レナ7.重い思い

 その後、私は彩香と賑わうショッピングモールを一周しながらだらだらと目についた雑貨屋や本屋を見て周り、帰路についた。

「あたし、思ってたより楽しかった」

 日が傾き始めた帰りの電車の中。一緒に座れそうな席が空いておらず、二人してドアの側に立っていると、彩香がぽつりと呟いた。

「ごめんね、思ってたよりって、ちょっと失礼な言い方だった」

「あ、いや、全然。あたしもそんな感じ。同級生と学校外で会うこと、あまりないし」

 嘘だ、本当は一度もない。勝手に見栄を張って勝手に自嘲していると、彩香はそれに気付いておらず、話を続けた。


「初めてちゃんと話したけど、玲那って結構話しやすいね」

 西日を反射する目がきらきらしていて、前髪とその影が電車の動きに合わせてゆらゆら揺れていて、そんな私とは縁遠い無敵の存在からそんな風に言われて、正直悪い気はしなかった。いや、むしろ嬉しい。

「彩香が、誰とでもすぐに打ち解けられるんだよ」

「まあそうだけどー」

 そう言う風に冗談めかして言ってのけるお茶目さも、変に謙遜のし合いになってしまうよりずっと好ましかった。


 それから彩香が先に電車を降りて別れると、私は軽い足取りで家に帰った。

「あら玲那、ご機嫌じゃない」

「ただいま、ご飯何」

 何か聞きたそうなソファからの一言は受け流して話題を変えると、母は苦笑しながら「パスタとサラダにしようかな」と答えた。私が冷蔵庫からコーラ、戸棚からチョコを漁っていると、母が私と同じくらいご機嫌な調子で話し続けた。


「ねえ玲那」

「何」

「お昼にね、ラジオ局の人から」

「やだよ」

「最後まで聞いてよ。まだ気が早いんだけど、9月に地域ホールで音楽祭があるから、その関係でラジオでも音楽特集するんだって。玲那にゲストで出てほしいみたいよ」

 私は一気にご機嫌斜めになった。本当に最悪だ。さっきまであんなに軽かった体が、今では鉄の塊を背負っているみたいに重い。


「聞きたくない」

「いいじゃない。この街からすごいジャズシンガーが輩出されるんだって、みんな喜んでくれてるのよ」

 またこれだ。皆んなが喜んでいるなら、私の気持ちはどうでもいいの。

「私……そういうのやだ。何も言いたくないし、恥ずかしいよ」

「恥ずかしいわけないじゃない」

「なんでお母さんが決めるのっ」

「じいちゃんに教えてもらった歌が、恥ずかしいって言うの?」


 そうじゃない、そうじゃないよ。


 でも、何がそうじゃないのか。苛立ちと、歯向かう罪悪感と、分かってもらえない虚無感で、私の喉は蓋をしたようにつっかえて言葉が出てこない。


「周りの人に支えられて、ここまで続けてこれたじゃない」

「それは分かってるよ。何回も聞いた」

 そうやって、何回も何回も何回も、私の身には分不相応な期待を背負わされてきた。

「それとも、ジャズはもうやめるの?」

「そ、そんなこと一言も言ってないでしょ。どうしてそうなるの」

 言いたいことがうまく言葉にできなくて、私の声は無様に震えるだけだった。

「じゃあ恥ずかしいなんて言わないで、頑張ってみたらいいじゃない」

 私の問いは、問いとすら認めてもらえなかったらしい。穏やかに微笑んで嗜める母の表情に、私の気持ちは深い諦めの奥底に沈んだ。無言で首を縦に振って、「ご飯できたら起こして」とだけ言って部屋に上がる。


 私は部屋の電気もつけずにベッドまで向かった。本棚の漫画に混ざって並ぶCDや、じいちゃんの遺品整理の時にもらったビル・エヴァンスの古いポスターが、どうしようもなく憎く思えた。思わず画鋲で壁に磔になったポスターに手を伸ばし、こんなもの剥がしてやると壁と紙の間に指を差し入れた。その拍子に、ポスターの端っこが少しだけ破れる。

 私は反射的に、ポスターから手を離した。こんなに苦しいのに、壁に貼られた紙切れひとつさえ未だ愛おしくて、そんな中途半端な自分が意地汚くて情けなくて、私はぼやけた目を乱暴に拭った。

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