第5話

 ぼくはリナリアが消えてしまった地面の上でずっと座り込んでいた。

 何日も。

 ただ座っているだけ。特に何かするわけでもない。

 異世界の門は開かれていたままだった。

 それは最後の一人であるぼくが通り過ぎるのを待っている。

「イレン・カイ。王の勅命だ。一緒に来てもらうぞ」

 知らない声がした。確か王宮にいた兵士だったような気がする」

 兵士は有無も言わさず、ぼくの腕をむんずと掴んでひきづっていった。


 王様はぼくの前で食事を摂っていた。遅めの昼食だと言う。

「して。君は自分の世界に帰らないのかい? もうすぐ異世界の門は消えてしまうよ?」

 王様はそう言った。

 ぼくの目の前に食事が運ばれてきた。とても食べる気分ではなかった。

「正直、わからないんです。ぼくは、」

「わからない? ふむ、何がわからないと言うのかね?」

 ぼくは少し考える。その間王様はむしゃむしゃと食事を続けていた。

「王様。王様には経験がありますか?」

「ふむ、どんな経験かね?」

「自分の近しい人を亡くして。けれど別にその人のことは好きじゃなくて、死んだ後、知りたくなかったその人のことを知って。ずっと、彼女のことが自分の中で尾を引いている。空っぽなはずの自分がそこにはいて、大切に思っていなかったはずに人がずっと、ずっと……自分にとって特別な人であることに気がついて……でももう遅くて、……心がバラバラになって……」

 王様の隣にメイの姿が見える。

 けれどそれは幻覚だ。

 幻覚のメイは何も言わない。

 現実のメイはもう死んでしまった。

「……わかるよ」

「え?」

「わしもな、妻を亡くしているんだ。政略結婚で縁は深くなかった。わしは彼女に何もしてやらなかった。この通り多忙のみだからな……だから、病気をしていたことも知らなかったのだ。妻はわしの預かり知らぬうちにいつのまにか死んでいた………何知らなかったのだ」

「……」

「わしは、自分が深く傷ついていることに、驚いたよ。夫としてのわしは妻に何もしてやらなかった。傷つく資格なんてないはずなのに、わしは傷ついていた。……まこと、人間とは身勝手な生き物だ。後から、後になって妻の顔が浮かび続けて仕方がないんだ……後悔とは、取り返しがつかなくなって初めてするものだと、わしは知った」

「……王様は、その後立ち直れましたか?」

「分からん。未だに傷を抱えたままかもしれない、それでもわしは今こうしてここにいる。その日その日で出来ることをしてきている。妻を悼んでいる」

「ぼくは、ぼくはこの後悔を抱えていくことになるんでしょうか?」

「分からん。それは誰にも分からん。時間が記憶を消してくれることもある。死ぬまで傷ついた過去を持っていく必要があるかもしれん。それは、わしにはもちろん。きっとおぬし自身にも分からないのだ」

 王様は答えた。

 それはなんとも、悲しくなるくらいしんどい話だった。

「……お主は、その人に会いたいのか?」

「ぼくは……」

 ぼくは王様の隣を見る。

 メイはそこにはいない。当たり前だ、死んでしまったのだから。

 彼女はこの世界には、いない。

「会いたい、です」

 会いたい。

 メイに会いたかった。

 会って何を話すと言うのか。

 会って何をすると言うのか。

 ぼくは彼女に何もしてやらなかったし、何も言ってやらなかったのに。

 ただそれでも、罪深いくらい、メイに会いたいと思ってしまった。

「その人は、おぬしの世界のものだったかね?」

「はい」

「では、早くかえりなさい。その人が大切な人でも、そうでなかったとしても……その人は君の世界にしかいない。異世界では会えない。面影も、思い出も、ぬしがぬしの世界で生きなければ、見つけることも向き合うことも、出来ないんだよ」

「……はい」

 メイの姿は見えない。

 どこにもいない。

 彼女はこの異世界にはいない。

 異世界ではあえない。

 ぼくはぼくの世界に帰らないと。


 異世界の門の前に立つ。

 ぼくはそこに足を踏み入れる。

 その時遠くで大きな音がした。

 空には雲、その隙間から差し込む陽光。

 その麓で花火が開いた。

 赫い、鮮やかな花火だった。

「リナリア!」

 ぼくは地面から飛び出して空で赫い閃光を全力で弾けさせている彼女に思いっきり手を振った。

 リナリアもまたぼくに大きく手を振っていた。

 ぼくはわらっていた。生まれて初めて笑うことを知った子供のようにケラケラとわらっていた。

 やがて門が閉ざされる。

 完全に門が閉ざされるその瞬間までぼくはリナリアに手を振っていた。

 異世界ではメイには会えない。ぼくは普通に生きれないかもしれない。リナリアもまた自分の世界で普通に生きていくことになるだろう。

 けれど、異世界に来てよかった。異世界で、君に会えてよかったと、心からそう思った。



 

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