第17話 落とされる蛇
同時に叫んだ狩哉の体からは――赤い光が。
弓華の体からは白い光が。
小坪の体からは黒い光が。
うっすらとにじみ出すように、発せられる。
騎士が騎乗すべき色が示すのは、黙示録の四騎士が展開する固有の破壊領域(キルゾーン)。
アレゴリー同士が戦うということは、相手の終末の空隙(エスカ・トロス)を己の終末の空隙(エスカ・トロス)で蹂躙するということだ。
――相手の終末を、自分『色』に染めることだ。
「行きなさい黙示録の四騎士――あいつらにほんの少しだけ、終末を見せてやりなさい!」
世音の号令に従い、狩哉が単身前に出る。
小坪がその少し後方、弓華がさらに後方に離れてしんがりとなる。
今は一人足りないが、四騎士が何千年も演習を重ねてきた陣形(フォーメーション)だった。
「やっちーまいなーさい! 私の悪魔達!」
茜の幼稚なのか片言なのか分からない号令に従って、悪魔達も襲いかかってくる。
先頭を来るは、豹頭の魔神フラウロス。
まさに豹さながらの俊敏さで、星空を駆けながら特攻してきた。
猛然とそのマントが風にはためく。
この空間は見た目は星空だが、大気があるようだ。
対する狩哉は竹刀を構えたまま動かずに、後方の弓華に指示を出す。
「やれ、弓華! 遠慮はいらんぞ!」
頷いた弓華は、ぎりぎりと弓を引き、矢をつがえた。
弓華が右腕に帯びた白い光――
弓華が持つ『勝利』の力が、弓へと移動していく。
弓が、弦が、矢尻が、真っ白に包まれて眩いエネルギー光を放つ。
何故か周囲の星空とは異なる、少女向けアニメチックな星のエフェクトが弓華の周囲を流れていた。
メルヘンチックである。
「必殺必勝! レインボーアロー!」
甲高い声をあげて、弓華が矢を射る。
亜音速に至る白光の矢が、フラウロスの頭部に着弾――
同時に閃光を放ちながら、爆裂粉砕。
フラウロスは何が起きたのかもわからないまま、内蔵まで砕かれた己の肉塊を闇に四散させた。
孤児院の未来も四散してしまったがそれでいいのかはわからない。
はらはらと雪のように焦げた豹の毛が舞い落ちるのを見て、他の悪魔達の動きが止まっていた。
初めて四騎士の力を直に見て、怖じ気づいたのだ。
「フラウロスが、一撃で……」
茜も苛立ちに顔を曇らせる。
「…………うっわあ」
久しぶりに見た弓華の真の力に、狩哉はちょっと引いた。
――暴力はやはり怖い。
「わーい狩哉、僕、四騎士としての腕は落ちてないみたいだよ! ハァトキャッチっ」
無邪気に手を振る弓華に、狩哉は作り笑いを向ける。
「腕はともかく、昔はかけ声は無かっただろ。変なエフェクトも」
人間生活の無用な影響のようだ。
それにレインボーとか言っていたが放たれたのは、真っ白な光の矢だった。
弓華は気体分子にレーザー光を衝突させて原子の重力運動を操作。
レーザー冷却という現象を独力で引き起こし、絶対零度に限りなく近い極低温状態を矢尻に固定出来る。
最大数千キロの射程距離を誇る、弓華のもたらす『勝利』だ。
「怯むなっ! 我々悪魔の力を見せてやりなさい!」
何ともステレオタイプな茜の発破を受けて、竜に跨ったアシュタロトが空高く飛翔。
竜とアシュタロトの猛禽類のような目は、弓華を据えていた。
弓華が次の矢をつがえる隙を狙っているのだ。
戦闘機の如き速度で飛来していくアシュタロトに向かって、狩哉は両足をばねにして垂直に飛ぶ。
こちらは弾丸並の速度だ。
地上数十メートルの高度まで跳躍した狩哉は、竜の首の上に難なく降り立った。
