第18話 世音の正体

 人気の無いじめじめした空気と土を、西日が慰めるように照らす。


 愛しき煉獄(プルガトリウム)、校舎裏に狩哉達は戻ってきた。

 茜が終末の空隙(エスカ・トロス)を解除したため、狩哉達も『色』は纏っていない。


 世音と四騎士に囲まれ、茜は地面に膝をついてうなだれたままだ。

 野良猫のみーちゃんが世音の胸に抱かれている以上、茜に自由は訪れない。


 黙示録の記述では『古き蛇』は後に千年の獄に閉じこめられることになっているが、それより先に自分の心に閉じこめられてしまった。


 ぐじゅぐじゅ鼻水をすすっている茜の背には、もう七つの竜の首は見えない。


 見かねた弓華がポケットティッシュを差し出す。

 茜はジト目で逡巡しながらも受け取り、涙は拭かずに鼻水をかんでいる。


「可愛い……」


 頬を緩ませる弓華を、茜が頬を膨らませて睨む。


「私は古き蛇ですから、ぐしゅ、可愛いとかじゃないです、ちーん」


 狩哉までも和んで微笑が漏れてしまう。


 小坪は複雑そうに、苦笑を浮かべている。


 無無美は舌なめずり……止めて欲しい。


 世音は野良猫を撫でつつ、悠然と携帯電話をチラ見している。

 余裕綽々、やる気無し。


 茜はそんな世音を値踏みするように見つめて。


「羽原先輩。貴方はもしかして――『ヨハネ』ではありませんか?」


 厳かに告げた。

 世音の耳がぴくり、と動いた。


「さすが――人類に禁断の知恵を与えたアレゴリーなだけあるわね」


「やはり……」


 納得しあっている二人に、狩哉達はついていけない。


 弓華も小坪も、無無美までも表情が固まった。


「おい、何の話だ? ヨ、ヨハネだと?」


 それは。


 狩哉達四騎士の存在が記された書物、ヨハネ黙示録の著者の名だ。


「世音ちゃんが、預言者ヨハネ!?」


 弓華の声が裏返る。

 涙を袖で拭きながら、茜が頷いた。


「おかしいとは思っていましたけど。救世主でも無いのに、私達黙示録のアレゴリーの属性を見抜くばかりか、何が起きるのかすら予測出来る人間なんて――預言者ヨハネぐらいしかいないじゃないですか」


「で、でも預言者ヨハネは、遙か昔に亡くなっているはずですわよ?」


 慌てる小坪の横顔に、茜は呆れる。


「……先輩達、ほんとに黙示録のアレゴリーですか? 黙示録を書いたヨハネは、一人じゃなかったでしょう。よく知られているパトモス島の使徒ヨハネ以外の、時代を隔てた複数の預言者達――黙示録を著した幻視者達。ヨハネとは、彼らの総称です」


「そ、そうだっけか弓華?」


「いや、僕も初耳だよ狩哉」


「そうだったような、そうでないような……ムーは覚えてます?」


「うーん、興味無かったし、そのころ地上にいなかったものねえ私達」


 誰も記憶していないし、知らなかった。


 インタビューを受けたわけでも無かったので、狩哉も自分達のことを書いた人間には興味を持てなかったのだ。


 使命さえ果たせればそれで良かった。


「「「「ヨハネっていっぱいいたんだ」」」」


 四騎士全員が同時に、首を傾げた。


 灯台下暗し。


 これが通説というわけでも無いだろうし、調べれば分かったのかもしれないが、誰も知ろうとしないまま千年以上気づかなかったとは。


「アンタらって本当に……」


「情けない先輩達ですね……」


 世音と茜のため息がシンクロした。

 返す言葉も無い。


 ごほん、と世音が咳払いをする。


「そう。私は『ヨハネ』。黙示録を人々に与えるために選ばれた者の一人。終末に組まれたこの時代に生まれた、最後の預言者よ」


「黙示録の預言者ったって――黙示録は完成してるだろうが。今更どんな預言を残すってんだよ」


 すまし顔の世音に、狩哉は食ってかかる。


「まーね。黙示録には世界の終末からその後のことまで書かれてるし、それは真実よ。でも、付け足すことが増えるかもしれないし、ひょっとして書き変わることだってあるかもしれないじゃない? 保険みたいなもんよ、私の存在は」


 狩哉達は、文字通り神をも恐れぬその言葉に唖然とする。


 いや、神の言葉そのものなのだから恐れるべきは自分達だ。


「あのさ、預言って神の言葉そのものなんだろ? そんなん、簡単に変わっちゃっていいのかよ?」


「変わらないわよ、基本的には。起こることも大体決まってる。けどアンタ達アレゴリーって、人間の体で生まれた以上は『自由意志』が組み込まれちゃってるのよね。アレゴリーの行動次第で微妙に誤差は出ちゃうのよ、どうしても」


