第239話春奈の二人きり作戦②祐の反撃(お仕置き?)
作業は、真面目に始まった。
古今和歌集の一首目(春歌上一)は、閏月の面白みを詠んだ歌。
在原元方(在原業平の孫)の、
「としのうちに 春はきにけり ひととせを こそとやいはむ ことしとやいはむ」
それを祐君は、
「まだ正月を迎えないというのに、もう春が来てしまいました。
さて、この一年を、今年と言いましょうか、それとも去年と言いましょうか」
と、まるで、柔らかい冗談のように訳している。
祐君
「ことば書きの、ふるとしに春たちける日よめるの・・・」
「ふるとしは、新年に対しての旧年」
「春立けるは、立春」
私、風岡春奈も「先輩」として説明を加える。
「旧年立春ということ、平安時代は、ほぼ二年に一度の割合で起きたらしいよ」
旧暦の季節は、春が1月から3月、夏が4月から6月、秋が7月から9月、冬が10月から12月になる。
だから、旧年中に春が立つということは、師走(12月)のうちに立春の日を迎えたということ。
まだ暦の上では冬なのに、立春を迎えてしまったことになる。
春が来た喜びも感じる一方で、立春が新年に先立ってしまう現象に戸惑う感覚もある。
この歌を「理知的」と評して、批判する学者も多い。
しかし、京都のような底冷えのする冬を過ごしてみると、暖かい春は、一日でも、いや、一瞬でも早く来て欲しいのが本音。
在原元方は、おそらく暖かいと感じた日、春を実際に体感しながら、暦のズレを楽しむ歌を詠んだのではないか、と思う。
祐君はやわらかな笑み。
「古今和歌集の冒頭を飾る歌で、華やかな、軽やかさを感じる名歌と思います」
「重厚な漢詩とは違って」
「おや?と春を感じさせる、面白みのある歌」
「このやわらかい心が、日本人の原点かな」
私も、それには納得。
「重厚で堅苦しくあるべきが、学会の主流なの」
「普通の人には理解できない難しい言葉を使うのが、偉いと考えている爺さんが多いの」
「やたらに漢詩を引っ張り出して来て、比較を試みる」
「あるいは、その歌の根源が、全て漢詩にあるような理論」
「自分は知っているぞ感を振り回して、偉ぶりたいのかな」
じっと聞いていた祐君は、頷いて話し出した。
「特に漢文、古来、日本の知識人は、必ず勉強して来ました」
「崇拝の対象とする人も」
「そして、周囲の詳しくない人に、それはすごくありがたいものとして、教えた」
「ありがたいものとは、神とか仏のようなもので、おいそれとは近づけないような威厳を持っている必要がある」
「自分たち未熟な日本人に教える漢文なので、高い位置にいなければならない」
「その高い位置の漢文なので、簡単に理解できる言葉では、軽い」
「だから、学ぼうとする人をはねつけるよう難解な言葉を使う」
「わからない、近寄りがたいものに、ありがたみを感じる、そんなことかな」
私は、ここまで来て、祐君が怖くなった。
言いたいことを、それ以上に言われてしまった。
胸のドキドキはおさまらない。(揺れている・・・押し付けたい!)
「ねえ・・・祐君」(やばい、声がかすれた)
祐君
「はい?何か?」(祐君は、丸い目だ・・・この無神経な・・・)
「古今は恋歌もあるよ」(無理やり、話を変えてしまった)
祐君はプッと吹く。
「まだまだ先です」(祐君の?古今の作業が?)
しかし、その時、祐君にスキが生じた。
私は、祐君を押し倒した。
馬乗りになって、肩を押さえつけた。
「あのさ・・・祐君・・・恋は知っているの?現実に」(また、声がかすれた)
祐君は、余裕顏。(え?というくらい・・・こういうの慣れてる?)
「あのさ・・・って春奈さん・・・」
「反撃しますよ」(・・・意味不明)
どこでどうなったのか、わからない。(祐君は器用に私から脱出した)
あっと言う間に、私は祐君の膝の上に腹ばい(ジーンズのお尻も、見られている)
「いたずらが過ぎましたので、反撃でなくて、お仕置きです」
祐君は、私のお尻を「パン」「パン」と叩いている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます