例えば君が君じゃないとして

みくも

本編(全1話)



 例えば君が君じゃないとして、それでも君が好きだった。


 泣きたいくらい、好きだった。


 唯。と私の名前を呼んだ後、微笑むみたいに眼を細め、唇を軽く結ぶ。癖みたいに、いつもそうする。


 その顔を今日は何だか引き締めて、坂巻翼はまるで重大な秘密でも告白する様に静かに言った。


「実はボク、宇宙人なんだ」


「ああ、そう」


 と、素っ気なく返事をするのは私。メールの返信で忙しいのに、下らない冗談とか止めてくれないかなあ。


 携帯から目線も上げずに流したのが不服だったのか、横から伸びた大きな手が小さな画面をすっぽりと隠した。


「聞いてる?」


「聞いてる聞いてる」


「信じてないでしょ」


「信じて欲しかったの?」


 そんな話を?


 だったらシチュエーションってものがあるでしょ、と私は翼を見上げて言い含める。


「部活帰りの、汗臭い男に、バス停なんかでそんな話されて信じると思う?」


「汗臭いの、関係ある?」


 ないかも知れない。


 言い返されて、つい考え込んでしまった。


 辺りは夕暮れ。青味を帯びた夜の空気が、足元から忍び寄って来るみたいだ。


 バス停の屋根の下で蛍光灯が一本光っている他は、周囲に灯りは見当たらない。そしてここには、私と翼の二人だけ。ちょっと恐い様なその雰囲気は、考えてみれば秘密を打ち明けるのにピッタリかも知れない。


 でも、と思う。


 秘密にだって、限度がある。


「宇宙人て」


「何で? ダメ? 宇宙人」


「だって見た事ないもん。宇宙人」


「目の前にいるじゃない」


 だらしなく着た制服の肩に、汚れたジャージの詰まったカバンを担ぐ姿はどう見ても部活帰りの高校生。説得力の欠片もない。


 なのに当の翼は、不思議そうに首を傾げて私を見ている。


 そうか。今日はどうしても、この設定で行くつもりなのか。


 だったら、と私は携帯を畳んでポケットにしまう。付き合ってやろうじゃない。


「じゃあ、何? 翼が宇宙人だったら、翼んちのおじさんとおばさんも宇宙人な訳?」


「それは、違うけど。て言うか、この体も本当はボクのじゃないんだよね」


「何それ」


「借りてるんだ。勝手にだけど」


 寄生、って言うのが一番近いかな。と、まるで空の星でも探す様に翼は視線を上げて考える。


「でも、主導権はボクが握ってるけどね」


「本物の坂巻翼は? 消えちゃったの?」


「ううん。いるよ。眠ってる。もうすぐ、消えるかも知れないけど」


「どうして?」


「人間の体と、ボクらはあんまり相性が良くないみたいなんだ。長く寄生してると、人間が弱って……」


 言葉を切り、私を見る。気遣う様に。それとも、恐れる様に?


「死んじゃうんだ」


 ため息みたいな声だった。


「死なせちゃダメじゃないの?」


「ダメだよねぇ」


 困り果てた様に、翼は俯いて頭を掻く。


 ダメだ。こんな姿を見ちゃったら、放って置けないんだ。昔から。


「どうするの?」


「出てく、しかないかな」


「出てったらどうなるの?」


「次の体を見付ける、か……」


「か?」


「うまく見付からなかったら、干乾びて死ぬかな」


 宇宙人って、干乾びるのか。


 妙な所に感心しながら、私はもう仕方ないって感じに覚悟を決めた。


「解った。干乾びそうになったら、私のとこに来なよ。ちょっとだけなら、体貸してあげる」


「唯が?」


「私が」


 翼はぽかんと私を見詰めた後、体を折り曲げて爆笑した。


「え、ちょっ……酷!」


「だって、だって唯、信じないって言ったくせに!」


 人の好意を笑うか?


 こっちの気も知らないで、苦しそうにひーひーと喘ぐ。眼の端には涙さえ浮べ、ひとしきり笑った後で翼は私の背中を叩いて言った。


「ごめん。ありがと」


 その表情が恥ずかしそうで、嬉しそうで。私はすっかり怒る意欲をなくしていたのに、翼は余計な一言で台無しにする。


「でも、唯はダメ」


「あんたねぇ! 私の体のどこに不満があんのよ!」


「しょうがないよ。ボクが唯になっちゃったら、もう唯に会えないんだから」


 この言葉の意味を、どう受け取ればいい?


 私はずいぶん迷ったが、その答えはもうどこにもない。


 この二日後、翼は事故に遭って、長い眠りに就いたからだ。


 いや、死んでない。でも本当に、何ヶ月も眠った。昏睡って事らしい。


 そして数ヶ月して、医者が言うには幸運な事に翼は目覚めた。


 だけど目覚めた時にはもう、私の知らない坂巻翼だった。


 診断は記憶喪失。この十年程の記憶が、全くないそうだ。と言うか、小一の男の子になってしまったと言う方が印象としては近い。


 昏睡が覚めてから初めて病室を訪ねた時には「お姉ちゃんだあれ?」なんて言われて、思わずその場にへたり込みそうになってしまった。


 私達は中学で知り合った。だから小一の坂巻翼は、私を知らない。


 姿は翼のままなのに、私の知ってる翼はいない。


 おじさんやおばさんは私にごめんねと謝ったが、そんな謝罪は必要なかった。翼はちゃんと、お別れをして行った。


 あの日、やっと来たバスに二人で乗り込み、翼はすっかり暗くなった外を見ていた。そのままポツリと、呟くみたいにして言った。


「ボクが消えてもさ、思い出してよ。この顔を見て、ボクの事を思い出して」


 例えそれが、ボクじゃなくても。


 窓に映った翼の表情が真剣で、私は口を開く事さえできなかった。


 いつものバス停で私は降りて、振り返ると、バスの窓から翼が手を振っていた。眼を細めて、唇を軽く結んで。微笑んでいる様なその顔を、私は今も思い出せる。


 ふざけたんだと思う。


 あんな嘘を言って、からかったんだ。


 頭ではそう考えながら、少なくとも私に取って翼は本物の宇宙人になった。


 最近では坂巻翼の顔を見るたび、どうしようもなく誰かのために泣きたい様な気持ちになるから。



(例えば君が君じゃないとして/了)


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