アダラ

日和ひよこ

第1話 真白凪


「明日、地球が滅びるとしたらどうする?」


「おっはよー!今日は張り切って生きて行こー!」

 目の前でウサギの耳みたいなツインテールをした彼女は天高く腕を突き上げた。初めて見た時より明るさをもったピンク色の髪が太陽に反射してキラキラ輝いているような気がしてしまう。

 私は、久しぶりに浴びた女子力という名の目に見えぬ圧倒的力に目を細めた。彼女はニコリとも微笑まない私を見て、むすっと頬を膨らませた。その姿はウサギというよりは頬袋にドングリを詰め込んだリスのようだ。

「ちょっとちょっと~!今日は元気に!え・が・お!」

 ニーっと彼女は自身の口を両手で引っ張ってみせるが、残念なことに私が笑顔を見せることはなかった。


「奥野くん、彼女できたらしいよ」

 その言葉を聞いた時、ポロっと箸の間から食べようとしていたちくわが滑り落ちた。

「え?何組の奥野?」

「うちのクラスの奥野真、あんたの好きな」

「えーっと…え?」

 友人の言っている意味がどうしても理解できなくて。というか、私の脳の処理が追い付いていない。

 落ちてしまったちくわのことなんて忘れて、教室の中に素早く目を走らせる。奥野真は私の動揺なんか露知らず、友人たちと談笑していた。いつもならその笑顔の輝きにありがたみすら感じるが、今は何も感じられない。

「まぁ、ドンマイだよね」

 目の前の友人はそれだけ言うと私の落としたちくわを拾った。好きな人に彼女が出来てしまった。それはいつか起きる出来事であって、たまたまその瞬間が今なだけだ。

 そもそも私が彼を好きになったのは、たまたま席替えしたら隣になって、話してみたら思ったより優しくて。事あるごとに言葉を交わす機会があったから、「あれ、もしかしたら両想いなのかな」とか思っただけで…。

「おかしいでしょ!?少女漫画なら付き合ってるはずじゃん!」

「凪ちゃん、思い込み激しいところあるから…」

 学校の帰り道、今日発売の新刊を買いながら思わず本音が口をついて出た。

「何が悪かったわけ…?奥野ルートのヒロインになれたんじゃなかったの…?」

「現実は乙女ゲームじゃないよ」

「正論すぎる…」

 落ち込む私に怒涛の正論をぶつけてくる幼なじみに返す言葉もない。もはや私の心はボロボロを通り越して、ズタズタのバキバキだ。

 高校に入学して早半年以上。少女漫画のような生活を期待していたはずなのに、勉強についていくのに必死で、気づけば冬がきていた。

 ふと見上げれば、最近まで鮮やかな緑色の葉をつけさせていた木々は私の心のように枯れていた。どこでなにを間違えたかなんてわからないし、私はただ憧れの漫画の世界みたいに刺激的な日々を送りたかっただけなのに。

「そうだ、じゃあこのサイトに書き込みでもしてみれば?」

 眼鏡をかけた幼なじみがスマホの画面をこちらへ向けていた。

「魔法少女リリィのお悩み相談所…?」

 昔懐かしい色合いに、このご時世廃れたと思われていたキリ番まで備えられた掲示板がそこにはあった。古い掲示板らしいのに結構繁盛しているらしく数多くの書き込みが寄せられている。その多くが恋愛相談だった。

「なに隼人。こんなサイトみてんの?」

 ちょっと引いた目で幼なじみを見れば、彼は慌てたように首を横に振った。

「ち、違うよ!ネットで偶然見つけて…」

 あまりに勢いよく否定するのを不可解に思いながらも、もう一度サイトへ目を落とす。書き込みをしている人の中にも信じていない人が大半のようだが、中には「叶いました!ありがとうリリィ!」と書かれたものがチラホラ見受けられた。

 私はそれを見ながらため息をついてしまう。いくら少女漫画や乙女ゲームが好きな私でも魔法なんてものが現実に存在するなんて微塵も信じていない。

「あのね、魔法少女なんているわけないんだから。叶いましたっていうのも自演に決まってるでしょ」

「でも、リリィの姿を見たって人もいるよ?」

「絶対にいないから。魔法少女なんて非現実的だから」

 そう言って私は彼のスマホの画面を消した。自分自身、夢見がちな性格なのはわかっているが、そんな存在を信じたことなんて一度もなかった。


「う、嘘でしょ…」

 買ったばかりの新刊を読みながら私は石のように固まってしまった。今の私の心の支えといってもおかしくない少女漫画の最終ページ。普段なら告知や既刊情報が載っているその場所に大きく「次巻!感動の最終回!」と書かれていたのだ。

