第30話 帰宅と約束
「亜津葉。お前の気持ちはよく分かった。だが、将来困るようなことにはなるなよ。お父さんも理由次第では助けてあげないぞ」
どこまでもこの父親はどこかひん曲がっている。話を聞くだけでどんな人か大体分かった気がした。
「はい、はい。そうならないようにしますよ」
「何だ。その口に聞き方は。本当に分かっているのか。大体、お前はいつも、いつも……」
「はい。お父さん。もうその辺にしときましょう。ごめんね。亜津葉。私たちそろそろ帰るから」
母親は父親を押し退けて帰らせようとする。
ようやく助け船が入った瞬間だ。
「別に気にしないで。お父さんの言うことは真に受けないことにしているから」
また兼近さんは火に油を注ぐような発言をする。
何とか家の外に追い出したことでようやく帰る雰囲気に落ち着いた。
「亜津葉。今度、ゆっくり話そう。お父さんが居たんじゃ落ち着いて話せないし」
コソッとお姉ちゃんは兼近さんに耳打ちする。
「うん。お姉ちゃんならいつでも大歓迎。また来てよ」
「じゃ、また時間作れたら来るから。それと彼氏さんもこの子のことよろしくね」
「は、はい!」
「うん。またね!」
「バイバイ!」
バタンッと扉が閉まった瞬間、ようやく帰ったことを実感する。
「帰りましたか」
「帰ったね」
一瞬の沈黙の後、俺と兼近さんはその場に崩れ落ちた。
「はぁ、乗り切った!」
「いやぁ、案外バレないものだね。どう? 私の作戦は完璧でしょ」
「完璧じゃありませんよ。結構ギリギリです。ベランダ覗かれそうになった時はヒヤヒヤしましたよ」
「部屋の中を細かく見られたら危なかったかもね」
「土壇場の思いつきとは言え、勘弁してくださいよ。俺の部屋を兼近さんの部屋に例えるのは無理があります」
「えへへ。でも、うまくいったじゃん」
「そうですけど、もし本当の部屋を見られたらあのお父さん、絶対に連れ戻すってきかなかったと思いますよ」
「そうかもね。実家でも部屋を片付けろって何回も注意されたよ。直ることはなかったんだけど」
実家の時からあの状態だったのか。
父親の性格がどうと言うよりも俺だって本気で注意すると思う。
「さて。丸く収まったことだし、パァーッとお菓子パーティでもする?」
終わった、終わったと兼近さんは羽根を伸ばすように大きく伸びをする。
「兼近さん。その前に大事なことを忘れていませんか?」
「大事なこと?」
「惚けないで下さい。例の約束ですよ」
「ん? あぁ、あれね。そんな約束していたね」
「約束を果たして下さいよ」
「待ってよ。まだ例の約束の条件は果たせていないよ?」
「は? どういうことですか?」
「やだなぁ。部屋の片付けを終えることが約束の条件じゃん? つまり、まだ部屋の片付けは済んでいないから約束はまだ成立しません」
ブブッと兼近さんは両手をクロスして『×』を作った。
「目的は家族から汚部屋を隠すことが条件じゃないんですか」
「えーそうだっけ? でも途中まで片付けたなら一層、全部片付けてもらわないと奥歯に何か刺さっている感じで嫌じゃない?」
「それは俺ではなくて兼近さんの問題では?」
「別にいいよ。やりたくないなら約束は無しってことで」
「わ、分かりました。なら最後までやりますよ。それをしたら今度こそ約束を果たしてくれますね?」
「うん。約束する。何? 冴島くん。そこまでして私にそれをしてほしいわけ? どれだけガッついているのよ。逆に引くわ」
「兼近さんが言い出したことでしょ。俺はそれに乗っかっただけです」
「じゃ、頑張ってよ。最終チェックまでここにいるから」
俺一人でやらせるつもりか。だが、兼近さんが手伝ったところですぐにサボるし戦力にならない。
そう言う意味では俺一人で作業をした方が効率的かもしれない。
「さて。気合を入れないとな」
俺は掃除業者のように動きやすい服装に頭にタオルを巻いた。
兼近さんの部屋の清掃活動に取り組む。
時間の制限が無くなった分、ゆっくり丁寧に片付けることが出来るので作業としては無理なく進めた。
そして隙間時間を利用しながらトータル一週間かけてようやく人が住める空間へ生まれ変わった。
「嘘。これが私の部屋? 入居以来の広さじゃない」
「苦労しましたよ。処分費とか収納用具など別途掛かりましたが、その辺は兼近さんのお財布から出して下さいよ」
「うん、うん。それくらいなら出す。いやー綺麗な部屋って落ち着くわ」
「なら普段から綺麗にして下さいよ」
「それはやれたらやる」
絶対やらないやつだ。この綺麗な部屋はいつまで維持できるだろうか。
せめてずっとキープしてほしいが、兼近さんのことだ。三日で元の状態に戻るのではないだろうか。
「ありがとう。冴島くん。やっぱり持つべきはリア友だね」
「それはどうも。それよりも兼近さん。例の件ですが……」
「はい、はい。分かりました。いつがいいの?」
「今度の日曜日にお願いします」
「了解」
約束の内容。
それは兼近さんが一日、俺の犬になるというものだった。
ついに兼近さんを犬にする時がきたと俺は今から楽しみであった。
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