サクラヒト

はらぺこおねこ。

第1話 桜の木の下で

 俺は今。

 大きな桜の下敷きになっている。

 腰からの下の感覚がない。

 だけど、わかる。

 桜の木を取り除いたとき、俺は死ぬだろう。

 年齢=彼女いない歴。

 金もなければ酒もタバコもダメ。

 思ってみれば何も残していないことに気付く。

 そんな時、1人の少女が俺の元にやってきた。

「やりのこした事はないか?

 お主さえよければ聞いてやるぞ……」

 俺は、何も言うことが出来なかった。

 俺は、何を言えばよかったのだろうか?

 桜が咲く……

 いや、そろそろ散るころかな?

 だけど、俺には関係ない。

 なぜなら、俺はもうすぐ死ぬのだから……

 今、俺の上には大きな桜が倒れている。

 俺は、1人の酔っぱらったOLを助けた。

 根が腐ったのか、桜が倒れてきたところをそのOLを突き飛ばし、俺が身代わりになった。

 ホント、お人よしにも程があるよな。

 情けなくて涙がこぼれそうだ。

 俺が助けたOLは、倒れてきた桜の存在など無視してどっかに行った。

 桜の存在に気付いていない。

 つまり、突き飛ばして下敷きになった俺の存在なんてもっと気づいていないだろう。

 彼女は、それほどにまで酔っぱらっていた。

 俺は、胸ポケットにしまっていた携帯で時間を見た。

 深夜の2時を過ぎていた。

 携帯は、ある……

 だけど、助けを呼ぶ気にはなれなかった。

 一言で言うと、疲れたのだ。

 26歳にもなって、彼女どころか女友達もいない。

 給料は、スズメの涙。

 交通費も残業代も出ない。

 その上、病気で酒もタバコも禁止。

 最後に笑ったのはいつだったかな?

 俺は、薄れゆく意識の中で思った。

 もう、終わりにしよう。

 腹部から下の感覚はない。

 この木を退ければ、失血死するだろう。

 携帯で誰かと話でもしようか……

 親に謝った方がいいかな?

 俺は、悩んだ。

 俺が悩んでいるウチに携帯が小さく振動した。

 こんな時間に、電話か?

 そう思って画面を見ると画面は真っ暗。

 どうやら、電池が切れたらしい。

 ホント、俺ってついてないや……

 俺は、泣きたくなった。

 いっそうのこと泣いてしまおうか?

「生きていればいいことがある」

 ずっと信じていた言葉。

 だけど、いいことなんて一つも無かった。

 他人は、不幸を背負わせようとする。

 だけど、幸せはわけてはくれない。

 そして、俺の不幸を背負ってくれる人なんて存在しない。

 だから、疲れたんだ。

 もう、眠ってしまおう。

 俺は、ゆっくりと目を閉じた。

 死を覚悟した。

 俺は、文字通り安らかに眠ることにした。

「おい!人間!

 やり残したことはないか?」

 女の子の声が、俺の耳に入ってくる。

 俺は、閉じた目を再び開ける。

 するとそこには、白い服を着た女の子が立っていた。

 俺の視線に気づいた女の子はもう一度こう言った。

「やり直したことはないか?

 お主さえよければ聞いてやるぞ」

「はい?」

「お主のもやり残したことの1つや2つあるだろう?

 私の最後に巻き込んでしまった償いに、3つ願いをかなえてやろう」

 俺には、正直、やり直したいことなんて1つも無い。

 残せるモノも無ければ、残したいと思うモノも無い。

 だから俺は、少女にこう言った。

「この木をのけてはくれないか?」

 少女は、申し訳なさそうに答えた。

「すまぬ。

 人の生死にかかわることは、私の力では出来ないんだ」

 そうか、この木をのければ、俺はやはり死ぬのか……

「この木をのけたら、楽になれないか?」

「いいのか?

 3つ願いが叶うんだぞ?

 普通のヤツなら、もっと他の願いが浮かぶだろう?」

「やり直したところで、得るものはないだろう?

