第2話 いつも心にメロディーを

 私には何も無い。

 私は何も得ることは出来ない。

 私は木だから……

 木だから歩くことができない。

 進めない毎日

 下がらない毎日

 毎日、毎日、本当に退屈だった。

 だけどね、こんな私にも歩けた時があるんだ……

 目は見えなかったけど、それでも色んな経験をしたんだよ……

 私は今でも貴方を覚えてる。

 自分の名前を忘れても、貴方の名前は覚えている。

 貴方の名前は……


 いつも心にメロディーをいつも流れるメロディーが

 山には山の川には川の

 星には星の風には風の

 メロディーを奏でている。

 そっと耳を傾けてご覧。

 きっとみんなのメロディーが聞こえるから。

 少女がゆっくりと語る。

 少女が語ると夢を見ているかのように少女の話が映像となって頭の中に浮かぶ。

 精霊と言う非現実的なモノを見てしまった以上。

 これが、魔法だと言われても俺は信じる。

 大きな旅館の前。

 1人の少女が、ほうきで玄関を掃いていた。

 すると1人の男性が女の子に話しかけた。

「すみません。

 今日から暫く予約を入れていた詩空です。

 えっと女将さんを呼んでもらってもいいですか?」

 少女は、コクリと頷くと何も語らずにゆっくりと歩き始めた。

 詩空と名乗る男の肩には1匹の猫が乗っていた。

 詩空は、指で猫をからかいながら、少女の後についていった。

 少女は玄関につくと、ベルを鳴らした。

 すると、一人の若い女性があわただしく玄関に現れた。

「いらっしゃいませ。

 お客さんですか??」

 若い女性は少し訛りがあるものの丁寧な言葉で詩空に尋ねた。

「はい、予約を入れてある、詩空と言います。

 貴方が女将さんですか??」

「いえ、私は中居頭の冴(さえ)と申します。

 女将は、お客さんの目の前にいる、この子です。」

 冴は、そう言うと、先ほど玄関を掃除していた女の子の肩を叩いた。

 少女は照れくさそうに、小さなホワイトボードを詩空に見せた。

[女将の音那と申します]

 詩空が読んだのを確認すると、その文字を消してこう書き続けた。

[以後よろしく]

 詩空は、目を丸くして驚いたが、なんとなく状況が理解できた。

 詩空はニッコリと笑い、音那の頭を撫でながら、「よろしく」と言った。

 すると照れたのか、音那は走って旅館の奥へと行ってしまった。

 その光景を見た、冴は、苦笑いを浮かべながらこう言った。

「お客さん、あきまへんで……?

 女将さんは、あー見えて実は二十代後半なのですから……」

 と、少し関西の方言が混じった言葉で詩空に言った。

 すると、詩空は冴に尋ねた。

「関西の方ですか?」

「ええ、わかりますか?」

「はい。

 あ、僕の前では出来れば、普通に話してください。

 敬語とかちょっと苦手でして……」

「ええの?」

「はい。お願いします。」

 丹歌はそう言うと、迎えに来た他の従業員に案内され、用意された部屋に向かった。

 少しだけ、頭が痛い。

 息も出来ない。

 俺はゆっくりと、目の前の映像から目を離し、少女の顔を見た。

 少女の顔は、悲しげでとても寂しげだった。

 もしも、この体が動くのなら、きっと抱きしめていただろう……

「なぁ……

 この音那って子がお前なのか??」

 俺は何故か、この音那という女の子と目の前に居る少女が似ているような気がした……

 しかし、少女は何も答えなかった。

 ただ、ただ、下唇を噛み空をぼんやりと見つめていた。

 少女は、俺をキリッと睨みつけると静かに俺に言った。

「静かに見る事が出来ないの?」

 あまり、きつくは言われてなかったので、一瞬わからなかったが、きっと怒られたのだろう。

 俺は一息吸うと、再び映像に目を向けた。

 そこは、既に場面も時間もかなり過ぎていた。

 雪がヒラヒラと舞っていた。

 音那が、雪をつかんでは消え、つかんでは消え……

「空から降る雪をどんなに掴もうと取れはしないよ……」

 音那は首を傾げた後、ホワイトボードにスラスラと書き入れる。

[積もる雪か、そうでないか調べているの]

「え?そうだったの?」

 すると、音那は恥ずかしそうに、うんと頷いた。

「どうやって調べるの?」

 音那は、んーっと人差し指を唇に当てた後、ニコっと笑って、ホワイトボードにスララット書き入れた。

[秘密]

「……ケチ」

 丹歌が、そうつぶやくと。

 照れ笑いを浮かべた。

[じゃ、準備してくるね。]

 音那は、そう書くと小走りで旅館の中に入っていった。

「ええ、感じやのぅ……」

 丹歌が振り向くと、そこに居たのは冴だった。

「でも、あんま優しくしんといねな……

 ウチにも、あの子にも……」

「……ん?」

「アンタ、またすぐどっか行っちゃうんやろ?

 ウチらの前から消えるんやろ?」

 冴は、それだけを言うと走って旅館の中に入ってしまった。

 なんだろう?

 この感覚、どこかで……

 俺は映像を見ながら心が温かくなるのを感じた。

 前にも経験してる?

 俺は、この人たちをを知っている?

「にゃー」

 猫の声が聞こえる。

 あぁ……モニターの中か……

「やぁ……幾那(いくな)

 どうした??」

 幾那と言うのは猫のあの事だろうか?

 鳴いてと返事をしているから、きっと幾那と言う名前なのだろう。

 でも、猫に[幾那]は無いだろうに……。

 俺は、そんな事を思いつつ、俺は再びモニターの集中した。

 ニャーニャーと鳴きながら丹歌の体に摺り寄せてきた。

「僕は、どうすればいいのだろう??

 兄のように、病気を直すような詩は書く事が出来ない。

 修行の為に、来たものの……」

 丹歌は一人、幾那につぶやいていた。

 声が雪の音で消えるように……。

 小さな声で……

 誰にも聞こえないように……

 静かにそっとつぶやいた。

「誰かを救う詩を書きたい……

 でも、思い出がないんだ……

 なにも、なにも……

 なにも無いんだ……」

 丹歌は、そこに静かに倒れた。

「幾那……もう眠いや……

 まだ、昼前だと言うのに……」

「にゃ!」

 幾那は、慌てたかのように旅館の中に入っていった。

「あ、ずるいや幾那……」

 旅館の中から冴が幾那につれられて、丹歌の前にやってきた。

 すると、丹歌の状態を見て大きな声で叫ぶと、音那や他の従業員がやってきた。

 丹歌は、自分の部屋に運ばれ、音那は仕事に戻り他の従業員も皆、仕事に戻った。

 ただ、冴だけが、その場に残った。

 冴は丹歌の額に手を当て、「大分熱あるなぁ~」と呟いた。

 冴は丹歌の顔をじっと見つめた。

「ホンマ、そっくりやアイツとそっくりや……

 見れば見ればそっくりや……

 その上、名前まで同じやなんて……

 10年前、期待させるだけさせてウチ達捨てたヤツにそっくりや……」

「誰の事……かな?」

 丹歌は擦れるような声で尋ねた。

「聞いとったんか??

 盗み聞きなんてヒドイわ……」

「こう言う事は、盗み聞きって言わない」

「そんなトコも、ホンマそっくりや……」

「その人って……」

「今は、病気を治すことに専念しなさい……」

「あはは……『しなさい』なんて言われたの久しぶりだな……」

「丹歌さんは、何してはる人なん?

 えらいお金持ち見たいだけど……」

「色々かな……。絵を売ったり、曲を作ったり、歌ったり。

 猛動物の狩をして、毛皮や肉を売ったりかな……

 あ、用事棒とかもたまにやってる……」

「詩を作ったりとかは??

 そんなんは、できひんの??」

 丹歌は寂しい笑みを浮かべた。

「書けないんだ。何も……」

「どういう事??」

「僕には何もないから……」

 冴は、少し考えた後、口を開いた。

「あのでも、詩空丹歌って!」

「あはは……

 この名前は、世襲だよ。

 師匠の下で、二人目の弟子の場合、丹歌の名前を襲名できるんだ」

「じゃ、アンタの本当の名前は?」

「無いんだ……」

「え?」

「捨て子だから……

 師匠に拾われて、そこから丹歌って呼ばれるようになったんだ……」

「そっか……

 って、あれ?ん?」

「詩空丹歌は、六人弟子を取ると、詩空歌人になるんだ。

 そこでやっと、歌う人になれる。

 歌のプロって訳だ……」

「……あんな」

「前に、ここに来たことあるよね??」

「いや、今回が初めてだよ……」

「嘘や!10年前!来たやん!

 ウチは忘れ辺、その髪型、アンタが来たときに来ていた、その衣装!

 その話し方も!あの時のままやん!」

「10年前……

 俺は、14歳かな……

 そう言えば、冴さん。

 歳は幾つ?」

「26……って、そんな話して変やろ!

 そうやって、話をするとことか、あの時と同じままやないの……」

 冴はそう言って涙を、ポロリポロリと流した……

「詩空の名前を襲名すると、髪型や衣装は、決められちゃうんだ……

 ほら……」

 丹歌が、そう言うと自分のカツラを取った。

 すると、ふわりと薄明るい赤茶の髪の毛が見えた。

「あ……」

「その人は多分、俺の先輩か……

 それとも全くの偶然か……

 そのどちらかだと思う……」

 しかし、逆に安心した為か、冴は涙が止まらなくなってしまった。

 丹歌は、どうしたらいいかわからない様子で、冴の様子を見つめていた。

「どうして、抱きしめてやらんのだ……」

 俺は、思わず映像のに向かってそう呟いてしまった。

 すると、少女が寂しそうに俺に言った。

「嫌われ者だったからだよ……」

 その声は重く、何か意味ありげな言葉だった。

「嫌われ者??

 普通に話せているではないか……

 嫌いだからと言う理由で泣かせてしまったのだからには……」

 俺はここまで言い掛けた後、次に言う言葉が言えなかった……

 恐らく自分も抱きしめることは出来なかっただろう……

「嫌われていたのは彼女じゃない彼らよ……」

「彼ら?」

 少女は俺を睨んで、こう言った。

「どうして答えを急ぐの?

 少し待てば見れるというのに……」

 俺は、軽いため息の後、黙って映像を見つめた。

 その後、小さな声で少女の小言が聞こえた。

 冷たい印象しか見えなかった彼女に対して、初めて彼女の人間らしさが少し見えて新鮮な感じがした……

 ただ、画面には対した変化はなく……

 涙を流す、冴とそれをただ見るしか出来ない丹歌の映像が暫く流れた……

「早送りは出来ないのか??」

 ただ、呟いただけなのに、少女に睨まれた。

 きっと、無理なのだろう……

 次第に雨が降ってきた。

 それでも、二人の距離間は変わらなかった……

 静かに雨に打たれていた……。

 間が持たなくなったのか、先に口を開いたのは、丹歌だった。

「風邪……

 ひいてしまいますので、中に入りませんか?」

 冴は無言で頷いた後、早走りで一人で先に中に入ってしまった。

 丹歌は、冴が中に入った後を確かめると、自分は旅館とは逆の方向に歩いていった。

 無言で歩いていった。

 旅館が山の方にある為か、道をはずせば木が多い茂る場所に出ることが出来た。

 丹歌は人気がない場所に出ると、利の腕の袖の部分をめくり確かめた……

 その腕は、火傷の様な後で爛れ、所々が化膿していた……

「この手では、弾くことも書くことも出来ないよな……」

 そう小さな声で呟いた。

 すると、まるで返事を返したのかのように、丹歌のお供の猫が鳴いた。

「幾那……

 お前見てたのか……」

 丹歌はそう言うと、その猫の頭を軽くなでた。

「先生に、この旅館に泊まれと言われて……

 旅費代とか色々工面してくれたけど……

 俺らはこっちの方が向いているのかも知れないな……」

 雨が降るその場面を見て俺は思う。

 コイツの性格は、暗いと……

 そして、見ていて少し腹が立ってきてしまった。

 見た事がある光景。

 なんとなく知っている。

 俺は、この男のことを……

 何故だかはわからない……

 会った事は無いはず。

 それも、わかる。

 だけど、俺は知っているんだ……

 丹歌の行動とは違う意味で腹立つ自分がここにいる。

「……鈍感」

「え?」

 俺は少女にどういう事か聞こうと思ったが、再び少女に睨まれた為、俺は何も聞けなかった……

 丹歌は、腕を見ながら呟いた……

「この手が、もっと動けば…」

 そう呟いた時、草を踏みつぶす物音が静かに鳴った。

 丹歌が、その方向を見た時……

 そこには、音那が立って居た……

 心配そうな顔をして、今にも泣きそうな顔をして……

 音那は、黙って自分の持っている傘を丹歌の頭の上に持って行った。

【貴女が、旅館に戻るまで、私は、ここを動きません。】

 言葉には出してはいないが、音那の顔にはそう書いてあった。

 それでも、丹歌は動かなかった……

 すると音那は、黙って抱き締めた……

 動かなくうずくまってしまった丹歌を……

 かつて、その手を放してしまった故に自分を置いて何処かへ消えた青年が居たからだ……

 丹歌は、何処と無くその青年に似ていた。

 丹歌は、最初戸惑って居た。

 突然抱き締められても、どうしたら良いかわからない。

 なんだ……

 どうして、俺はこの男の子気持ちが解るのだ?