 ズルズルと力を失ったようにソファの上に寝そべってしまう。いきなり突き付けられた現実に心が追い付かない。

「バラ美先生…なんで…百巻まで頑張りますっていうのは嘘だったんですか…」

 野原バラ美先生。私に少女漫画というものを教えてくれた云わば人生の師匠だ。今連載しているのは「薔薇とヒーロー」というラブロマンス。

「連載終了とか信じられない…」

 好きな人には告白する前に振られたみたいな感じだし、どうして追い打ちをかけるように心の支えまでなくなってしまうの。

 信じられない気持ちからソファの上で屍になっていると、不意に暗くなった。電気でも消えたかなと視線だけ上へ向ければ鬼の形相一歩手前の母親が立っていた。

「凪、あんた漫画なんて読んでる場合なの?」

「え?」

 母は、冷ややかな笑みを顔に張り付けて、私の目の前に一枚の紙を落とした。のそのそした動きでその紙を拾い上げる。それは前回のテスト結果だった。

「随分、次の期末テストに自信があるんですね」

「えっと…」

「中間で赤点があるみたいですけど、挽回する自信がある、と」

「あ、あのですね…お母様。私いま勉強とかの気分じゃ」

「期末で赤点取ったら漫画全部捨てるから」

 母はニコッと飛び切りの笑顔を見せて私の前から去っていった。あの笑顔はヤバい、冗談ではなく本気でやる顔だった。ヒヤリと背筋に汗が滴り落ちるのがわかった。赤点回避…無理とか言ってる場合じゃないけど…残念なことに私の精神状態は芳しくなかった。

「失恋もして、漫画も終わって、赤点回避しなければ漫画はなくなる…なんで…」

 一体私が何をしたというんだ。ただ平凡に生きてきて。大好きな少女漫画みたいなヒロインになれなくて…提示されている未来に光もない。

「こんなことなら地球滅亡すればいいのに…」

 ポツリと呟いた言葉に昼間見せられた掲示板が脳内に浮かび上がった。

「そうだ…別に信じてなんかないけど…」

 テーブルの上に置いていたスマホ手に取り、掲示板を開く。ギリッと奥歯を噛み締めて、思うがままに掲示板へ書き込んでいく。私が悪いんじゃない。こんな風にした世界…地球が悪いんだから。

「地球滅亡祈願」と短く書き込んだのだった。

 どうせ誰の目にも止まることなんかないだろうと思った次の日のこと、突然、私の目の前に見たことのない女の子がいた。彼女は十六歳にしては痛々しい耳上ツインテール、ウサギの髪留めをしていて、カーディガンまでピンク色という徹底ぶりだ。彼女は私の前の席に当たり前のように座っていて、昼休みになった時クルリとこちらを振り向いた。

「お昼だね!今日は何食べるの?」

 ビクッと肩が跳ねてしまった。一体全体この子は誰?知らない子なはずなのに誰も何も言わない、彼女は妙にクラスに馴染んでいた。

「おーい?どしたの」

 彼女は不思議そうに首を傾げる。まんまるな瞳が見つめてきて私は耐え切れずに聞いた。

「誰?」

 彼女は私の言葉に更に大きく目を見開いたが、小さな声で「あれ…耐性持ちだったか」と呟いた。

「耐性…?」

 言葉の意味を問い返そうとしたが彼女がパチンと指を鳴らした瞬間、クラッと視界が傾いた。まるで何かに揺さぶられたように景色が歪む。いきなりの感覚に額を抑えるが、すぐに視界は元に戻った。不思議に思い目の前の彼女を見ると、ニコッと微笑まれた。

「大丈夫?も~また眠くなってたん~?」

 ブルブルと頭を振ると、靄がかかったみたいだった頭の中が明瞭になる。

「いや、眠くないし…あんたの代わりに授業中の質問答えたじゃん。先生に「真白凪、答えろ」とか言われるから」

と答えて、「あれ?」と思ってしまう。

授業中にフルネームで呼ばれることなんてあったっけ?

「あはは~、凪は優しいから〜…感謝感激雨アメ飴だよ!」

私がそんな疑問を持っていることなんて知るはずもない彼女はニコニコと笑っている。

……そんな疑問を持つ方がおかしいのか。

私はため息をついて彼女に突っ込んだ。

「それを言うなら感謝感激あめあられだから。アメ降らせてどうすんの」

「みんな喜ぶでしょ?」

 アメが降ってきて喜ぶのは小学生までだと思うが、純粋な瞳を見て言うのをやめた。彼女はパクパクとメロンパンを口にしている。

 自分もつられてお弁当の中身に手を付けていく。今日はいつもと変わらずちくわが入っていた。なぜか我が家の弁当にはちくわが必ず入っている、謎だ。そんなちくわを口に入れようとした時、唐突に彼女が言った。

「明日、地球が滅びるとしたらどうする?」

「は?」

 ……いつかのように箸の間からちくわが滑り落ちる。それくらい衝撃的で、動揺した。

 地球が滅びる。それは昨日、掲示板に書き込んだ内容そのもので……。まさか、あの書き込みをしたのが私だとバレたのだろうか?

 彼女の目を何故か見ることが出来なくて机の上に落ちてしまったちくわへ目を落とした。

「ただの質問だよ~。なんか昨日読んだ小説にそんな話あってねぇ。凪ならどうするかなぁって」

「あ、あはは……なるほどね……」

 ほっとして強張った体から力が抜ける。何回か深呼吸してちくわを拾った。

「明日ね……急な話すぎない?」

「そう?人類の危機って割と突然じゃない~?」

 言われてみればそうかもしれない。感染症も自然災害も対策をしていたとしても突然襲い来るものだ。

「明日滅びるのは確定事項なんでしょ?」

「そだね~」

「そうすると考える気が起きないな…何考えても叶わなそうだし」

「夢ないなぁ。というか枯れてる、枯れてるよ!華の女子高生なのに!」

 枯れている、という単語が一直線に私の壊れかけの精神に突き刺さった。これがキューピットの矢なら恋に落ちているくらい真っ直ぐに。枯れている…それは外にそびえたつ木々のようにということだろうか。寒空の下に立つ木を想像してブルッと身震いした。あんな風にまだなりたくないのが本音だ。

