U2

小狸

U2

 主人あるじの様子を『おかしい』と認識したのは、昨日からのことであった。

 

 おかしいというのは、平常時と違う、今までの行動活動と平均して比較した場合、明らかにデータから逸脱しているということである。

 

 部屋から出て来ない――給仕のために部屋へと入り、いつも飲む珈琲を、いつも飲むブラックで提供したにも拘わらず、浮かない顔をしていた。

 

 浮かない――具体的には、眉尻が下がり、口角も下がり、肩を落としていた。

 

 私の中には、それは『浮かない顔』と出力されていた。


「医療スキャンをなさいますか、ご主人様」


 私はそう問うたけれど、主人は、「いや、いいよ、U2」と断った。


 然し、今朝も主人の様子は明らかに前とは違っていた。記録されている「おはようU2」という言葉も、今日はなく、明らかに背骨の曲がり角度が急である。


 今日も主人が朝食を取り――着替えを終えて出勤する際、「医療スキャンをなさいますか、ご主人様」と問うたが「いや、良いよ、心配をかけてすまない」と、主人は言って、出て行った。


 やはり、語気のヘルツ数が普段より少し減っている。


 主人には内緒で、こっそりと、眼球モニターから使用することのできる簡易スキャンを行ったけれど、表立って脈拍や血液に異常は見られなかった。


 そのまま、まさに『肩を落としたような』姿勢のままで、主人は出勤していった。


 設定されている通り、私は玄関の扉を閉め、各部屋の掃除にかかった。


 給仕専用単一完結型自動意思決定試作機――U2。


 それが私の名称である。


 俗な表現をするのであれば、メイドロボットである。


 本来はもっと長い型式番号があるけれど、ロボットとしての私の個体情報に関係して来る。情報複製や重複があってはいけない。人間でいうところの個人情報なので、開示できる のはここまでである。

 

 世界一機械工学に優れていることを自称する産みの親、真善田まぜんだ思案しあん博士により開発されたロボット――彼曰く、ロボットという表現も適切ではないらしいけれど、私は別にどう呼称されようがどうでも良い――七台のうちの最後の一台が、この私である。

 

 ――という事前情報はさておく。言ってしまえば世界最高峰のロボットが、期せずして豪邸を一人で相続することになった主人に仕えている――と、そういうことである。

 

 何の不自由もなく、何の問題もなく。


 そんな人生を、主人に提供するはずであった、のだが。

 

 給仕を初めて五年を過ぎたある日――というか、今日。

 

 主人の健康状態を把握できないという状況へと陥った。

 

 私に混乱するという機能はない。データベースへと掲載されていないものがあれば、検索すれば良いのである。


 無論、ネットワークではなく人間に、である。


 令和の今の世の中、ネットは信用ならない情報というのは、ロボット全員に標準装備されていくくらいの一般常識である。


 真善田博士へと連絡を取り、内科、外科を始め、あらゆる最高峰の技術が揃う国際医療センターへと繋ぎ、子細を報告した。


 この場合の子細というのは、私が見ていた情報というだけで


 そして半日が過ぎた後、国際医療センターの医師から、病名が告げられた。


 主人の個人情報のために明言は避けるけれど、要するに。



 心の病であった。



 心。


 


 私の思考回路が、一瞬だけ静止したように感じた。


 注釈しておくと、私に人間のような感情はない。


 国際医療センターとの連絡の際のラグであろうと結論を出し、自己修復を行った。


 それだけは、私にはどうしようもできない問題であった。


 担当医師から、君にできることはないという解答が来た。


 それを見て――私は。


 私は。


 私は。


 私は。


 私は。


 私は?


 いや、疑問などは抱かない。


 ただ――不可能という情報が明らかになっただけである。


 私は、何も思わない。


 私は、何も抱かない。


 私には、何もできないのだから。


 私はただ、主人の帰りを待つだけである。


 夜になった。


 主人の車が、ガレージへと到着した音がした。


 ずっと無理をしていたのだろうか。

 

 私に、気を使って、笑顔を見せていたのか。


 たかがロボットの私に?


 あなたって人は、本当に。


「おかえりなさいませ」

 

 落涙機能が勝手に起動し、私の頬を一筋の水滴が伝った。


 それは私の、初めての誤動作であった。



(了)

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