 俺がそんな事を思うと、少女の声が飛んで来た…

「もう、君の命が短いから…」

「何を今さら…」

 俺はそう言いかけたが、そこで止めた…

 力が入らない……

 あぁ……

 そうか、俺はもう……

「うん……

 ごめん……

 でも、まだすぐには死なないと思う…」

「ああ…

 でも聞きたくない…」

「ごめん……」

「いや……

 仕方がないさ……」

 少女の顔を見ると、ぼろぼろ涙を零して居た……

 行かないで、彼女の顔にはそう書かれていた。

 あれ?

 この顔はやっぱり……

 そう……

 あの少女にそっくりだ……

 音那と言う少女に……

 そう思った時、俺は手足が動く事に気付く……

 思う様には動かない。

 だが、少しは動けるようだ。

 温もりを感じはしないが……

 目の前に、密着した状態で彼女が居た……

 この映像は、さっきの続きなのか……

 俺は音那の頭を撫でようとした時、頭の中で声が聞こえた…

「バケモノ…」

 辛く悲しい感情が体全体を覆った……

 なんだ…?

 この感覚は…

「嫌われものだから……」

 少女の声が頭の中に響く……

 だから、俺は心の中で答えた…

「誰に……?」

 悲しい声で少女は答えた……

「神様によ……」

 当然の如くの反応が音那から返ってきた。

 今の俺の頬には真っ赤な手のひらサイズ痣が出来てしまった。

 音那の表情には恐怖の文字が浮かび上がる。

 生きている間に、もっと勉強しておくべきだったな……

 俺は心からそう思った。

「……バカでしょ?」

 少女の声が聞こえた。

 だけど、俺は反応する訳には行かなかった。

 このタイミングで悪態をつくのは、非常にまずい気がしたのだ……

 詩空は無言で、音那の後をついていき、旅館の中に入っていった。

 自分の部屋に戻ると、先に幾那の体を拭いた後、自分の体をタオルで拭いた。

「この物語の時代設定はいつなんだろう?」

 少女に聞いてみたが、答えは返ってこない。

 当たり前か……。

 答えたほうが逆に怖い。

「明治20年」

 こりゃびっくり、答えが返ってきた。

 答えたのは少女だった。

「えらい昔の話なんだな」

「ええ……」

 ……考えようとすると頭が重い。

 体を動かそうとすると、心が重い。

 疲れたのか??

「なんかとても眠いぞ……」

 俺は少女に聞いた。

 少女は何も答えない。

 体が俺の意思とは違う行動をしている。

 俺は気づいたとき眠っていた。

 いや、少し違う。

 夢を見ていたのだ。

 夢を見ているような感覚で、映画を見ている。

 丹歌は、幾那の頭を軽く撫でると、静かに鞄から楽器を取り出した。

 見たことも無い楽器だった。

 巨大な胡桃を縦に半分に割ったような感じ……

 詩空は静かに、その楽器を奏でる。

 静かな静寂なる音色は、意識の薄くなった俺にとっては眠気を誘うものでしかなかった。

「リュート」

 少女の声が聞こえた。

 この楽器の名前だろうか?

