レナ8.頑張って
県内のとあるローカルラジオ出演を強引に押し切られて、私の悶々とした苛立ちやら諦めやらの感情が落ち着くのに2週間くらいかかった。その間も、授業中に白昼夢は見ていたけれど、正直それどころではなかったため、どんな場面を見ていたのかはあまり覚えていない。
「ねえ夏休み来るじゃん。家でずっとだらだらしてたら、玲那にバレるってことだよね」
梅雨真っ只中の貴重な晴れた放課後に、私と彩香は最近の白昼夢についての(もちろん、自分たちで決めたルールの範囲内で)近況報告という名目で、学校最寄り駅近くのハンバーガーショップでだべっていた。
「玲那も恥ずかしくない?」
「うん、恥ずかしいかも」
「……なんか上の空って感じ。どしたの?」
「ごめん、聞いてないわけじゃないんだけど」
「それは全然いんだけど」
私は今日、2週間前から引きずっている葛藤を彩香に聞いてほしいと思っていた。けれど、悩み相談とか、愚痴とかって柄じゃないし、そもそも自分のことを話すのはあんまり得意じゃない。彩香に面倒くさいって思われたら嫌だ。そんな思いから、私は話を切り出すことを躊躇していた。
彩香は私がどう話を切り出そうか考えあぐねているうちにも、不思議そうな顔のまま塩気の多いポテトを口に入れた。小松菜を食むウサギみたいで可愛かった。
「何か悩み? あっ、待って当てる」
彩香は、いつも以上にテンションの低い私を気遣ってか、やけに元気に楽しそうに振舞う。
「数学、いっつも落書きしてて話聞いてないし、期末テストが不安! これでしょ」
「白昼夢使って予想すんのやめてよ」
「はずれ? じゃあ恋のお悩みかなあ。だとしたら、夢に出てきてないの納得いかない」
「そんなわけないでしょ」
冗談めかして首を傾げる彩香につられて、私は吹き出してしまった。
「親からローカルラジオに出ろって言われてて。あたしそういうの本当に苦手だし嫌いなんだけど、断れなかったから最近苛々してたんだよね」
彩香の軽いノリに流されるように、私の口からは今まで誰にも話さなかった、話せなかった自分の気持ちがさらりと出てきた。
「ラジオって、ジャズシンガーとしてってこと?」
「まあ、そんなとこ。親は、応援してくれる人への感謝を示すためにも、こういう露出はした方がいいって思ってるみたい。……たぶん、自分の子供がちやほやされるのが好きなだけだと思うけど」
「ううん。けど、玲那が嫌なら出なくていいと思うけど……そんなに注目されるのが嫌なのも、なんか不思議だよね。お客さんの前で歌うのと何が違うの」
言葉こと端的で直球だけど、彩香のふわっと柔らかい声やきょとんとした表情も相まって、問い詰められているようには感じられなかった。だからだろうか、私は親と言い合いしている時よりもずっと気持ちに余裕があることを自覚した。
「大したことないのに、祭り上げられてるのが馬鹿みたいで嫌なの。調子乗ってるって思われても恥ずかしいし」
「ふうん、井の中の蛙だと思われたくない、的な?」
「そう…そうかも」
「でもさあ、せっかくだし、もっとたくさんの人に聞いてもらいたいって思ったりしないの」
素直な疑問が、私の胸をさっくりと刺した。別に、とすぐに出てこないあたり、私自身のずるくて我がままな承認欲求を認めざるを得ない。私は氷が溶けてほとんど水になったコーラをストローから吸い上げた。彩香は、私の答えを待ちながら、アップルパイを食べている。
「思ったりは、するよ。でも、そんなの地元でちやほやされてるだけの私にできるわけないし。私は私の歌を「素敵だね」って、言ってもらえる人が近くにいたら、それでいいなって」
私はうつむきがちにポテトを食べながらそう言った。
夢を見て羽ばたいて、翼を折られて帰ってくるくらいなら、優しくて完璧だったあの頃の面影を残した「DEBBY」で、ずっとずっと歌っていたかった。歌を聞いてほしいのに私のことは見て欲しくないなんて、我ながらわがままだと思うけど、挫折は怖いんだから仕方がない。
しんみりした空気になっちゃったかな、と思って頑張って笑おうと顔を上げると、彩香は特段表情を曇らせている様子はなくて、「ふうん」と何か思い巡らして斜め上を見ながら私の話を聞いていた。やっぱりこの子、清楚なアイドルみたいな見た目の割に、結構ざっくりした性格しているな。私の頑張って作った微笑みは苦笑に変わった。
「彩香、あんまりぴんと来てないでしょ」
「そんなことないけど。ただ、大人になっても歌を続けられるか分かんなくない?」
さばさばしている上に、向けられる意見はいつも気持ちがいいくらいに的を射ていて、ぐうの音も出ない。
「だったらさ、みんなが聞いてくれるうちに堂々と歌っときなよ」
「他人事だなあ……」
「実際他人事だもん。他人事じゃないと見えないことだってあるもん」
顎を両手に乗せて頬杖をついて、とっても可愛い仕草だけど、その発言は妙に達観している。彩香は頬杖をついたまま首をちょこんと傾げて見せると、真っ直ぐに私の目を見て言った。
「玲那はさ、地元だけで有名だって言うけど、でも話題になるくらいは歌、うまいんでしょ」
「…………」
「でしょ?」
「うん……まあ、うん。下手って言われたことは、ないけど……」
自分で自分を認めるなんて慣れてなくて、私はほとんど彩香に誘導される形で頷いた。彩香は私の返事に満足したのか、にっこり目を細めて、それから急に何かを思いついて手を叩いた。
「そうだ! せっかくだし文化祭で歌いなよ」
「やだよ」
それはさすがに躊躇われる。誰も知らないし興味ないジャズを得意げに広して、だだスベりする自分がはっきりと思い描かれた。そんなことになれば、二度と歌なんて歌えない。
私が即答で却下すれば、彩香はほんの一瞬きょとんとして、それから堪えきれずに吹き出した。私もつられて肩を震わせて笑う。
「そんな嫌がんなくてもいいじゃん。返事はや!」
「だ、だって、ふふっ。想像してみたら完全に、黒歴史じゃん……くふふ」
些細なやりとりに一頻り笑うと、私たちは食べたゴミを捨てて店を出た。改札に向かう途中、彩香は「でも、文化祭のことは結構本気で考えてみなよ」と話した。
「あたし、実はさ。モデルのオーディション受けてみてんだ」
「え」
思いもよらないカミングアウトに、私は思わず立ち止まった。彩香はそれを振り返ってすこしはにかみながら前髪を弄った。
「玲那見てると、そういうの頑張ってみるのもいいなって思って。——まあまあまあ! 受かるとは思ってないけどさ、でもね、一応」
彩香にしては、歯切れの悪い言い方だった。けれどその表情も、弁解の仕方も、私にとっては身に覚えのあるものだった。
「彩香」
「うん?」
「頑張って」
「……ねえ、そこは「頑張ろう」じゃないの?」
「彩香には、頑張ってほしいんだもん」
私はもう、どうしようもなく捻くれちゃって、いつまでもじいちゃんのいたあの頃を夢想するばかりで、進歩がないけれど。
目の前の同級生の眩しい前進は、一人で悩んでいるつもりだった私の心を優しく前に押してくれた気がした。
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