レナ13.独唱

 時刻は午後2時40分、私の出番の10分前。

 私は体育館舞台袖で、彩香の友人であり舞台担当の実行委員の子と音響の最終確認を行っていた。彼女には、予めアズマさん経由でじいちゃんの馴染みのジャズ仲間に頼んで収録してもらった、曲の音源を渡してあった。

 埃っぽくて薄暗い中、私と彼女はクライマックスを迎えたクラス劇を邪魔しないよう、顔を寄せ合って話していた。


「リハの時、笛木さんの挨拶超短かったけど、難しいならこっちで紹介しようか?」

「短いくらいがいいので」

「あと、一応演劇部から衣装借りれるけど……」

「大丈夫です。このままで」

「ううん、そう?」

 私が間髪入れずに断ると、その子は残念そうに口をすぼませた。いろいろ考えてくれているのに申し訳ないし、この子としては少しでも文化祭を盛り上げたいのだろう。しかし、今日は着の身着の儘歌うって決めたのだ。どうせ恥をかくなら、打ちのめされるのなら好き放題して散ろう。


 出番5分前。幕が降りて、出演した生徒たちがカーテンコールに応じている。客席からは、拍手や、おそらく出演者であろう誰かを呼んだり、茶化したりする声。一向に捌けない生徒を、実行委員たちが早く舞台袖に戻れと腕をぶんぶん振り回して合図している。

「それでは、次の演目の準備が整うまでの間、幕間となります。笛木玲那さん、よろしくお願いします」

 アナウンスが、私の背筋をぴんと伸ばした。私は大きく深呼吸をした。分厚くて黴臭い幕の前を、棒のように強張った脚を動かして歩き、幕とマイクの間に立つ。拍手と、指笛が私を迎え入れた。これは、文化祭の空気を盛り上げるためのもの、私のためのものではない。それでいい。これで諦められるんだ。なんとなく歌上手だね、さあ、次の劇をみよう——それでお終い。私の夢は趣味になる。


 いつもと違って、体育館で。いつもどおり、目を伏せてマイクに触れた。

「笛木、玲那です。ジャズが好きで……よく、歌うんですけど。1曲目は、「いつか王子様が」を歌います」

 おお、と観客席がざわめいて、まばらな拍手が起きる。知ってるー、とか、好きー、とか、女の子たちが言葉を投げてくれた。声色から、クラスメイトが盛り下がらないようにしてくれたんだと察した。


 草花が風にそよぐようなピアノの前奏が始まると、観客席がより賑わう。アニメ映画でお姫様が歌っていたこの曲は、私の低い声に合わせて少しキーを下げてある。私の好みに合うだろうからスイングはあまり効かせなかったと、ドヤ顔で音源を渡してきたアズマさんの顔が思い浮かぶ。ドラムの囁き、コントラバスの呻き、ついばむピアノがゆったりと、どこか気怠げな朝を連想させた。お姫様が待ちくたびれたようなその調べに、私の意識がどっぷりと潜り込んでいく。

「Someday my prince will come——」


 王子様なんて、いないのにね。

 でもきっと、来て欲しいよね。


 お姫様は、お城を追われて辛かったのだろう。それか、森で小人たちと生活するのが、退屈だったのだろう。存在しない転機を心待ちにして、いつかきっと、人生が花開くことを夢に見ていたのだろうね。私もそうだよ。

 あなたたちも、そうでしょ。


 ピアノの最後の一音が、体育館にこだまして霞んでいく。その余韻に浸りながら、私はマイクから目を逸らして観客席を見た。しん、と静まり返っている。まばらな拍手すら起きないことに、私は首からブワッと汗が滲むのが分かった。

「え、あの……一曲目、終わりです」

 そうだ、自分で紹介しなきゃ。こんな大スベりしてテンパるなら、やっぱり紹介は人に任せていればよかった。私は焦りながらも、ひとまず次の曲に移るべく、ぱくぱく口を動かした。


「次、次は……ジャズじゃないんです、けど」

 なんて言おうとしていたのか、全然思い出せなくて、私はとりあえず曲を紹介、曲を紹介と頭の中で唱えながら言葉を振り絞った。

「私が……誰かに歌って欲しかった曲です。「True Colors」です」

 あれ、なんか今、言う気がなかったことを言った気がする。

 自分の発言を振り返ろうとする前に、クラシックギターのアルペジオが爪弾かれ始めて、私の意識が曲の情景に引き込まれてしまう。


 誰かに歌って欲しい歌。私から私への歌。

 私は思いを声に溶かして、ひとりぼっちのギターの調べに混ぜた。


 目の前の大勢のどこかに、私と同じような誰かがいるなら、少しでも共感してくれるだろうか。もしそうなら、別に仲良くなれなくてもいいしそんなつもりもないけれど、お互い強く生きようね。とかなんとか、存在するかも定かではない同志に想い馳せてみたり。