 俺は確かめることも出来ないまま眠りについた。

 夢を見ている感覚で体が勝手に動く。

 詩空は、静かにリュートを奏で始めた。

 現実を夢の続きとしてみる感覚。

 一時間、二時間と時計の針は進みが、詩空は引いては、調律、引いては調律の繰り返し。

 日が落ち始める頃、詩空の部屋のドアがノックされた。

 ドアが開かれ、そこには音那が、頬を膨らませて立っていた。

【ご飯ですよ】

 音那は、詩空がホワイトボードを見たのを確かめると、そっとホワイトボードを下ろして、詩空の目を見つめた。

 詩空は、ゆっくりとリュートを机の上に置くと、音那の前に出た。

「わかった。行こうか…」

 詩空は、音那の後をついていく形で、食堂に向かった。

 食堂には、団体客が来ていた。

 人数は、ざっと数えて20人ほど。

 何人かは、酔っていた。

 態度やマナーは悪かったものの、詩空は大して気にしない様子で、自分の食事を静かに食べ始めた。

 心ここにあらず。

 何かを考えているわけではない。

 ただ、心が空っぽなのだ。

 空っぽなままでは、食も進まなかった。

 ふと目の前に音那が丹歌の姿を心配そうに見つめていた。

【元気出してください】

 ホワイトボードには、そう書かれていた。

 さっきまで膨れていた音那なのに、今度はとても心配そうに詩空の顔を見つめていた。

 丹歌は、口をそっと開いた。

「僕の話を聞いてくれるかい?