 金とか女とか、殆ど無意味じゃないか?

 それに、俺には最初から何もなかったのだから……」

 俺は、少女にそう言った途端虚しくなった。

 虚しさに全身を覆われ、泣きたくなった。

 体が冷える。

 血もたっぷりと出ている。

 死。

 それは、今目の前にあるモノ。

 死。

 必ずやってくる未来。

 死。

 永遠に付きまとう恐怖。

 そして、期待。

 俺は死ぬのが怖かった。

 だけど、生きるのも怖いのだ。

 俺が助かったとしても、下半身は使い物にはならないだろう。

 歩くことも出来ない。

 走ることも出来ない。

 排泄だって、自分一人でできなくなる可能性もある。

 ドラマや小説のように、俺を支えてくれる人はいない。

「ドウシテタスケタノ?」

 声が聞こえる。

 答えなんてわかるはずがない。

「アノコガオナジメニアッタホウガヨカッタ?」

 わからない。

 俺は記憶を探った。

 自分を支えてくれそうな人を……

 そして、自分が死んで悲しんでくれそうな人を……

 だけど、そんな人はいなかった。

 あのOLは、どうだったのかな?

 面識がない。

 想像できるだけ想像してみた。

 そう言えば、あの子。

 携帯で楽しそうに会話をしていたな。

 幸せそうな声で頷いていた。

 花見をしていた様子はない。

 どこかで飲んできたのだろう。

 1人?友達?家族?親戚?

 それとも彼氏?

 きっとあの子には、死んだら悲しんでくれる人がいる。

 支えてくれる人もいるだろう。

 差があった。

 大きな差だ。

 埋めることのできない差。

 どうすることも出来ない差。

 そう、死ぬのは俺の方が良い。

 何にもない俺の方がいい……

 俺は、再び目を閉じ痛みを押さえて答えた。

「叶って得るものなんて一つも無い」

 少女は、寂しそうな顔をした。

「気が変わったらいつでも言ってくれ。

 私の命は、お主と共にあるのだから……」

 どういうことだ?

 少女の姿が消えた途端。

 俺は孤独を感じた。

 傍に居てくれるだけで感じる温もりってあるんだな。

 肌に触れなくても感じる温もり。

 人が温かいなんて幻想に決まっている。

 そう言えば、俺は異性の手さえ触れたことがない。

 何もしなかったから何も出来なかった。

 だけど、きっと何かをしていたら、犯罪者扱いだろうな。

【拒絶】

 最初からそうだったから、あまり辛くはない。

 虚しくはある。

 俺はきっと醜いのだ。

 心も体も……

 俺が触れたモノは、「ばい菌が移るから使えない」そう言って触れようとはしない。

 誰かが言った。

 それを言った途端、周りに広がり俺は虐められるようになった。

 だから俺は、何も触らない。

 落ちたモノを拾っただけでモノを弁償させられたこともあった。

 そう言えば、あの頃からかな。

 俺の中で声が聞こえるようになった。

 誰かに心を開こうとすると「受け入れるな」

 誰かに近づこうとすると「触れるな」

 誰かを好きになりかけると「お前はバケモノだ」

 自分だけが傷つくのなら耐えることは出来る。

 だけど、俺の存在で誰かを傷つけるのなら俺は耐えることは出来ない。

 誰かを傷つけても得るものはないしね……

 孤独は誰かと一緒にいた後に、一番感じてしまう。

 だから、俺は孤独をあんまり感じない。

 なぜなら、俺は最初から1人なのだから……

 俺は、再び過去を思い出すことにした。

 もしかしたら、暖かくなる事があるかも知れない……

 もしかしたら、そのまま死ねるかもしれない。

 見知らぬ温もりを知っていたのかもしれない。

 俺はゆっくり目を閉じると再び思い出すことにした。

 しかし、俺は何も思い出すことが出来なかった。

 何を残したのか?

 何をしてきたのか?

