レナ6.女子高生たちの密談

 彩香は私と違って友達が多い。クラスも違うので、学校で彼女と時間を作って話す機会はほとんどなかった。連絡先を交換して以降、私と彩香は数日置きに連絡を取り合いながら、学校外でゆっくり話をしようということになった。

 そして来たる5月末の土曜日。私にとっては一大イベント「同級生の女子高生とお出かけをする」、その当日。私は滅多に足を伸ばすことのない市外の大きな駅の改札前でそわそわしていた。彩香と約束した午後2時まで、あと数分。少し早く来過ぎてしまった。


 お洒落はそれなりに嗜むけれど、彩香の隣に並んで違和感はないだろうか。私はあまり好きではない自分の体を見下ろす。古臭くないかな。懐かしい感じが好みだし、アズマさんは褒めてくれたけど。いっそ、マネキンのコーディネートをそのまま買ってしまった方がよかったかな。そんなたらればを頭の中で繰り返して俯いていると、横から肩を叩かれた。


「あ、すいませ——」

「手、振っても気づかないじゃん」

 冗談めかして笑うキラキラした瞳が私を覗き込んだ。瞳だけじゃない、目元の星屑を散らしたみたいなラメが、彼女のほんのり黄味を帯びた濃茶の虹彩に反射していた。その煌めきに思わず見惚れていると、彩香はきょとんとしながら少しだけ私の腕を揺すった。

「どうしたの」

「なんでもない、ぼうっとしてて。ごめん」

「ううん全然。こっちこそお待たせ」


 私はそこから、なんと会話を続けていいか分からなくて、ほんの1秒足らずの沈黙に焦りを覚えた。

「じゃあ行こ。どっか座りたくない?」

 けれど、彩香がすぐにそう言ってくれて、私はほっとして「そうね」とだけ返した。自分のコミュニケーション能力の低さが嫌になって、もう帰りたいという気持ちと、高校の友人——と思っているのは私だけかもしれないけれど——と初めてのお出かけに浮き足立つ気持ちが混ざり合って、心臓が落ち着きなく鼓動している。


 私たちは、駅近くのショッピングモールに入った。いつもなら、どうしても映画館で見たい映画を観に来る時以外はあまり訪れないそこは、休日ということもあってかなり賑わっていた。私はひたすら彩香の少し後ろを歩きながら、目に眩しい雑貨店やアパレルショップの数々を見回していた。

「あたしそんなだけど、玲那はどうする。ガッツリ食べたい?」

「えっ、あ、いや……あたしはそんなに。ご飯食べてきたから」

「だよね。どこ行こう」

 というより、DMのやりとりでも「笛木さん」と呼ばれていたから、彩香から初めて呼び捨てにされた私は、その動揺でお店選びどころではなかった。これは、私も「彩香」と呼んでもいいのだろうか。


「……彩香」

「ん、何」

 何も疑問を感じずに返事をする彩香。そこで私は気づく。呼んでみただけ、なんて面倒臭い彼女みたいなこと言えない。

「あの飲み物、美味しいの」

「飲み物?」

「夢で見たカラフルなフラペチーノ、たぶん苺の。あれ、美味しいのかなって」

 本当は、甘ったるそうだとしか思ってないけれど。私はとっさに思いついた話題を投げた。すると彩香は数秒斜め上を見て考えるそぶりを見せて「多分、スタバの限定のやつかなあ」とひとりごちた。


「もう新しいやつに変わってるかも」

「新しいやつとかあるの?」

「え、スタバ行ったことない?」

「うん、あんまり機会がなくて……」

 なんとなく気まずくなって、私は俯いて肯定した。しかし、彩香は「じゃあ今日デビューしよ」と行って私の腕に彼女の細腕を絡めてずんずん進んだ。


 初めて行ったそのカフェチェーンは、いつも思うけどめちゃめちゃ混んでいる。彩香が言っていた苺のフラペチーノはなくなっていた上に、注文間際に日和った私は、結局フラペチーノは買わなくて、期間限定のフルーツティのホットにした。

「いやホットティーって。気が変わりすぎ」

 笑いながら、彩香は抹茶フラペチーノを飲んでいる。夕日みたいな色合いのふわっとしたリップも、私が着たらさぞ屈強に見えてしまうに違いないパフスリーブのアイボリーブラウスも、何もかもが彩香の可憐な容姿を最大限に引き立てていた。

