レナ12.文化祭に向けて

 次の日、登校した私は、クラスメイトから昨日のラジオについて興奮気味に質問攻めに遭った。誰かがあの生放送の一部始終を聴いてそれをSNSで呟いたものだから、あっという間に噂が広がったらしい。


「ええ? 確かに、あたしは玲那が出てくとこまではラジオ聞いてたけど、言いふらしてはないよ」

 まさかと思って、昼休みに彩香に問い質してみたけれど、彼女は心外だと言わんばかりに眉尻を下げて弁解した。

「ていうか、聞いてて超びっくりしたよ。あとめっちゃウケた。度胸やばすぎ」

「あの後、親と大喧嘩……ていうか、一方的に怒られて大変だったんだ」

「いや自業自得」

 彩香は私の隣の席から椅子を引き寄せると、にやけながら私の机に弁当を置いた。


 私は昼食の菓子パンを開封し、袋を皿代わりに自分の机に敷いた。今は母と昨日の件で喧嘩中のため、お昼ごはんはこれだけだ。彩香は、小さな弁当箱からおかずを突きつつスマホをいじっている。

「あ、今友達から連絡が来てるんだけど、実行委員は昨日の件があって」

「あたしを降すって?」

「逆、逆だよ。話題になるから、彩香はオーディションなしで幕間出させたいってさ」

「——話題性だけで出たくないんだけど」

「またそういうこと言う」

 私が鼻に皺を寄せると、彩香が呆れて笑った。私は口を尖らせて紙パックのリンゴジュースを吸うと、窓の外に視線を逸らした。夏休み前よりも幾分柔らかくて、乳白がかった日盛りの光景の心地よさに目を細める。


「ねえねえ、これとかジャズっぽくない?」

 ふいに、弁当を食べながらスマホをいじっていた彩香にそう呼びかけられて、私は彼女のスマホを覗き込んだ。彩香はファッション通販サイトを見ていて、画面には肩の露出したミッドナイトブルーのドレスが写っている。

「なに、急に」

「文化祭の衣装。玲那はこういうの似合うよ。あ、当日のメイクあたしやっていい?」

「いや、衣装とかいいよ。メイクもしない」

 みんなに楽しんでもらったり話題にしてもらったりするなら、衣装やメイク、演出なんかも凝ったほうがいいに決まっている。けれど、私は文化祭にはそういう目的で臨まない。


「好きなようにやってみたいの。肩書ばっかり評価して、私の歌なんて聞いてないやつらに、嫌がらせだよ」

「うわあ、歪んでる」

 彩香がわざとらしく、苦虫を噛み潰したような顔をして見せた。あたしはそれに構わず、苺ジャムとマーガリンを挟んだコッペパンをむしって口に放った。

「上等だよ。歌は真剣に歌うし、それで感動してくれる人がいるなら、久しぶりに素直に喜べる気がするんだよね」

「そういうもの?」

 疑わしげな視線を向ける彩香に、私はコッペパンを噛みながら「まあね」と呟いた。


「けど、褒めてくれる人がいなかったら虚しくない? あたしなら一生人前で歌えないよ」

 なおも疑わしげに鋭い返しが飛んできて、私は苦笑してしまった。彩香のこういう、ふとした拍子に顔を覗かせるあけすけな意見は、決して嫌いではなかった。

「むしろ、それが本来の私の実力だってことでしょ。それが分かるだけでもいいの。大した才能なんてない、ただ好きで歌うだけの人になるだけ」

 放っておいて欲しいと同時に歌だけは聴いて欲しい、なんて。そんな傲慢な私自身と、決別することができる気がした。そんなねじ曲がりすぎた企みについては、さすがに彩香には言わない。

「あたしとしては、玲那の生歌初めて聴くし、見た目のプロデュースさせてほしかったんだけどなあ」

「それはもう諦めて」


 来月の日曜日、文化祭二日目が待ち遠しい。

 私は決して特別ではない。心のどこかで未だ自惚れている私自身にそれをつきつけ、歌にしがみつく生活を手放すことができるんだ。




***

 文化祭1日目、私のクラスの出し物は展示なので、教室で待機する時間だけ私は学校に顔を出し、それ以外はこっそりサボっていた。サボっている時に彩香の白昼夢を見たけれど、彼女のクラスはカフェをしているみたいで、彩香がせかせかと接客をしていた。私はそれをもって文化祭に参加した気分を味わい、夕方になるとそそくさと帰宅した。


「彩香、ちょっと話たいことが」

 玄関から自室に直行しかけたところで、リビングの母から呼び止められた。私はまだ、1ヶ月前のラジオの件で、親たち、特に母とはどこかお互いに距離を置いているような状況が続いていた。明日、文化祭で歌うことは流石に伝えてあるけれど、一体何を言われるのだろう。私は心拍数が上がり始めたことに気付いて、リビングに向かう前に大きく深呼吸をした。


「なに、明日のこと?」

「うん。お母さんとお父さんも見にくるからね」

「そう……別にいいのに」

「そんなこと言わないでよ。あなたが自分から前に進もうとしているのを、応援してるの」

「あっそ」

 母は、これまでみたいに変に期待を寄せるような言葉は掛けてこなかった。それでも、私の思いは汲み取る事ができないみたいで、腫れ物を触るように当たり障りのない言葉を添えた。話そうとしない私も悪いとは思うけれど、聞こうともしないこの人たちも、甚だ勝手だ。


「お母さん」

「なあに」

 それでも、私はいつか伝わるかもしれないと期待して、拙い言葉を投げ続けてみる。

「歌は続けるよ。でも、私の話も聴いてね」

 私が自室に戻ろうとする背後で、母が何か言っていた気がしたけれど、私は敢えて聞かないことにした。もし、私が欲しい言葉でなかったら、明日歌えるかどうかわからなかった。文化祭が終わったら、私がもう少し、自分の気持ちを打ち明けられる自信が湧いてきたら、少しは素直に話す事ができるかな。


 そんな期待を抱いて、私は翌日を迎えた。

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