 溢れ出てくるものは、後悔のみだった。

 あの時、もっと勉強していれば……

 あの時、もっと努力していれば……

 取り返しの付かない後悔。

 俺は、嫌でも今の現状が目に飛び込んできた。

 今まで全く努力をしていないと言うわけでもない。

 少なからず努力はしてきた。

 今、俺は死を迎えようとしている。

 なら、今までの努力とは、なんだったのだろうか?

 死ねばすべてが無駄になる。

 過去そのものも消えるのだ。

 存在もなくなるのだ。

 俺はぼんやりと月を見つめた。

 月は綺麗で、ただ輝いていた。

 何事もなかったようにただ平然と輝いていた。

 不思議と痛みはほとんどない。

 俺は、再び目を閉じて耳を澄ませてみた。

 虫たちが鳴いている。

 フクロウも鳴いている。

 離れた場所から若い人たちの笑い声が聞こえる。

 ここまで声が聞こえるのだから、近くではそうとう大きな声なんだろうな。

 周りの住人にとっては、迷惑な話だろうな。

 そういえば、あんな風に騒げる人たちを羨ましく思う時期があったな。

 俺は酒を飲むことが出来ない。

 食事制限だってある。

 だから、酒の場と言うところでは、俺に居場所はなかった。

 気を使ってか嫌われていたのかはわからない。

 そう言う場所に誘われることすらなかった。

 稀に誘われることもあったけど、すべて断っていたな。

 今思えば、俺って、人付き合い悪いな。

 もしも、俺が健康だったなら、あんな風に騒げることができたのかな?

 それとも今と同じく断っていたのだろうか。

 今でも正直羨ましいと思う。

 俺の目には涙が浮かび上がる。

「願い事は見つかったか?」

 声の方に視線を向けると先ほどの少女が、俺の隣に座っていた。

「ところで、お前は誰だ?」

 俺が、そう尋ねると少女はため息をついた。

「今さらの質問だな……

 私は、この桜の精だ」

「桜の精?

 精霊みたいなものか?」

「まぁ、そんな感じだ」

 少女は、寂しそうに俺の顔を見つめた。

「そうか……」

「本当に願いはないのか?

 生死に関わること以外ならなんでもいいんだぞ?」

「ははは……

 これから死ぬのに願なんて何もないよ……」

「そうか……

 すまない」

 少女の顔を見ると今にも泣きそうな顔になっていた。

 はぁ……

 こういう場面は苦手だ。

 何かを話した方が良い。

 解っているけれど……

 俺は、こういう時に口を開くと墓穴を掘る。

 そして、黙っていれば黙っていればで、「どうして何も言ってくれないの?」と言われた。

 それでも、何故か話さなきゃと俺は思っていた。

 嫌われても、どうせ俺は明日には死んでいるのだから……

「名前は?」

 俺の問いに少女は、きょとんとした表情で俺の方を見る。

「私の名前か?」

「ああ」

「私には、名前など無い」

「そうなのか?」

「ああ……

 私は、世界に何万本以上ある桜の木の精。

 名前などあっても無くても困らないからな」

「そうか?

 じゃ、名前を呼ぶ時は、なんていうんだ?」

「おかしなことを言うんだな、お前は。」

「そうか?」

「お前は、桜一本一本に名前をつけて名前を呼んでくれるのか?」

「呼ばないな……」

「そういうことだ」

 少女は苦笑いを浮かべた。

「どうして、俺の願いを叶える気になったんだ?」

 俺は、少女に尋ねた。

「私の死に巻き込んでしまったんだ。

 その償いだ……」

 俺は、別に責めるつもりはない。

 少女は、言葉を続けた。

「私達、精霊は死ぬまでに自分の願いを5つだけ神様に願う事が出来る。

 一つは、自分が死を願った。

 まぁ、放っておいても切られて死ぬ予定だったんだがな。

 だけど、人の都合で死ぬなんてイヤだった。

 だから、神様にお願いして、根を腐らせて私を殺してもらうことになった。

 そしたら、お前を巻き込んでしまったのだ」

「残り4つのうち、3つも俺にくれるのか?

