばれんなよ」

 そんな風に釘を刺す雄輔に大丈夫だと返して、おれはゆっくりとバイクを発進させた。琴音が慌てたようにおれの腰にしがみついて、Tシャツを握りしめてきた。背中にヘルメットと頬の感触が同時に伝わる。硬質なプラスチックが背骨にぶつかり邪魔くさいのに、琴音の肉の薄い頬の柔らかさを離したくなくて、おれは中途半端に身を捩ることしかできなかった。


 田園のだだっ広いあぜ道を、独り運転している時の半分の速度でゆっくり走行する。半分の速さだから、かかる時間は2倍。風は緩いしエンジン音は弱いけれど、琴音を振り落としかねないマネはできない。

 Tシャツを掴む手が少し弱くなっていることに気づいて、琴音の意識が半分夢の中に浸かっているのだろうと悟った。バイクの後ろに乗っているのに、よくまあ悠長に眠っていられるなあと、おれは呆れて笑ってしまった。そしてふと、琴音はおれが免許を持っていないことを知らないのだと思い出す。


 無免許が知られれば、琴音はもう、おれに送迎を頼まなくなるのかな。明仁が、こうやって琴音を後ろに乗せるのかな。どうせ進学はしないと決めているし、夏休みは原付の免許くらい取りに行ってみようか。背中の重さが惜しくなって、おれは近くなった街の明かりを眺めながらまた少し速度を落とした。


「ついたよ」

「ううん……。ありがと!」

 古くて広大な県営住宅郡の一角、琴音の自宅のある棟でバイクを止めると、彼女はバイクに跨ったまま大きく伸びをした。やっぱり、うたた寝していたみたいだ。

「あ……ママたちまだ起きてるや」

 琴音は3階の一室を仰ぎながらひとりごちた。彼女の視線の先にある部屋、薄いカーテン越しのぼやけた明かりが、外に追いやられたようにも見える寂しげな室外機の影を浮かび上がらせていた。


「やだな、怒られそ」

 琴音は、肩を落としてため息をつくと、おれに小さく手を振った。

「ばいばい」

「うん、またな。————おい、琴音」

 おれに背を向けた彼女が振り返る。おれは口を開きかけて、また閉じた。

「なに? 遥希」

 帰るの嫌なら、おれの家泊まるか。

「いや、やっぱいいわ。また今度話す」

「そっか。じゃあね」


 そんな馬鹿な提案できるわけないだろ、と。おれは自嘲しながら、琴音が暗い団地の階段に吸い込まれていくのを見届けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る