第1話 (4)

 どれだけ、どれだけ。

 自分が落下していったのか、もはやわからない。

 意識がくらくらと、暗闇の中で回り続けている。

 暗闇の中、意識が断絶する。接続する。それを繰り返している。

 ぱちぱちと、朦朧する意識の中で、電灯がついたり消えたり、

 くらくらきゅうくらぱちぱちもうろう。

 

 ぱちり。

 電気がついた。

 鏡の中の男がぼくを見つめている。

 若い男。ぼくだ。

 なんの感慨もない貌をしている。

 灰色の瞳は濁った泥の沼みたいだ。

 不安定に、電灯は揺らいでいる。

 鏡に映る、点滅するぼく。

 鏡面は湖の水面のように揺らいでいる。

 水面が風に揺れるように、鏡面がゆらぐ。

 鏡をのぞく。

 より深く、俯角。

 向こう側に赤い光が見えた。

 赤い――、否、朱く、紅く。

 あまりにも赫い。

 赫く、あまりにも美しい宝石花のような眩めく煌めき。


 ちゃぽん、と、――鏡に沈むように引き込まれていき――。



「おい、お前。人間、異世界人、お前だよ。熾きろ」

 躯が燃える錯覚があった。

 引き金を引かれた拳銃が撃鉄を落とすように。

 バチンと跳ね起きた。

「お前、俺様が見えるか?」

 声がした。目の前にいる少女からその音は発せられていた。


 少女――幼女といってもいい。見た目の年齢は8つほどだろう少女だった。

 けれど、ひとめで人間ではないとわかる。

 少女は赫かった。白く細い肌にあまりにも鮮やかな赫く長い髪、赫い宝石の瞳。

 赫い、宝石花。

 墨のように黒い鎖で彼女は繋がれていた。

「きみ、精霊?」

「お前、異世界人か?」

 これがぼくとリナリアという異端の精霊――悪霊との出会いだった。


「お前、どこから落ちてきたんだ? 死にかけじゃねえかよ?」

「きみはなんでこんなところにいるんだい? 鎖なんかに繋がれて」

「おい。俺が先に聴いてるんだぞ、お前が答えるのが先じゃないのか」

「……」

 その通りだ。先に質問をされたのならぼくが先に答える。

 子供に道理を説かれてしまった。

 ああ、それにしても、体中が痛い。

 いまにも死にそうなくらい。

 死にかけってのはこんなにも――。


                      そうか、こんなにいたかったのか。


「ぼくは唯漣カイ。異世界人……。ダンジョンの12階層にいるドラゴン退治をするためにクラスメイト……仲間たちとやってきて、……」

「ドラゴン? ああ、あれか。お前らそんな雑魚にやられてんのかよ。案外大したことないな」

 まだ全部言ってないのに遮られてしまった。

 まあ。話が早いのはいいことだ。どうにも意識や舌が回らない。

「おい待て、まだ死ぬな。俺も久々に誰かと話せて気分がいいんだ。なにせ千年も一人でこんなところに封印されていたんだからな」

 少女は饒舌に言葉を紡ぐ。

 心底愉快に見える。

 なんだかそれが、いいな、と思った。

「俺はリナリア。なんとなくわかっていると思うが、精霊だ。ただし、そこらへんの精霊とは格が違うぜ。見ての通りだがな」

 どうだろう。ぼくには鎖につながれて一人ぽっちの女の子にも見える。

「なあ。お前、死にたくないと思うだろ」

「―――」

「俺はよ、外に出たいんだ。ずっと縛られてたからな、外に出て暴れたい。なぁ、そこでだ。俺と契約をしないか? そうすれば、お前は助かる。俺には強力な治癒力があって、契約した奴は俺から流れる力でどんな重傷もたちまち治るようになるぜ。さらにはどんな願い事も一つだけ叶えてやれる特典付きだ。そして異世界人と契約すれば俺も俺を縛るこの孤独の要塞くろいくさりから解き放たれることが出来る。だからまあ、契約をしよう。手始めに」

 リナリアは語る。その言葉余裕たっぷりに聞こえるけれど、そうでもない。

「お前の望みを言え、どんな望みも叶えてやろう。お前が払うべき代償は――」

「ない」

「……うん?」

「ぼくに叶えたい願いは、ないよ」

「……まじかよ。いやそんな訳ないぞ。お前の目を見ればわかる。空っぽだ。器に中身がない。満たされる何かを探しているはずだ。求めるもの、願うもの、なりたいもの、それがないわけが―――」

「ないものは、ないんだ。いいかな? もう、眠くなってきてしまって」

「おい待て! 待てよ! わかった! 願いはいったん保留だ! 見つけた時に叶えてやる! だからとりあえず俺と契約してくれ! 俺は外に出て、バラバラになった俺の体を取り戻すんだ! もうこんな暗闇にいたくないんだ! 頼むよ……」

 威勢の良かった彼女の声がどんどん弱弱しくなっていく。

 なんだかひどく不安げで、哀しい声に聞こえた。

 

 しかし、意識が遠い。

 もうすぐ、ぼくも終わりと思っていたけれど、もう少し先になりそうな気がする。

 ぼくは震える手を彼女に伸ばして――。



 

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