第870話 なぜ何もおっしゃられないのですか?

「……母上? なぜ何もおっしゃられないのですか?」

「母上っ! 行っちゃダメなの!? そりゃ、アレスさんに助けられてばっかりで、自分の実力だけじゃ試験を突破できなかったってことは認めるけどさっ!!」

「繰り返しになりますけど……下手に屋敷に残っているより、アレスコーチの傍が一番安全だと思いますよ? それに、メイルダント領全域で一斉にベイフドゥム商会の人間を捕まえるってなったら、人手もたくさんいるわけでしょう? そうなったら、どうしたって屋敷でタムの護衛に回すぶんの人員も手薄になってしまうじゃないですか」


 無言のソニア夫人に対し、ワイズたちがそれぞれ言葉を重ねる。

 そうして……


「……」

「は、母上! どうされたのですか!?」

「なんで泣いて……るの?」

「え、えぇ……いったい、どうしたって……いうんだ……?」


 それまで一言も発していなかったソニア夫人の瞳から涙が零れ落ちた……

 マジでソニア夫人……どうしちゃったんだろ?

 さすがに魔力操作をいくら練習したところで、女性の心の機微まで読めるようになるのは難しいからね……

 いや、まあ……身体から発せられる魔力の雰囲気からなんとなく察することもできなくはないと思うよ?

 でもね、それだって完全ではないし、心の奥側のこととなるとお手上げだと言わざるを得ない。

 ましてや、相手が女性となると……ねぇ?


「ああ、ごめんなさいね……ええ、タムがワイズたちと同行することを許可するわ」

「誠ですか? よかったな、タム!」

「うんっ! ありがとう、母上! ありがとう、みんな!!」

「まっ、現場の空気を味わっておくのもいい経験になるはずだからな! しっかり学べよ!?」

「うんっ! もちろんだよっ!!」


 ソニア夫人はあえて多くを語ろうとしなかったようだが……おそらく、これまでワイズとタム君の兄弟仲の悪化を憂えていたのだろうと思う。

 いや、ワイズのほうはそうでもなかったようだが、タム君はなかなか思い詰めていたようだったからね……

 そうしたソニア夫人の心情を表すかのように、ワイズやタム君に向ける眼差しの中に安堵したような和らいだものが感じられるのだ。

 まあ、これで後継者争いが完全解決したわけでもないのだろうが……それでも、あまり陰惨な争いにはならずに済むのではないだろうか。

 といいつつ、本人たちの仲は良好だったとしても、周りに良からぬことを吹き込む輩が現れないとも限らないからねぇ……その辺については、各自しっかりと気を付けておいてもらいたいところである。


「そして、アレス殿……タムに素晴らしい教えを授けていただき感謝します。また、ケイン殿も……タムへの温かい心遣いに嬉しく思います」

「いえいえ、タム君の気持ちの強さがあってこそだったと思います」

「そうそう! タムの根性は俺から見ても本物だと思いましたからね! そんな男には、自然と協力したくもなるってもんですよ!!」

「兄の私から見て、タムは思い込んだら一直線になりがちなところがあって、そこが少々気になっていましたが……これからは、もう少し視野を広く持ってくれるのではないかと……」

「もっちろん! 今日で僕の視野は思いっきり広がったよっ!!」

「ええ、そうみたいね……そして、現段階ではワイズとタムの2人がメイルダント家を継ぐ有力候補者であることは確かよ……それでも、それだけが自分の道だと思い込まないように……もっとたくさんの可能性を模索してみるといいわ」

「はい……そうさせていただきます」

「うんっ! 僕はもう、兄上の背中を追うだけの男じゃないんだからねっ!!」

「カッコいいことを言いやがって、こいつぅ~!」

「ちょっ! ケインさん! ほっぺたをツンツンするのやめてってば!!」


 ふむ……ケインもなかなかのイジリストのようだ。

 まあ、それだけの関係をタム君と構築できていたからっていうのもあるんだろうけどさ。


「それにしても、ワイズとタム……ケイン殿もだけれど……アレス殿と魔力交流をすることができて羨ましいわねぇ……」

「……母上?」

「えっ? それなら母上もアレスさんと魔力交流をさせてもらえばいいじゃない! アレスさんの魔力はね! ホ~ントに凄いんだよぉっ!!」

「タム……それぐらいにしといてやれ……」

「はぁ~っ、せめて私も学生の頃であればねぇ……今だと、きっと夫が拗ねてしまうものねぇ……」

「えっ、父上が? なんで? 魔法の練習をするだけなんだよ?」

「タムよ……それだけ婚姻を結ぶということは、重いことなのだ……お前も心しておくといい」

「えぇ~っ? 兄上の言ってること、全然分かんないよぉ~っ!!」

「まっ! さすがのタムも、その辺はお子ちゃまってことだな!!」

「だから、ケインさん! ほっぺたをツンツンするのやめてってばッ!!」


 まあねぇ、自分の妻がほかの男と魔力交流をしたって聞いたら……うん、あまり気分がいいものではないだろうなぁ……

 下手したら、以前ギドにたしなめられたように、決闘騒ぎとなってしまってもおかしくあるまい……

 だからさ、俺も気軽にソニア夫人に「魔力交流をしましょう!」って言えないのさ……残念だけどね……


「それでも……こうして傍でリリアン様の魔力を感じることはできた……それだけで、私は幸せだから……」


 そう言いながら、うっとりとした表情を浮かべるソニア夫人だった……

 まあ、これで一応……めでたし、めでたしって感じ?

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