 ほんのひと欠片でいいから、誰か私の声を聴いてよ。届かないと分かっていても、私は意地汚く唇をマイクに寄せて訴えることを止められない。


「————Like a rainbow」

 熱が入りすぎて、最後の一節は息が震えてしまっていた。

 客席は、やっぱり水を打ったように静かで、時間が止まっているのではないかとすら思えた。


「え……っと。ありがとうございました」

 居心地が悪くなり、私は早口でお礼だけ告げて急ぎ足で舞台袖に戻った。暗がりに実行委員の子の影を見つけて駆け寄る。

「あ、あの、私もう帰る——」

 私の呟きは、体育館中にこだまする拍手に掻き消された。

「びびった……わっ」

 時雨のようなその喝采に驚き、舞台を振り返って背を丸め萎縮した。すると、実行委員の子に両手を掴まれて、私はまた驚いて肩を跳ねさせた。薄暗い中よく目を凝らすと、その子はぐずぐずと泣いて鼻をすすっていた。


「大丈夫? えっと、ティッシュが——」

 同級生のガチ泣きなんて見た事がなくて、私はしどろもどろで制服のポケットを漁った。ハンカチしかないけれど、他人の手を拭いた布で顔を拭きたくないよな。そんなことでハンカチを渡すかどうか迷っていると、他の実行委員の男子が駆け寄ってきた。

「すいません、この子、なんか泣いてて——」

「笛木さんすごかったよ! 幕間出てくれてありがと!」

「あいや、でも、あんまり盛り上がらなくて」


 するとその男子は、ふんと鼻で笑った。彼の両目は、ぽつぽつと点灯する舞台照明を反射して爛々と輝いている。

「どこが? 二日間で一番でかい拍手だよ。この子みたいに、感動して泣いてる生徒も何人かいたし」

「はあ……それは、どうも」

 曖昧に会釈した私に、男子は苦笑いをした。そして、彼は私たちの周りが慌ただしく駆け回っていることに気づくと、ばつが悪そうに頭を掻いた。

「ごめん、みんな笛木さんの歌聴いてて、次の演目の準備まだ終わってないんだよね」

「あっはい、すいません。……じゃあ私、外に出ます」


 結局、私のお世話をしてくれた実行委員の同級生は「よかった」、「すごかった」を繰り返して話ができなかった。

 体育館の裏口から出ると、顔も知らない色々な生徒——たぶん、次のクラス劇の出演者とか、実行委員のワッペンを着けた生徒たちだったと思う——から、興奮冷めやらぬ様子で声をかけられたけれど、私はまだ舞台に立っているかのような浮き足だった気分のままで、何を言われてどう返したか記憶があやふやだ。

 現実に戻り切れていない中、ポケットに入れていた私のスマホが震えた。確認すると、親からテンションの高いスタンプが送られてきていた。それに返事はせずに、私はインスタのDMを確認した。彩香から連絡は来ていない。


 彩香に聞きたかった。少なくとも大コケはしていないと思うけれど、私の歌を彩香はどう感じたのかな。白昼夢を通してできた友達。私の世界を覗き込んでいる第三者。彼女になら、私の歌が伝わったのではなかろうか。そんな期待が過ぎる。

 彼女なら、文化祭の高揚感なんて関係なく、正真正銘本音の忌憚のない感想をくれるはずだ。私はひとまず「歌い終わったよ、見てた?」とだけ送る。既読はつかないけれど、彩香もきっと友人たちと舞台を見ているから、それも当たり前である。


 そう思っていたが、結局放課後にも彩香からの返信は来なかった。けれど、私はそれを不思議がることができなかった。それくらい動揺する出来事が起きた。

 帰宅後、夕飯前にベッドでSNSをチェックしていると流れてきた噂。

「玲那! 今学校からのメーリスで……」

 母が血相を変えて部屋のドアを開ける。私は起き上がった拍子に乱れた髪もそのままに、スマホの画面にかじりついていた。


 三年生の女子生徒が、校舎裏で死んでいるのが発見されたそうだ。

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