第118話平井恵子の驚きと、祐の条件

私、平井恵子は、祐君の「古今和歌集仮名序現代語訳」を読み、本当に驚いた。

「こんな訳が・・・」(目から鱗が落ちる・・・それだけではない、要点は外していない)

「うん、いい、これこそ歌の心を書いてある」


(肩の力が、ストンと抜けた)


「大先生の文は、漢文を、かろうじて口語にしただけ」

「古文は重々しいもの、権威あるべきものと決めつけ、それに対応する口語訳も、あえて重々しい言葉を選んだ」

「その重々しい言葉を使うことが、正当であり、それしかない、との学会の伝統につながってしまった」

「そして、異論や異なる考え、訳を、学会の伝統、師弟関係の縛りで、封じ込んでしまった」


「でも、祐君は、何にも封じ込まれず、縛られていない」

「だから、すんなりと今の言葉で訳し、心に響く」

「でも丁寧な言葉づかいで、上品だ」

「これも言葉の芸術品、宝石みたい」

「この文を、世に出したい」

「いや、出さないと、申し訳ない」


少し開けた窓から、ふんわりとした春の風が入って来る。


平井恵子は、目を閉じて、紀貫之を思った。

ゆったりとした平安装束を着て、寝殿造りの屋敷の中にいる。

そこから、花を愛で、飛ぶ鳥を追い、風を感じ、名月を眺めている。

「重々しい心で、美しいものを見て、歌なんて詠めませんよ」

「祐君をお願いします、彼は私の心を知っています」

そんな声が聞こえたような気がした。


その幻覚の中、風岡春奈に電話した。

「祐君を連れて来て欲しいの」

「訳して欲しい歌があるの」


返事を待つ時間も、もどかしかった。


春奈から返事があった。

「祐君、朝ご飯食べていなくて、途中でビスケット買いたいとか」


平井恵子は、また、肩の力が落ちた。

「わかりました」

「でも、伝えて欲しいの」

「すごくドキドキして待っていますと」


電話の相手が春奈から、祐に変わった。

「先生、僕のお供をしたい人を二人、連れてでもよろしいでしょうか?」

「二人とも、大丈夫な人です、作業を手伝いたいとか」


平井恵子は、祐の言葉を信じた。

「どうぞ、ご一緒に」

「お待ちしております」


祐の弾んだ「ありがとうございます!」の声が、耳に心地よかった。

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