「それで、どう? 初スタバは」

 茶化すように目を細める彩香に、あたしはようやく口角を上げることができた。

「熱すぎてまだ飲んでないよ」

「もう、やっぱ冷たいの頼めばよかったのに」

「美味しそうだったの」

「あーね。分かるけど」

 そんな取り留めのない会話すら新鮮だった。


 ようやく、私のドリンクが飲みやすくなってきた頃、彩香は3分の1くらいまで飲んだフラペチーノを太いストローでぐるぐる混ぜながら、心なしか声を小さくして言った。

「でさ、夢の話、そろそろしない?」

 普通に彩香との時間を楽しんでしまっていた私は、そこでやっと今日の目的を思い出した。今日は、スタバデビューに付き合ってもらったわけじゃない。


「私はさ、最初に見たのは夕日が差し込んでる階段だったんだよね。放課後って感じの」

「私も……夕方だった。なんか、街を一望してる感じ」

「何それ、そっちのが綺麗じゃん。でも、あたしそんなとこ最近行ったかなあ」

「私も、夕暮れ時まで学校に残ってたのなんて、ここ最近……」

 早速疑問が生じたが、彩香がすぐに「でも」と続けた。

「それ以外は、なんか玲那になってるっぽいんだよね、あたし」

 彩香が言うには、その次に見た夢は授業中に私が落書きをしたり窓の外を眺めているところ。その次が、アズマさんの店で開かれた私の誕生日ライブの夢だったのだ。

「歌ってはなかったんだけどさあ。なんかお店の人が玲那のことを紹介してて、そこで「あ、笛木玲那の夢?」って気づいたの」

 私はそこで、彩香が初めて声をかけて来た時の肝の据わり方に納得がいった。確かに、母の考えたあの露骨な「高校生シンガー、笛木玲那」の宣伝文句を聞けば、不本意だけど私の夢だと確信しても仕方がないな。


「玲那はどうなの」

「彩香とだいたいおんなじだよ。あ、でも」

 白昼夢を見ている間、私はいつも思うことがあった。

「私が彩香になりきってるって言うよりは、こう……彩香が撮影してる動画を見てる感じなんだよね」

 すると彩香は、うんうんと何度も頷いた。

「わかる。なんかさ、入れ替わってるって感じでもないよね。」

「そうそう。あと、私は誕生日ライブの瞬間に白昼夢は見なかったし」

「そっか。じゃあ、お互い同時に夢を見るわけじゃないみたいね」


 彩香はそう言って抹茶シェイクを飲んだ。いつのまにか半分以上減っていて、そんなに甘そうな飲み物を取り込み続けて胸焼けしないのかと心配になる。

「あたしたち以外にも、お互いの白昼夢を見ている人っているのかなあ」

「ううん…いたとしても、変な夢見てませんかって聞いて回るのは、きっと無理だよ」

「そうだよねえ」

「私だって、彩香がさりげなく探りを入れたおかげで分かったんだし」

「あはは、やっぱ探ってたの分かっちゃう?」

「今思えば、だけどね」


 それから私たちは、白昼夢のルールを作ることにした。まず、トイレや入浴中、あとは学校外——特に自宅で過ごしている白昼夢については、お互い触れないこと。今のところ、二人ともそうした夢は見ていないけれど、お互いのプライバシー尊重のために見て見ぬふりをしようという話になった。

「お風呂はともかく、トイレとか超恥ずいじゃんね」

「お風呂だって恥ずいよ」


 そしてもう一つ。いつまでこの不可解な視点の共有が続くのかは分からないけれど、二人の秘密として楽しむのは、3年生に進級するまで、それ以降も続くなら親に相談しようということ。それ以前に誰かに打ち明けたくなったら、その前に必ず相談し合うこと。

「親に伝えて、それからどうなるのかなあ」

「精神科? カウンセリング? 的なの受けたらいいんじゃない」

「なるほど。確かに今は楽しいけど、一生続くのは流石に大変そうだしね」

 彩香の言葉には完全に同意だ。彩香は学年の中でも成績は上位だし、卒業すれば大学に進学するだろう。こんだけ可愛いんだから、すぐに良い結婚相手を見つけて素敵な家族を作るんだ。悲しいかな、私は自分自身の未来について、そんな穏やかで暖かい将来がまるで想像できない。大人になって、他人の素敵な人生を擬似体験するなんて虚しいにも程がある。


「大人になってもこれが続くんなら、玲那が大きな舞台で歌っている白昼夢見れるかもだし、それはそれでアリかも」

 私はホットティーを飲む手を止めて彩香を見た。親がよく口にする大袈裟な期待の言葉と同じだったので、ぎくりとしたけれど、彩香の表情は悪戯っ子さながらににやにやしている。ただ揶揄われただけだと知って、私はむしろほっとした。

「やめてよ、もう。日本の田舎のブスは、エラ・フィッツジェラルドにもビリー・ホリデイにもなれない。コネのあるバーでたまに歌って身内からちやほやされるのが関の山だよ」

 ほっとしたついでに、うっかり刺のある本音が出てしまった。しかし彩香は一瞬きょとんとしただけで、すぐに吹き出して笑った。


「何よそれ。玲那ってさ、結構自分に自信ないよね」

「自信満々でもムカつくでしょ。何様だよって」

「そうだけど。でもみんなが凄いって褒めてるんだから、ちょっとくらい偉そうにしちゃってもいいんじゃない?」

「みんなって言っても、身内や顔見知りばっかりだし。その褒め言葉も過大評価なのよ」

「あたし、あんたの歌聞いたことないから分かんないけど……。あっ、今からカラオケ行く?」

「いいって。もし、仮に、万が一にも、私が将来有名になったとしたら、CD買って聞いて」

「その言い方、絶対そんなことする気ないじゃん」

 会話が弾むって、こういうことを言うのか。私は店内で流れるBGMそっちのけで、脳内で「Take Five」——5拍子の愉快なジャズナンバー——を再生しながら、ホットティーを一口飲んだ。

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