「ないの~?やり残したことみたいなの」

「やり残したことか……」

 うーんと腕を組んで考え込んでしまう。この歳でやり残したことと言われれば……。

「サイン会に行きたい」

「サイン会?」

「うん。好きな漫画家さんがいるんだけど、抽選に当たったことなくてさ」

 バラ美先生のサイン会は定期的に開催されているのだが、残念ながら当選したことがなかった。こればかりは運なので仕方ない気もしているが。

「その好きな漫画家の名前は?」

「野原バラ美先生って言うんだけど」

 ほら、と先生の公式サイトを見せると彼女はメモを取った。

「興味あるの?」

「ん~……何事も勉強だからねぇ」

 興味があるかないかの問いだったのに見当違いな答えが返ってきた。

「他にはないの?」

「他?ん~……」

 何かあるかなと視線を落とすと先生の公式サイト。そういえば…

「聖地巡礼デートがしたい……」

「なにそれ」

 無意識に言葉に出していたみたいで、彼女は目を数回瞬いた。声に出ていたとは思わなかった。これは説明するにしても恥ずかしい内容だ。

「なになにっ?」

 彼女は恥ずかしがる私とは対照的にキラキラと目を輝かせている。知らない人に一から説明するのは……と思ったが、彼女が体を乗り出してきているので仕方なく口を開いた。

「さっき言ったバラ美先生の今連載してる作品でね、伝説のデート回って言われてるのがあって……そこを見たいなって……」

 思いまして、と最後は小さく呟くように口にした。絶対、引かれたと思ったが彼女は私の言葉を逃さないようにメモしていた。

「そ、それまでメモするの?」

「何事も勉強、勉強~」

「なんの勉強なのさ……」

 私の言葉はもう聞いていないようで彼女はメモを終えるとニコッと笑った。

「よーし、凪。今週の日曜日空けといてね」

「は?」

「遊びに行こ~!」

「なんで?」

 いきなり突然、どうしてそうなるのかわからない。けれど彼女は私の疑問に答えてくれず、

「当日はオシャレ!そんでもって、え・が・お!」

 と言って、ニーっと笑ったのだった。


 地球が滅びるなんて本気で思っているわけない。書き込んだって何か変わるなんて思ってない。でもこれだけついてないと何もかもがどうでもよくなるじゃないか。

『ー専門家によりますと』

 告白する前に好きな人に失恋して。

『超巨大隕石は徐々にー』

 大好きな漫画は連載を終えて。

『地球へ接近しー』

 テストの結果が良くなることなんてありえない。それなら、それなら……


 あまりに眩しすぎる笑顔と輝かしい存在感に、私は一歩後退ると巻いてきたマフラーに顔をうずめた。なんだろう、存在そのものが目に痛い。

「ちょっと~、なんで変な顔してるのっ?」

「いや、なんか……女子力の差を感じて」

「え?」

 彼女はきょとんとした顔をすると自身の着ている服へ視線を落とした。どこか不安そうな表情で。彼女は、俗にいうロリータ服。

ピンク色をベースにし、フリルをふんだんにあしらったもので。足の間からリボンのようなものが見えているから、きっと大きなリボンがついているのだろう。

極め付けは、彼女にピッタリのウサギのリュック。……一言で言うと……可愛い、可愛すぎる。

 一方私はというと、一応初めて一緒に出掛ける子なのでそれなりのオシャレをしてきた。

 今日のテーマは文学少女だ。ベレー帽に赤いチェックのスカート。それから革の鞄を背負って。どこからどうみても完璧だ。ただ彼女と並ぶと対照的すぎてチョイスを間違えてしまった感が否めない。

「お、おかしい?……ちゃんと、ぴょんまると相談したんだけどな……」

 もっと甘めな服を着て来ればよかったなと考えていると、彼女が不安げに私の肩を掴んだ。

……ぴょんまる?なんのことかわからないけど、彼女は何をそこまで不安に思うっているんだろうと首を傾げてしまう。

「ううん、似合ってるよ。女子力の違いを見せつけられたな…と」

 私の言葉を聞いて、彼女はほっとした顔を見せると、グイっと腕を引いた。

「よ~し!行くぞ~!」

「どこに!?てか今日なにするの?」

「ふっふっふ~、ついてこ~い!」

 質問に答えてくれることはなく彼女はドンドン進んでいく。迷いない足取りなので行先は決まっているみたいで安心だが…歩くたびに増えていく疑問符と共に辿り着いたのは、有名な大型書店の前だった。

「本買うの?」

「違うよ〜…じゃじゃーん!」

 彼女はパッとポケットから二枚の紙を取り出した。そこには「緊急開催!野原バラ美先生連載終了記念サイン会」と書かれていた。

「は!?」

 目に入った文面が信じられず、紙と彼女を交互に見比べてしまう。彼女はこれ以上にないくらいの得意げな表情を浮かべていた。

「こ、これどうしたの?」

 震える手で紙を手に取ると彼女は自慢げに腰へ手を当てた。

「ふっふっふ~……昨日たまたまタイミングがよくてね~」

「い、いつ抽選やってたの?」

 彼女は、ちっちっちと人差し指を横に振った。

「昨日、先着受付やっててねぇ」

 そしたら取れたんだよ、とピースサインを見せられた。

「い、いいの?貰っても」

「いいに決まってるじゃん~、凪のために取ったんだから」

 ドヤ顔にもはや愛おしさを感じてしまう。こんなに心が広い人がいるなんて!

「ほらほら~サイン貰いに行こ~」

 グイグイと背中を押されながら書店の中へ足を踏み入れ、ワクワクしながら待機列に並ぶ。どうやら楽しみにしているのは私だけではないようで。

「わ~、サイン会ってどんな感じなのかなぁ。ササってピュピュって書いちゃうのかなぁ」

 彼女が隣で期待に満ち溢れた声をあげた。ササッはわかるけどピュピュってどんな書き方なのだろうか。

「てか、先生の本読んだことあるの?」

「ないよ~、でも大丈夫」

「え、大丈夫じゃなくない?」

 彼女はニコーっと笑った。その笑顔が私の不安な気持ちを膨らませている気がするが感じなかったことにしよう。緊張する気持ちを落ち着けるように深呼吸すると順番が回ってきた。