 お前、後悔するぞ?」

「いや、もう1つは、願いをお前に譲ることで消えた」

「バカだろ……?」

「これが、私にできる精一杯の償いだからな」

 俺と同じか……

 放っておいても死ぬ。

 と言うか、気でも死にたくなることあるんだな。

「さぁ、願いを……

 私もお前も、長くはないのだからな……」

 少女は、真剣な眼差しで俺の目を見ている。

 正直、願い事なんて何にもない。

 俺は、考えた。

 どうせ死ぬのなら、能力や金や名誉とかどうでもいい。

「じゃ、俺が死ぬまで話し相手になってくれ」

 死ぬまであれこれ考えるより、誰かと話した方が、よっぽど気が楽になるだろう。

 俺は、そう思った。

 少女は、暫く考えた後、こんな事を言い出した。

「お主の名前は?

 名前で、呼べないのは不便なのでな……」

 俺も聞いてやりたい。

【では、君のことはなんと呼べばいい?】

 そう言いたいのを我慢して、自分の名前を言った。

「ナナシだ」

 少女は、俺を睨みつける。

「私をからかっているのか?」

「そうじゃない」

「では、本当に名無しが、名前だとでも言うのか?」

「名成だ。

 雪城 名成(ゆきしろ ななし)だ」

少女は、小さくため息をついた。

「で、ナナシ。

 何の話をすればいいのだ?」

 俺は、目を閉じて少し考えた。

「昔話……

「うん?」

 少女が、首を傾げる。

「私に出来る話は、木になっていた時の話くらいしか思いつかないぞ……」

「そうか……

 その前にさ……」

「なんだ?」

「言葉使いが、女の子っぽくない」

 俺が、そう言うと少女が目を丸くさせ驚く。

「そうか?」

「無理してそんな話し方をしている気がしてな。

 普通の言葉使いで良いぞ」

「そう、なら言葉に甘えさせてもらうよ」

 少女の言葉が少しだけ柔らかくなった。

「なら、私が生まれて15年後……

 まだ、桜の木が小さかったころの話をしよう」

 少女は、俺の頭を軽く持ち上げると、少女の膝の上に俺の頭を乗せた。

「え?」

「こっちの方が楽だよ。

 あと動かない方が良いです」

「わかった」

 少女の言葉には、まだぎこちなさが残っていたが、最初に比べればだいぶんトゲが取れたような気がする。

「知ってますか?」

「うん?」

「昔、ここに旅館があったんですよ」

「へぇー」

「そして、私は、そこに居たんです」

「あれ?さっきは、精霊って言ってなかったっけ?」

「……死んだあと、精霊になったんです」

「そうなのか?

 なんか、無理がある気がするけど……」

 少女は、ニッコリと笑い再び話を続けた。

 それ以上は、突っ込むなってことかな……

 ってか、膝枕をしてもらうなんて、生まれてはじめてかも……

 あと、上から顔を覗かれるなんてこともはじめてだな。

 俺は、少女の話を黙って聞くことにした。

 少しは長くなりそうだな。

 最後まで聞けるかな……

「私の名前は言えません。

 と言うか、わからないのです。

 死んだときに自分の名前を忘れてしまうんです。

 だけど、ほんの少し……ほんの少しだけ記憶が残っています。

 この話でもいいですか?」

「ああ。

 頼む……」

 そして、俺は少女の話を聞くことになった。

 少女の話を聞き俺は、少女に対する思いが少しずつ傾きかけていた。

 人は死ぬ瞬間誰かに恋をする。

 少しでも死の恐怖を紛らわす為に……

 俺は、そんなことを思った。

 彼女に名前をつけてあげよう。

 彼女の話を聞き、そして彼女にあった名前をつけてあげよう。

 お互い死ぬ身だけれど……

 その時には、名前で呼んであげよう・

 彼女は、今、切ない目で苦しそうに話をしている。

 罪悪感に押しつぶされそうな目で……

 そして声で……

 気にしなくてもいいのにな。

 俺は、そう思いつつ彼女の話に耳を傾けた。

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