「ご、誤差って例えば……?」


 はらはらしながら狩哉が訊くと、


「終末の時期が、後の方にズレちゃうとかね」


 ニヤニヤと世音は、含みのある魔笑を浮かべた。


(こ、こいつ、これ以上何を企んでやがる……)


 言い知れぬ胸騒ぎに、狩哉は冷や汗が湧いてくる。


「いやー、アンタ達アレゴリーは目覚めたときにびっくりしたみたいだけど、私は三歳のときに自分が預言者だって気づいたからさあ。バカアレゴリーどもが右往左往するのが分かるって、子ども心に滑稽で楽しかったわ」


 けらけら声をあげて笑う世音を横目に見ながら、茜が気色ばむ。


「とんでもない人間をヨハネに選んだもんですね……私と先輩達の大いなる父は……」


「全くだ、世界と人間を何だと思ってるんだろうな……俺が言うことじゃないけど」


 古き蛇と四騎士が一緒に、しみじみ呆れる日が来ようとは。


「茜ちゃん、世音ちゃんがどういう子か分かったでしょ? 当分は逆らわない方が身のためだよ」


「あの女なら、本当に猫を鍋にするかもしれませんわ」 


 弓華と小坪は、茜を挟み込むようにして耳打ちする。


「みたいですね……私、もう先輩達をバカに出来ません」


「大丈夫よ、痛いのは最初だけで、すぐに気持ちよくなるから……」


 不穏なことを言いながら無無美が茜の頭を撫でようとするが、その手が空を切る。

 小坪が茜の体を引き寄せ、自分の胸に抱き締めていた。


「ひゃあぁ?! 何するんですか先輩!」


 猫を可愛がるように小坪に包み込まれ、茜は当惑する。


「ムー! サタにゃんを、貴方と世音の毒牙にかけさせはしませんよ」


「え~、せっかく古き蛇を調きょ……友達になれると思ったのに~」


 口を尖らせ、無無美が体をくねらせる。


「大丈夫。私が貴方を堕落させるものから守ってあげますからね、サタにゃん」


「堕落というか、私、堕天使なんですけど……てゆうかその呼び方は何ですか」


 抗弁しようとする茜だが、小坪の強引さに抗うのは無駄だと悟ったのか。


 恥ずかしそうにされるがままになっている。


 和んでいいのだろうかこの馴れ合い。


「つーかアンタら四騎士は、今まで私がヨハネじゃなきゃ何だと思ってたの? 気づいても良さそうなものじゃん」


 いきなり世音が、冷たい視線を向けてきた。


 どきん。


 狩哉達の心音が大きく跳ねる。


「え、えーと、実は、だな……」


 恐怖に駆られた狩哉は他の四騎士に助けを請おうとするが、誰一人視線を合わせない。


 弓華に至っては、俯いたまま


「ごめん」


 と脇を肘でつついてくる。


(ちくしょう、損な役回りばっか押しつけてやがって……!)


 世音が腕を組んで睨みを利かせてくる。


「実は何よ。あんまりどーでもいいことは、私にも分からないんだからね」  


「実は――どっちかって言うとお前がサタンかと思ってた」


 誤魔化し笑いを浮かべながら、狩哉は告げる。


 脇汗がどんどん溢れてきた。


「ふうぅぅぅぅぅぅぅーん…………よーく覚えておくわ」 

 

 憮然とした態度のまま、世音は笑んだ。眼光が鋭すぎた。


 どうやら新たな死亡フラグが立ったようだが、世音はそれ以上何も言わずに茜に向き直る。

 重要な案件を優先してくれるようだ。


「さて、茜ちゃん。貴方に訊きたいことがあるんだけど」


 世音の問いかけに、小坪に抱きしめられたまま茜が緊張する。


「……なんでしょうか」


「小坪が言っていたように、黙示録のアレゴリーの中でも茜ちゃんの目覚めはまだまだ先のはずだったわよね? それなのに、茜ちゃんは目覚めてしまった。その上、ただのアレゴリーでは知る由も無いはずの四騎士の正体を知っておきながら、自分の名前は知らなかった。これは放っておけない矛盾なんだけどな」


「そ、それは……」 


 茜は曖昧模糊に口ごもる。


 世音の言う通り、茜の持っている情報には明かな偏りがあった。

 知っているはずのことを知らず、目覚めても知りようが無いことを知っていた。


 世音は茜の目を見据えたまま近づいていく。


 眼前の世音から来る重圧に、たまらず茜は目を逸らすが。


「茜ちゃんの正体を、最初に言い当てた人は誰かしら?」


 世音の言葉が問答無用に茜の心を突き刺す。


 たった今生まれた新たなる宇宙の真理――

 この少女からは。


(大魔王でも逃れられない……)

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