 少し、重い話だけど……」

 音那はコクリと頷いた。

 すると横から声が聞こえてきた。

「ウチも聞いてええかな?」

 冴が消え入りそうな声で丹歌にいった。

「冴さんにも聞いて欲しいな。」

 冴は頷くと、テーブルの椅子に座った。

 それと同じくして音那も椅子に座った。

「『いつも心にメロディーを……

 いつも流れるそのメロディーが……

 山には山の……

 川には川の……

 星には星の……

 風には風の……

 メロディーを奏でている。

 そっと、耳を傾けてごらん? 』

 俺は、師匠から譲り受けた、この詩が好きでそして嫌いだった……」

 丹歌は、顔を上げ天井を見つめた。

「僕が生まれた場所は、部落の場所でね。

 ずっと差別を受けていた。

 そして僕の一族はその部落の中でも差別を受けてきたんだ」

 冴は、少し驚いた顔をしていたが声には出さなかった。

 音那は、じっと何も言わず丹歌の顔を見つめていた。

「部落の外では部落だと差別され部落の中でも差別されていた。

 そんな時、一人の音楽家に会ったんだ。

 その音楽家は、顔をマスクで隠し僕の目には物凄く恐ろしく見えた。

 村の隅っこで村の子に殴られていると、その人は、このリュートで音楽を奏でたんだ。

 すると子供たちは僕を殴るのをやめ、夢中でその音楽を聴きだした。

 殴られていた僕ですら、殴られたのを忘れるくらいすばらしい曲だった。

 その時、歌っていた歌がさっきの歌……

 『いつも心にメロディーを……

 いつも流れるそのメロディーが……

 山には山の……

 川には川の……

 星には星の……

 風には風の……

 メロディーを奏でている。

 そっと、耳を傾けてごらん? 』

 だったんだ……」

 丹歌は、テーブルの上にあったワインをひとくち口に含むと溜まっていたものを吐き出すように言葉を出した。

 耳を傾けたとき解ったんだ。

 今まで殴られているだけだったからわからなかった。

 言葉の暴力と言うべきか……

 俺に対しての野次が聞こえてきた。

『あー。嫌われ者が居る』

『死んでくれたらいいのに』

 僕は、耐えることができなかった。

 辛かった……

 その野次は何処からでもない。

 頭の中から聞こえてきたんだ

 僕は怖くて怖くて自分の家に向かった。

 怖くて怖くて仕方がなかったんだ……

 でも、僕が家に帰ったとき。

 僕の家は燃えていたんだ。

 同じ村の人が火を持っていた。

『おい、こいつピンピンしてるぜ?』

 男がそう言ったとき。

 別の女が僕の肩に包丁を刺した。

『コイツも殺して早く村の人に渡さないと……』

 僕は聞いたんだ。

『どうして僕を殺すの?』

 すると、男はこう言ったんだ。

『お偉いさん方の家に盗人が入ったんだとよ。

 それが、どうやらこの部族が疑われてね。

 犯人を見つけたら褒美がもらえるらしいんだ』

 そして、そう言うと刺した方の包丁をゆっくりしたに向けて刺し

 そこに油を注ぎ火をつけた。

 その時に付けられた傷がこれさ……」

 丹歌はそう言うと、自分の腕を二人に見せた。

 そして、ゆっくりと包帯を解いた。

 丹歌の腕は、きちんとした治療をすぐに受けなかったためか

 火傷のケロイドでドロドロになっていた。

 冴は、黙って丹歌の腕の包帯を巻きなおした。

「あとで、消毒しよな……

 イタイやろうけど……」

「ありがとう」

 丹歌は、無表情で答えた。

「痛みで失神した僕は、その場で気を失い気づいた時。

 僕は、牢屋の中に居た。

 意識を取り戻した僕に門番が言ったんだ。

 『お前は明日から家畜として売られる事になる。

 お前の両親は、もう処刑されたよ。

 お前はまだ子供だからな、罪は軽くなった。

 家畜としてでも生きれるのだからありがたく思えよ』ってね。

 なんの事かわからなかった。

 解っている事は、帰る家も帰る人も居ないと言うこと。

 でも、不思議と涙は流れなかったんだ。

 ほとんど諦めてたからだろうね……

 次の日、僕は家畜としてオークションにかけられたよ。

 一銭、二銭って金額は少なかった。

 一円でお釣りが出るんだもんな。

 それで、僕を買ったのが今の師匠だよ。

 僕を、10円でね……」

 丹歌は、切なそうにため息をついた。

「師匠は、僕を買った後、服屋に連れて行ってくれた。

 当然、部落出身の僕が服屋に入れる訳も無く、服屋の店員は僕を追い出そうとした……

 だけど、師匠はその店員にこう言ったんだ」

 丹歌は、嬉しそうに口を尖らせ、天井を見つめた。

「『コイツは、今日から俺の弟子だ。

 だから、何処に入れようと俺の自由だろ?

 それとも、天皇陛下直属の吟遊詩人の俺の意見に逆らうのか?』ってね。

 そしたら、店員は何も言えなくなったんだ。

 村の人にとって僕の身分が低いように、店員の人からしてみれば、師匠の方が身分が上だったんだ。

 それから、僕は師匠に服を買って貰い。

 師匠に連れられ孤児院に行ったんだ…

 そこには、僕と同じ立場の人がそこには沢山いたんだ……

 そして、僕はそこで【詩空丹歌】と名付けられた。

 この名前は、そこで音楽を学ぶもの全てがその名前に『丹歌』って名前がつけられる。

 だから、きっと君達の言う、詩空丹歌って人は、その中の一人だと思う……

 そこで学んだ人は、外ではみんな詩空丹歌だからね……」

「じゃあ、貴方の本当の名前は?」

 冴は、目に涙を浮かべながら丹歌に尋ねた。

「名前……か……」

 丹歌は、天井にぶら下がるライトを見て呟いた……

「忘れた。もしかしたら、あったのかもしれない。

 だけど、『詩空丹歌』になるまで、名前で呼ばれた事なんて無いと思う……」

 冴は、下唇を噛締めた。

 丹歌の手には、痛々しい火傷の跡、良く見れば、体のあちこちに傷がある……

 音那は、ただただ丹歌を見つめていた。

 そう……

 音那も、似たような虐待を受けて声を失ってしまったのに……

 冴は、そう思うと涙が止まらなくなった。

「私だけ、何も無いのに悠々と生きていたんやね……」

 そう呟くと、そこに泣き崩れた。

 音那は、泣く冴を抱き締めた。

 そして、丹歌の頭を力強く引き寄せ、二人一緒に抱き締めた。

 丹歌は、音那の鼓動を感じた。

 音那は、冴の鼓動を感じた。

 冴わ丹歌の鼓動を感じた。

 音那は、暫く抱き締めた後……

 丹歌に、こう書いた。

【私が声を取り戻したら…

 貴方は一歩前に踏み出してくれますか?】

 丹歌は、軽く頷いた。

「がんばる……」

 次の日の朝。

 丹歌は旅館の庭で、リュートを奏でていた。

 ただ、悲しげな音色を引いていた。

 その曲を静かに音那は聴いていた。

 ただ、ひたすらに聞いていた。


「ねぇ。

 君はどうして話せなくなったんだい?」

 丹歌は、音那に尋ねた。

 音那は、重い口を開こうとした。

 喋ろうとした。

 だけど、上手く舌がまわらない。

「無理しなくていいよ。

 話せるようになってからね……」

「あ……ぁ……」

 音那は一生懸命声を出そうとした。

 だけど上手く声に出なかった。

「ゆっくりでいいよ。

 ゆっくり……ゆっくり毎朝話そう」

 丹歌は音那に優しく言った。

 音那は、コクリと頷くと恥ずかしがるように旅館の中に入っていった。

「あの子が話せるようになったら、僕はここを出て行こう。

 長く居れば居るほど辛くなる」

 丹歌はふらつく頭を抑えながらそう呟いた。

 丹歌は軽い咳をした。

 手のひらには真っ赤な血がべっとりとついていた。

 幾那が、心配そうに丹歌を見つめていた。

「君は、僕が居なくなってもここに残れよな……」

 丹歌がそう言うと、幾那は「にゃん」と鳴いた。

 日は、ただただ虚しく流れた。

 一日、二日、三日と音那と丹歌の睨めっこが続いた。

 そんなある日……

 丹歌は倒れた。

 丹歌は胃がんに侵されていた。

 口から黒っぽい血を吐きその場で倒れた。

 音那は、驚き目をパチクリさせたがすぐに丹歌の元に駆け寄った。

「あ……

 あぁ……

 に……ぅぶ」

 だけど声が出ない、心が苦しい。

 どうする事も出来ない。

 丹歌が倒れたとき、少しだけ俺の胸の辺りが痛かった。

「気のせいよ」

 先程まで全く話さなかった少女が口を開いた。

「え??」

「静かに見ていなさい。

 もうすぐ終わるから……

 そしたら、貴方は後悔しなくてすむから?」

 後悔??

 何の事だろう?

 少女は、再び口を閉ざした。

 風景が一瞬で変わる。

 次は、白い部屋の映像が映し出される。

 ひんやりとした空気の隣で、女の子の泣き声が聞こえた。

 丹歌は、視線をその声の方向に向けてみた。

 音那だった。

 俺の手を。

 いいや、丹歌の手をぎゅっと握っていた。

 ホワイトボードを片手に何かを訴えた。

【私を置いていかないで】

 だけど、丹歌は、目がかすんで見えなかった。

「音那。何も見えないや……」

 少女は、出ないはずの声を無理に出そうとしてくれた。

「……ぃぁなぃで……コホコホ」

 だけど、声を出そうとするたびに少女は、咽て咳き込んでしまった。

「い……ぃで、コホコホ」

「……」

「コホコホ」

「……」

「コホコホ」

 声が出ない事が悔しかったのか、彼女は涙を流した。

 丹歌よ。

 音那は泣いているぞ。

 俺は、そう訴えたかったがどうする事もできなかった。

 ただ、胸の痛みが激しかった。

 胸に激震が走った後、丹歌は再び血を吐いた。

 音那は、そんな丹歌を見て再び涙を浮かべた。

「死なないで!」

 彼女は大きな声で叫んだ。

 苦しそうに喉を押さえ、音那は叫んだ。

 丹歌は、おぼろげな目で小さく声を出した。

「やっと声が聞けた」

「死なないで……死なないで……死なないで……」

 声を出せるようになった音那は、その言葉ばかりを続けた。

「……死なないよ。

 まだ、大丈夫だから……」

 丹歌は消え入りそうな声で言った。

「本当に??」

「ああ……」

「……」

 沈黙が流れた。

 何故だろう?

 俺はこれを知っている。

 何故だろう?

 俺はこの光景を見たことがある。

「思い出せたかしら?」

 少女の声が聞こえる。

「何をだ?」

「もう、最後になるから言うけど……

 これは、貴方の前世の姿よ」

「あはは、すると音那は君か??」

 少女は「違うよ」と否定した。

 そうか……

 その少女の声が幻覚かと思うくらい。

 俺の意識は、丹歌のモノと等しく感じてしまった。

 音那は、丹歌の口元の血を手ぬぐいで綺麗に拭いた。

「ありがとう」

 丹歌は音那の手を握った。

 音那は、丹歌の顔に自分の顔を近づけ。

 そして、音那は自分の口と丹歌の口をそっと触れ合わせた。

 俺の口の中に、甘酸っぱい感触がじわっと広がってきた。

 これが、キスの味なのか??

