レナ5.初めてのはじめまして
そうやって、この白昼夢について特に何も分からないままGWが明けた。変な夢を見ても、私の日常が大きく変わるわけではない。強いていうなら、いつ視点が変わるか分からないから、けが防止のためあまり動き回らなくなったくらいだ。だから、合同体育の時間に壁際で膝を抱えて休憩しているのも、決してサボりではない。安全のため、止む無しといったところである。
私はぼんやりと活動的な子たちがバスケットボールに興じる様子を眺めていた。体育教師は、皆んなが楽しそうに体を動かしていたらそれでいいのか、私みたいに動かずサボり、もとい休憩している者がいても、さほど気に留める様子はない。
「ねえ、笛木さん……であってますか?」
ふわっと甘く、けれど爽やかな香りが漂うとともに、控えめな中にも芯の通った声で呼ばれた。
「わ、急にごめんさない」
そう言って顔の前で手を合わせるその子が軽く頭を下げると、艶々で毛先のカールした前髪が揺れた。可愛い、と、手間がかかってそう、という感想が同時に生じて何も答えられないでいると、その子は私の表情から何を察したのか、「クラス一緒になったことないし、わかんないよね。ごめんね」と重ねて謝った。
「いや、別に大丈夫、です」
何が大丈夫なのかも分からないまま、とりあえずそう答えると、その子は形のいい垂れ目をニコッと細めて、それから私の隣に座った。
「あたし、3組の彩香って言います。糸賀彩香」
「わ、私は」
「流石に知ってますよ、有名人だもん。笛木玲那さんでしょ」
「うう、いや、有名ってほどじゃ」
「謙遜しないでくださいよ。……ていうか、あの、敬語じゃなくていい?」
「はあ」
「よかった!」
その子、彩香がすとんと私の隣に座ると、再び爽やかでいて甘い香りが彼女の髪の毛から香り立った。我ながら気持ち悪いけれど、あんまりにもいい匂いで、深呼吸をするフリをしてもう一度味ってしまった。
「ねえねえ、ちょっと前にお誕生日ライブしたんでしょ」
どうしてこんな女子が話しかけてきたのだろう。そんな風にどぎまぎしていた矢先にそう尋ねられて得心がいくとともに、私は彼女と私の間に見えない薄い壁を作った。
「そうだけど……急にどうして」
おそるおそる聞き返すと、その子は淡い色の眉をハの字にした。
「えっ、ごめんね。からかいたいとか、そんなんじゃないから! あたし、ジャズって正直全然詳しくないんだけどさ。だからちょっと、格好いいなって憧れもあるっていうか」
「憧れ……」
すごいよね、と珍しいよね、以外の感想を同級生から聞くことのなかった私は、彼女が一生懸命な様子で弁解する言葉につい聞き入ってしまった。
「なんか、敷居高そうじゃん? だからジャズってどんなものなんだろうって、笛木さん詳しいだろうし、前から気になってたんだ。それに……」
彩香は、きょろきょろ周りを見回して、こそっと私に耳打ちをした。細くて柔らかな声色が鼓膜を震わせて、私は少しくすぐったくて肩をすくめた。
「なんかさ、あたし……笛木さんになった夢まで見ちゃったみたい」
「え……」
「ふふ、初対面で急にごめんね。きもい?」
そんなに可憐な笑顔をしているあんたに、きもいなんて思うやつがいるか。頭の片隅で、どこか冷静な私がそう言っている。一方で、ここ最近私が苛まれている不可思議な現象と彼女のカミングアウトが繋がっている気がして、混乱で言葉が出てこなかった。彩香は、ぽかんとする私に構わず話し続けた。
「ウケるんだけどさ、古いバーみたいなところで私がジャズを歌ってんの。あとさ、授業中にピアノとかサックス? の落書きしてみたり。なんか自分がジャズシンガーの高校生になりきってるみたいな夢! だから実際、笛木さんってどんな生活してんのかなって気になっちゃって」
「…………その通りだよ」
「何が?」
小首を傾げる彼女に、私はぽつりと返した。動揺している私の耳届くバスケットボールが跳ねる音は、どこか遠くてゆっくりと感じる。
「授業中に落書きしたり、行きつけのバーで歌ったり……私の生活は、糸賀さんの夢のとおりだよ」
「え……あたし、解像度高くない?」
「あの、糸賀さん」
言いかけて、考えていることの馬鹿馬鹿しさにわずかに躊躇したけれど、私はそれを唾とともに飲み込んだ。
「私も……夢を見るの、白昼夢。入ったこともない洋服屋で、ウィンドウショッピングをする夢。知らない友達と、フラペチーノ片手に街を歩く夢。それってたぶん……」
「あたしの夢じゃん!」
混乱している私と違って、彩香は驚いて目を丸くしているけれど、どこか楽しそうに息巻いた。
「ちょっと待って、こわっ。え、でもすごい!」
全然怖くなさそうだ。むしろ笑って手を叩く彩香の姿に、私は呆気にとられた。風が吹けば折れてしまいそうな花のように華奢で、愛らしい見た目の割りに、神経はどっしり太そうだな、と思った。
「ねえ、もうちょっとこの話したいな」
「う、うん。私も」
「授業もうすぐ終わるしなあ」
彩香が言うや否や、タイミングを見計ったように体育教師が集合のホイッスルを鳴らした。
「あ、ねえ。今度また話そ。インスタやってる?」
好きなアーティスト等の著名人、そしてうっかりアカウントを持っていることがばれてしまったほんの数人の同級生くらいしかフォローしていないアカウントなら、持っている。つまりほとんど使っていないので、やってる、と伝えるかどうか迷ったけれど、私だって彩香が見ている夢、そして私が見る夢のことは気になった。
「一応、アカウントはある」
「アカ名何?」
「ローマ字小文字で、れな、ふえき」
逡巡したのち答えると、彩花は「ありがと!」と言って去っていった。
授業終了後、更衣室で着替えながらインスタを見ると、早速彩香と思しきアカウントからフォローリクエストが来ていた。
「はや……」
彩香の行動力にたじろぎながらも、「確認」をタップしてフォロワーに追加する。そして、ほんの少し、私のフォロー申請を受けてくれるだろうかと不安がよぎりながらも、意を決して画面上の「フォローする」に親指を押し付けた。
教室に戻って再びスマホを確認する頃には、私たちは相互フォローになっているだけでなくて、彼女から「話せてよかった! また話そ」とメッセージが来ていた。
根暗で情けないのはわかっているけれど、私はそれだけで、初めて感じる類の高揚に心臓が跳ね上がった。ついでに、足元がふわふわと軽い心地になった。なんと返そうか、気を悪くさせたくないけれど、変に長文を返して舞い上がっているとは思われたくない。誰かに相談したいけど、相談相手のアズマさんはじいちゃんと同い年だし多分当てにならない。
散々悩んだ挙句、私は結局「私も話せてよかったです」、「ありがとう」と、丁寧なんだかそっけないんだかよく分からない返事をした。そして、放課後の電車の中でこれでよかったのだろうかと頭の中で反省会が行われた。挙句、このことで丸2日くらい悩むことになった。
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