「は、はじめましてッ」

 勢いあまって声が裏返ってしまう。先生はニコッと笑うと「お名前は?」と聞いてきた。

「な、凪です!あの!その!せ、先生の作品が大好きで!その!「薔薇とヒーロー」の世界大戦編 対フランス編が一番好きです!大好きです!」

 私の勢いに先生は驚いたように目を瞬かせたが微笑んでくれていたのが嬉しくて嬉しくて、私は何度も頭を下げたのだった。


「すごい!すごいすごい!先生のサインがもらえちゃった!」

 サイン会を終えて私たちは、順調に聖地巡礼をしていた。物語を追憶するように歩いていると、やがて日が暮れ始めた。そして彼女に手を引かれるまま、スカイタワーへと来ていた。私は何度もサインや撮った写真を見返した。

「よかったねぇ~」

「うん!本当にありがとう!」

 ニコニコしながら飲み物を口にする。何故か彼女は私以上に笑っている。すごく嬉しそうなのはなんでだろう?彼女は私と同じ飲み物を口にしながらふと、展望台の向こう、屋根のない柵の方をみた。私もつられて目を向けてしまう。ちらほら人が見えるが、みな一様に空を指さしたりしていた。

「今日の予定ももう終わり?」

 まだ柵の方へ目を向けている彼女へ声をかけると、彼女はこちらを振り返った。

「好きな先生のサインがもらえて、続編の話も聞けて、聖地巡礼もできて。失恋の傷は癒えた?」

 ……失恋のことなんてすっかり頭の中から消えていた。

「……うん、そもそも失恋だって私が告白しなかったのが悪いわけだし。彼のどこが好きだったかって言われると」

 ぱっと思いつかないかな、なんて笑って言えば彼女も微笑んだ。

「勉強は頑張れそう?」

「もちろん!サイン貰ったし、いい気分転換できたし」

 と答えて、あることに気づいた。私は、失恋のことも勉強が上手くいっていないことも彼女に話していたっけ?

 いや、そもそもの話……。ジッと目の前に座る私の友人であるはずの彼女をよく見る。見たことのない髪形に髪色。どこか浮世離れしているような存在感。私は、彼女の綺麗な瞳を見つめながら問いかけていた。

「あなたは……誰?」

 共に行動していたのに、同じ空間にいたのに、ここ数日隣にいたのに。私は彼女の名前を呼んだことがなかった。いや、呼べないのだ。だって

「誰なの?」

 彼女の名前を知らないのだから。

 言いようのない恐怖が体中を駆け巡り、気づくと椅子から立ち上がっていた。そんな私を見て彼女は、初めて見た時と変わらない笑みを浮かべた。

「あたしね、笑ってる女の子が大好きなんだ。笑顔を見れば、あたしまで笑顔になれてさ」

 そう言いながら、彼女はゆっくりと展望台の向こう側へ歩いていく。私は動けなかったけれど、歩く彼女につられて自然と体が動いていた。

「夢や願いをもつ女の子はなによりも強い力をもってるんだよ?それこそなんでもできちゃうの!例えば」

 言葉を紡ぎながら彼女が自身の人差し指を天へ向けた瞬間、無数の光が空から降り注いだ。そのまま、それらは次々とビルや地面に突き刺さっていく。悲鳴や絶叫が街中に木霊する。私は目に見える光景が信じられなくて、指も足も動かせない。声も出ない。声をかき消すほどの衝突音や爆音が耳に届いているはずなのに、柵に背中を預けて私の方を見る彼女は微笑んでいた。

「地球滅亡、叶っちゃうね」

「え?」

 彼女の声が掻き消されることなく、やけに透明にクリアに聞こえた。地球滅亡、それは……。

「な、なんで……それは……!」

「地球滅亡祈願!短くていい願いだとあたしは思ったよ~」

 降り注ぐ隕石なんか見もせずに、彼女は私に向けて言葉を紡ぎ続ける。ドタドタと展望台から人がいなくなっていく。誰かが残したスマホから声が聞こえてくる。

『緊急速報です!接近していた超巨大隕石は地球に次々と降り注ぎ…もはや止める手立てはありません!』

 音声がノイズと共に切り替わる。

『この世界が終わりを迎えようと』

『祈りましょう』

 次から次へと言葉が洪水のように耳に、体に、脳に流れ込んでくる。手が震えているのがわかった。じっとり汗が滲んでいる。だって、だってこれは

「可愛い女の子のお願いは叶えてあげなきゃだ~って、あたしと同じ人種の誰かが思ったんだろうね~」

 彼女はニコニコ、ニコニコ笑ったまま話し続ける。

「でもさ」

 彼女の指がビシッと私に向けられた。

「女の子を泣き顔にしちゃうのはルール違反!」

 ポタ、ポタ、と目から何かが流れ落ちていく。違う、違う!私は本当に滅んでほしくて書いたんじゃない。ただ、ただ……!

 その場に力なく座り込んでしまう、今や全身が震えていた。だって目の前で起きている現象は全部、私のせいなのだから。こんなのもう、どうにもできるわけ……と思った時、右手が温もりに包まれた。

「ねぇ、まだ地球滅亡して欲しいって思ってる?」

 私は彼女が言葉を言い切る前にブルブルと頭を横に振った。それを見て、彼女はギュッと私の手を一瞬だけ握り立ち上がる。

「うん、わかった!あたしに任せなさ~い!」

 そう言ってパチンっと勢いよく指を鳴らすと、彼女の服がパッと変わった。手品みたいな速さに、泣いていたことも絶望していたことも忘れて固まってしまう。彼女は手のひらの上に、星の形をした結晶みたいなのを浮かべると空へ放った。そして、トンっと柵の上に乗り、隣にはウサギが浮かんでいた。

私は目に見えるものや急展開についていけず目を擦る。彼女はチラッと私の方を振り返っただけで、柵の上から飛んだ。

「え!?」

 その現象だけはどうしても信じられなくて思わず柵へ駆け寄ってしまう。彼女はフワフワと雲のようにその場に浮んでいた。

「ま、待って!貴女は一体…!」

 彼女はクルリとこちらを振り返ると、輝くような笑顔で

「可愛い女の子の味方、魔法少女リリィ!」

 そう言い放って空へと消えて行った。


「はっ!?」

 ガバッと毛布をはねのけてベッドから起き上がる。全力疾走でもしてきたのかというくらい心臓が暴れ狂って呼吸がはやい。妙にリアルな、現実感のある夢を見た気がする。

 夢…だったはずなのだけれど、夢な気がまるでしなかった。私は息を呑むと転がるように一階のリビングへ走っていった。運よくテレビはついていて、食い入るように画面を見る。けれど、どこの局も超巨大隕石が落ちたなんてニュースはやっていなかった。

 やっぱり夢だったかと、トボトボ部屋へ戻ると野原バラ美先生のサインが額縁に飾られているのだった。


「超巨大隕石がきて地球滅亡?」

 朝、なぜか珍しく、というか高校に入って初めて隼人が私を待っていたのだ。だから私は掲示板に書き込んだことと見た夢の話をしたのだが、隼人は首を傾げるだけで。

「だから!ピンクの髪でツインテールした女の子!私の前の席にいたでしょ!?」

 必死に説明するのに隼人は首を横に振るだけで。そんな子はいないの一点張り。おかしい、あんなに存在感があったというのに。うーんと考え込んでいると

「その子が魔法少女リリィだったってこと?」

 と言った。そっか、そうなるのか……でもリリィは私の願いを叶えたんじゃなくて……。

「???」

 我が家のお弁当に入っているちくわ並みに意味がわからなかった。

「魔法少女リリィってさ、女の子の願いし叶えないんだって。そんなリリィの力の源は」

 隼人は自身の頬を指さした。

「女の子の笑顔、らしいよ」

「笑顔……」

『え・が・お!』

 彼女は事あるごとにそう言っていた。笑顔、笑顔って。もしかしてあの子は、地球滅亡と書き込んだ私が悔やまないように、私が笑顔になるように現れたのだろうか。都合のいい解釈に思えてしまうが、ふと空を見上げるとあの日あの子が空に放った星が流れたように見えた。

 まるで「その通り!」とでも言っているように。

「?どうしたの?」

「ううん、なんでもない。というか、やっぱり隼人、魔法少女リリィに詳しいね?」

「へっ?」

 そう聞くと、隼人は慌てたように顔の前で手を振った。心なしか頬が真っ赤に染まって見えたのは気のせいかな?

「凪ちゃんが好きになってくれますようにって書き込んだなんて言えない…」

「なんか言った?」

 下を向いてしまった隼人の顔を覗き込むと、隼人は思いっきり肩を跳ねさせた。

「う、ううん!行こ!学校行こ!」

「ちょ、ちょっと待ってって」

 急に速度をあげた隼人の後を追っていく。あのお節介な魔法少女が私の幼なじみに「アタックあるのみだよ!少年!」なんて適当なアドバイスをしていたと知るのはもっと先のことであるのだった。

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アダラ 日和ひよこ @hiyohiyoko

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