 俺は、少女に尋ねてみた。

 すると、意外な答えが返ってきた。

「私は、やった事は、無いからわかんない。」

 見た目は、可愛いのにな。

 少女は照れた様子で、「わかんないもんは、わかんないの!」

 と声をあらわにした。

 にしても、何時まで続けるんだこの二人は。

 すると、丹歌はそっと呟いた。

 暫くすると、音那は仲居に呼ばれ部屋を出た。

 鼻の辺りに音那の香が残っていた。

「にゃーん。」

 幾那は、音那が出て行ったのを確認した頃合に現れた。

「幾那か……」

「にゃーん。」

「見てたな?」

「にゃーん。」

「俺って後、どれくらいもつかな?」

「……」

 幾那は何も答えなかった。

「もしも、俺が死んだらさ……

 せめて、来世ではあの子をずっと守ってあげたいな」

 幾那は、静かに丹歌の顔を舐めた。

「たぶん、俺はこのまま死ぬと思う。

 意味もわからない間に死ぬと思う。」

 俺は自分の中で恐怖感が走るのを感じてしまっていた。

 眠い感覚。

 だるい感覚。

 襲ってくる感覚。

 どれも、俺が下敷きにされた時に感じたそれと殆ど同じだった。

「もしさ……

 もし、生まれ変わったら、来世では音那を守れるようにお前が導いてくれよな。

 そしてその時……

 この思いが……

 この記憶は……再び思い出せるように……」

 幾那は、小さく「にゃーん」と泣いた。

 俺は、何故か笑いがこみ上げてきた。

 なんとなく、結びついたんだ。

 全てのパズルが自分の中で揃った気がした。

「お前は、幾那だな?」

 少女は小さく「そうだよ」と答えた。

 じゃ……

 もしかして、俺が助けたOLは……

「音那だよ」

 そうか……

「丹歌は、もう死ぬのか?」

 俺は、幾那しかいない部屋で呟いた。

「そうだよ」

「そうか……」

「うん」

「意味わかんないな」

「ごめんね。

 本当ならもっと見せたかったんだけど……」

「俺の方が持たないのだろう?」

「うん」

「最後に聞いていいか?」

「うん」

「俺(丹歌)が死んだ後、音那は幸せになれたか?」

「いっぱい泣いたよ。

 毎日毎日泣いてたよ。

 でも、朝が頑張って仕事して、笑顔を保って……

 でも、夜は毎日泣いて……」

「そうか……」

「それでも、頑張って独身を貫いて元気でやってたよ」

「来世の約束、守れなかったんだな。

 あはは。

 26年生きて彼女も居ないんだもんな。

 きっと、どこかで気づかないうちに音那の存在を探していたんだろうな……」

「……」

 少女は答えなかった。

 意識が少しはっきり写り、俺は現実に戻された。

 長い長い夢を見ていたかのように……

 月は薄く光り、そらが薄く蒼く光っていた。

「やっぱ、夢じゃなかったんだな」

 俺は、そう呟くと、自分の上に乗っかっている木をポンと叩いた。

「あはは。

 最後にひとめで良いから、音那に会いたかったな」

 俺は小さく呟いた。

 意識が遠のいていく……

 意識が消えていく……

 死か……

 やっぱ、怖いな。

 俺は、目を閉じそっと眠りに着こうとしていた。

 その時、声が聞こえたんだ。

「シナナイデ」

 誰の声だろう??

 俺はゆっくりと目を開けた。

 目の前には、スーツを着た若い女性が俺の隣で座っていた。

「また、私を置いていくの??」

 誰だろう……

 それは、音那の声ではなかった。

 でも、聞き覚えのある声だった。

 でも、見覚えのある姿だった。

 でも、わからない。

 遠くのほうで、救急車のサイレンが聞こえる。

「この子が音那だよ」

 幾那が小さく言った。

 そして、笑顔を見せた後、うっすらと消えていった。

「今度は、守ってあげてね」

 そう、言い残して……

「絶対、絶対、ヤダからね!

 もう、置いていかないで!」

 知らない女性。

 この子は、さっき助けたOLか……

 あはは。

 最後に会えたか……

 この子が音那か……

 女性は、目に涙を浮かべて俺の顔をじっと見つめていた。

「名前、聞いても良いかな?」

 俺は、消え入りそうな声で尋ねた。

「音那。音無 音那。

 貴方は?」

「俺か……

 俺の名前は、詩空 丹歌」

 そして、俺たちは出会った。

 帰ったんじゃなかったんだな……

 救急隊の人がこちらに向かって走ってきた。

 音那は手を振り、この場所を知らせた。

 助かるのかな?

 俺は、淡い期待の中、意識は消えていった。

 意識が消えようとした最後の感覚……

 それは、彼女の手の温もりだった。

 年齢=彼女居ない暦

 初めて異性に手を握ってもらえた瞬間だった。

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