第2話 青森県三戸郡新郷村 小澤家御屋敷

「ナニャドヤラー、ナニャドナサレノ、ナニャドヤラー――」


 それは淑やかなトーンで和室内で響く。都合一週間、誰かの女性は、俺の背中をただ覆い添い寝し、癒しの歌として日々馴染ませて行く。その歌はレクチャーの動画で見て聞いた、キリスト祭りのお囃子だった。

 キリストの墓でヴィジョンを見てから、疼痛に襲われどうにも体の感覚が戻らず、何処かの床に伏せた。四日目にして5時間程の意識が保たれ、そこから日々徐々に伸びて、一週間で漸く思考を得られる様になった。

 その間、ほぼ寝ずの介添えで俺を包み込んでくれたのは、この御屋敷の小澤家御当主小澤弥生さんだ。容姿端麗の淑やかさ、艶やかな髪に、添い寝の際には、化学合成では無い肉体から放たれる白桃の香りが、ただ不思議と心地良かった。そして、今の時代では違和感は無いものの、瞳が澄んだ青で、つい見とれてしまう。


 弥生さんは、俺をほぼ一人で介添えしながらの、やや一方通行ながらもの世間話は造詣の深いものだった。小澤家はキリストの墓の由来者の御三家の一つで、肌の白さも瞳の色も渡来故でしょうと。

 そしてこの昏睡は、10年に一度有るか無いかのトランスで有り、その為のナニャドヤラの鎮めの歌だと。過去立ち寄った民俗学の先生曰く。何なりと、どうなりと、身を委ねなさいの意であろうから、秘儀として、キリストの墓から放たれるヴィジョンへの没入が回避されているのであろうと。それでも、ヴィジョンを見てしまう方がいて、病院にうっかり搬送すると、投薬でリジェクション起こしかねないので、小澤家御屋敷に搬送しては、処置を施す掟との事。

 男女にすっかり疎い俺のあのうは、弥生さんが照れ混じりに答えてくれた。


「いや、それはですよね。この時期でも青森の一日の寒暖差は大きいので、ストーブをガンガン入れたいですけど、入れ過ぎると脱水症状起こしかねないので、人肌で直接で温めさせて貰いました。そうですよね。積極的な年上は苦手よね。でもこう見えて、三十路を超えてもまだ純潔で、殿方も選ぶのですよ。妹皐月の旦那惟任さんの時は、流石にメンソール臭かったので、無理と皐月に押し付けたら、まあ成り行きで世界的ダンサー出渕惟任さんが青森に移住して、結婚してしまいますかね。いや6畳あれば何処でもステージなんて、肝が座ってますよね」


 ああになった。あの出渕惟任はグラミー賞何度もの世界的黒人R&BシンガーPJC、Paul Jack Conseilのツアーダンサーリーダーで、何かと日本でも取り上げられた。内的なエモーショナルに没入するダンスは、型は真似れども天と地で、そう容易くは到達出来ない高みだった。PJCが代表して、インタビューでは日本舞踏も大きな影響も受けたと、気難しい性格の割には、日本の既知のインタビュアーには誠実に答えてくれる。

 その惟任さんは、俺の抵抗力が落ちに落ちて万が一の感染症に警戒して敷居を跨がず、まま食事を運んでくれる給仕さんだ。ただ、その両手甲にはどうしてもの聖痕があった。弥生さんは、俺を察し過ぎては丁寧に話してくれた。


「忍さんも約束の丘を見たと思うけど。惟任さんはその先の復活も潜り抜けて、霊安所から起きては、信徒と再会を祝い尽くしたそうよ。やはりキリストの墓はそのままかしらになるけど。私は総合的に見ていかないいけないから、迫害を受けたイエス・キリストが日本に立ち寄っての新たな論調については、冷静に大きな声としては言えないですね。とは言え、丹田に力を込めて舞踏出来る惟任さん。ふふ、見た目、その切りなさい長髪も聞き流して、肖像のキリスト様に見えなくも無いけど、最初からキリスト様の血縁の可能性もなくは無いわよね。現に、これ迄のトランスは、小澤家備忘録によると、忍さんと同じく約束の丘止まりなのですよ。どうしても不思議ですよね」


 そして過ごす事二週間。俺忍と暁は、御厚意と現象の確認で小澤家御屋敷に長らくとどめ置かれた。車中泊しか出来ない貧乏学生さんだったら、きちんと栄養取りなさいで、ただ瑞々しい素材の食事に満喫しては、抜け出せなかった。当然この間にも小さく小さな確認は入った。俺のアカシックレコードに、暁のサイコキネシスは、そうでしょうの直接的な指摘は無いものの。積み重なっては、別に青森は不思議県だから、何の気兼ねもいらないよの雰囲気が、生まれて初めて不思議な安息を招いた。


 そして、小澤家御屋敷は迫るキリスト祭りに準備追われる中、そろそろお暇しないと邪魔になるの判断から、小澤家御当主小澤弥生さんに直談判した。きりとして最適でしょうと。

 そして御屋敷を上げての宴が発表され、翌々日には新郷村の皆が集まったかの、盛大な宴になった。やはり漏れる事はまま有り、やや久方の識者が現れたとなると、生半に返せないが地元人情らしい。

 宴は夜を徹して進み、俺忍と暁は車の運転があるからと、地酒は留められたが、列席者はほぼ全て酔いに伏せた。そして弥生さんは、ここでのタイミングで和服の懐から、すっかり無くしたと思っていた特注の黒革のポケットサイズの手帳を差し出した。搬送の騒動で、処置室に置かれたままを、ずっと失念していたと。他に忘れ物が無いかと尋ねられたが、訳知り顔の暁が我関せずの顔をするが、最後の熱い抱擁をとはを、純潔の乙女弥生さんには言える筈もなかった。

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