織姫 優華〈2〉

「いらっしゃい」

アンティークのピアノの音色を思い出させるような優しい声が耳へと届き、優華ははっとする。

「あ…えっと、その」

「あら可愛いお客さん。若い子がこのにくるのは久しぶりね」

セピア色の薄暗がりの中、天窓から指す光の下で女の人が振り返る。

とても綺麗な若い女の人だった。赤茶色の髪に、夜色がかかった夕焼け色の瞳。知らない人のはずだったのに、なぜか懐かしくなった。胸が痛いぐらいに懐かしくて。

「さっき開店したばかりなの。今日は日の入りが遅かったから」

運が良かったわねと笑うその人を見ていると気がつくと涙が頬を伝っていた。

「あれ、なんで、ごめんなさっ…」 優華は焦って涙をふこうとした。

けれど、女の人はああと優しく微笑んで。

「あなたも辛いことを抱えているのね。大丈夫、ここでは好きなだけ泣いていいのよ」

この料理亭には心が病んでしまった人や、辛いことを抱えた人などがよく訪れるらしい。理由は分からないけれどねと暖かい紅茶をサービスと笑って差し出しながら教えてくれた。

「ありがとうございます」

透明なお茶から魔法のように舞い上がってくる湯気。

優華はそっと色ガラスのティーカップに注がれた紅茶を口に運ぶ。

「…おいしい…」

「カモミールティーよ。緊張を和らげてストレスを解消させる効果があるの」

初めて飲んだカモミールティーはすっきりした味で、香水のような香りがした。胸が暖かくなって、身体中がすとんとした気持ちで満たされたような気がした。

女の人は、カウンター席に座りちびちびとカモミールティーを飲む優華をカウンターに肘をつきながらにこにこと笑顔で見守ってくれていた。

「あの…ごはん、頼みたいんですけど…」

カップが少し軽くなったころ、優華は夕飯がまだだと言うことを思い出し、そっと顔を上げた。

「メニューって…」

女の人はそれを聞いていたずらっこのように笑う。まるで花が開くかのように。

「心和亭のメニューは店長おすすめセットの一つだけ。何が出てくるかはお楽しみ」

だって注文を取るのはめんどうじゃないと朗らかに笑うその人を見て、優華は自然と笑顔になっていた。

「じゃあ、それで」

「はあい」

女の人はカウンターの後ろの棚から夜明け色のボウルを取り出した。流れるような手つきでそこへ冷蔵庫から取り出した卵を割り牛乳と塩を加える。優しくなでるようにかき混ぜてラップをかぶせる。

「卵は混ぜた後、少し時間をおいておくのが私流なの」

ホカホカの白米にトマトソースとみじん切りの玉ねぎ、炒めた鶏肉を和えながら振り返って自慢げに教えてくれる。

その顔はステージで輝く歌姫のように生き生きとしていて、料理をするのが好きなんだろうなというのがひしひしと伝わってきた。


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