視界を突然奪われたアシュタロトは焦燥に怯みながらも、片手の毒蛇を握りしめて前に突きだす。
毒蛇は一瞬で硬質化し、刀身のくねった禍々しい長剣へと変わった。
「へー、剣を使うのかお前。いいぞ! かかってこい!」
狩哉の余裕に、アシュタロトの顔に屈辱と痛憤の色が浮かぶ。
アシュタロトは長剣を大きく振り下ろしたが、狩哉は竹刀で受け止めた。
受け止めるどころでは無かった。
振り下ろした方のアシュタロトの剣は、蒸発して塵となった。
竹刀は狩哉の放つ赤い光にコーティングされていたのだ。
――それは狩哉の、『戦争』を司る赤光の剣。
某宇宙戦争映画や某ロボットアニメ、特撮ドラマなどでも有名なビーム状の刃だ。
「荷電粒子を俺が制御したローレンツ力で固定した、切れぬ物の無い刃だ。テメェ程度の剣ごときじゃ折れてやれな――くっせえなお前口臭もひどいぞ! 空気読めよ!」
「最近歯も磨いてないもんで。歯槽膿漏っす」
アシュタロトが申し訳無さそうに頭を掻きながら、半笑いで一礼する。
その口から障気じみた息が漏れる。無性に腹が立った。
「そのうち全部抜けちまうぞ! 若い内に抜けると将来が悲惨だぞ! 歯医者行けいい医者知ってるから!」
「まじすか。痛いの怖くてついさぼっちゃって」
「悪魔にあるのか知らんけど保険証忘れるなよ? 通い続けると医療費で結構飛ぶぞ」
「社会保険入ってるから大丈夫っす」
「そうか、なら安心だな。それでは――――地の底に帰るがいい……!」
狩哉は荷電粒子竹刀を、横薙ぎに一閃。
悲鳴をあげることも無く、アシュタロトは竜にまたがった足だけを残して、消滅した。
主を失って狂乱に陥る竜から颯爽と狩哉は飛び降り、音も無く星空に立つ。
「こんな所に、のこのこ来るから…………おえー!」
ドヤ顔で決め台詞を口にした狩哉だが、吐き気をこらえられなかった。
これがVTRか聖典に残るのなら、途中のやりとりも含めてカットして欲しい所だ。
嘆息する狩哉の後ろで奇声をあげながら、アシュタロトの竜が闇に雲散霧散していく。
僅か数十秒で、ニ体の悪魔がメンタル体とアストラル体とエーテル体に分解還元された。
――平たく言うとぶっ倒された。
小坪は一歩も動いていないし、世音は暇そうに「ふあー」と暇そうにあくび。
四騎士は余裕綽々だ。
残されたアンドレアルフスとグレモリーは死の恐怖に歯を鳴らしながら、そろりと茜の顔を窺った。
茜はこめかみに青筋を浮かばせ、少女らしからぬ貧乏揺すりをしている。
「フラウロスもアシュタロトも、なんて不甲斐ない……! アンドレアルフス! 何をぼさっとしてるの、行きなさい!」
「ぶゎい! が、がんばまます! アムドムレアルフフの力を見せてやらわ!」
何もかも噛んでしまったアンドレアルフスが足を踏み出す。
孔雀の姿を持つアンドレアルフスが、広大な翼を拡げる。
流麗にして色彩豊かな、思わず見取れてしまいそうな模様。
アンドレアルフスに雌がいるかどうか狩哉は知らないが、アピールには充分すぎてむしろチャラく見えるぐらいであった。
書類審査に通って面接で落ちるタイプだ。自覚できないから救いがない。
「どうであすか、このガ○ダムナドレのつばさば!」
「噛みすぎて名前に原形が残ってないぞ」
いちいち緊張感を奪われて、竹刀を持つ狩哉の手が緩む。
「他人としゃ、喋るのもおし、仕事も百年ぶいぐらいれして」
本当に引きこもりニートだった。
悪魔社会の就活は、二つの意味で地獄だったようだ。
「……ってことはさっきぶっ倒した二人も久しぶりの仕事だったのか。悪いことしたかな」
「お、お気になさらず! これも仕事ですから……デッビーーール!」
段々舌が慣れてきたっぽいアンドレアルフスの翼から、何か小さな『ふいご』のような物が光を乱反射させながら飛び出した。
反射的に狩哉が、荷電粒子竹刀を下から切り上げる。
ジュッという蒸発音と共に殆どが闇空に消えたが、数が多すぎていくつかは切り損ねてしまった。
その内の一つが、狩哉の頬を掠める。
つ、と狩哉の頬から一筋の血が流れ落ちた。
それはアンドレアルフスが翼から放った、一枚一枚の羽根。
素材はチタンに近い鉱物で、羽根の側面が励起し超振動を起こしている。
このような形状と機能を持つ羽根は、有機生物由来では絶対にあり得ない。
しかも常軌を逸する視力と動態視力を持つ、狩哉の目でようやく据えられるスピードだ。
再びアンドレアルフスが、羽根を飛ばす。
今度は狩哉を飛び越えて、後方へと向かった。
「小坪、気をつけろ! 結構厄介だぞ、こいつの羽根!」
狩哉は背後の小坪に叫び、注意を促す。
「こういう細かいのは相手が面倒ですね。弓華ー、よろしくお願いしますわー」
気怠そうに振り返る小坪。
「はーい」
答えた弓華は、すでに弓に矢をつがえていた。
か弱い弓華にはとてもつがえられるはずの無い何本もの矢、その全ての矢尻に白光が灯り――。
「レインボーアロー、束ね撃ちっ!」
――射る。
一斉掃射された弓華の矢が星空に放物線を描き、小坪の頭上に到達。
炸裂音が響くと共に、高速展開するアンドレアルフスの羽根の全てを爆砕。
灰塵と化して、ぱらぱらと小坪の上に舞った。
「きゃー、髪についたじゃありませんかっ! 弓華、もうちょっと丁寧にやりなさい!」
手入れの行き届いた黒髪に付着した灰を払いながら、喚く小坪。
「そんなー。注文が多いよう小坪ちゃん」
しょんぼりする弓華だが、狩哉はその頼もしさに笑みが漏れる。
「どーだアンドレ? お前の雇用主に撤退を申し出たら」
「そんなことしたら、な、内定取り消されるらろ!」
悲しい魂の叫びと共にアンドレアルフスは翼を拡げ、先程の比ではない数の羽根を一気に放った。
びゅんびゅんと風を切り、重力を無視した動きと速度で飛び交い、狩哉達の上空で猛き奔流となる。
――弓華の矢よりも遥かに多い数だ。
アンドレアルフスの後方では、茜が勝ち誇った笑みを浮かべていた。
七つの首の竜も笑っている。
しかし、その笑みもすぐに潰えることとなった。
「弓華、アレを使うぞ!」
「おっけー牧場!」
呼びかけに弓華が答えるより前に、狩哉は竹刀を構えて瞼を閉じた。
(戦争をしてるんだ、俺は……戦争をしている……遊びでやってるんじゃないんだよ……)
念じる。
念じる。
念じる。
念じる。
第ニの『赤』、『戦争』を司る騎士として、その力を肥大化させ具象化する。
――狩哉の様子を見ていた茜が、目を見張った。
竹刀をコーティングする赤い光が、長大に伸展していく。
すでにその長さは数十メートルを越え、先端を見上げるには首が痛くなるほど。
当然人が手に持てる大きさではない。
神のつまようじとでも呼ぶべき、継ぎ目一つ無い美しいフォルムだった。
どこまで伸びるのか、と茜や悪魔達が呆然と見つめる中、カッと狩哉が瞳を開いて――。
「今だ弓華、放て!」
竹刀にスナップを効かせて、遙か頭上に投げ飛ばす。
「僕と狩哉の必殺技ー!」
弓華が間髪入れず、連続して矢を放つ。
正確無比な軌道で、白き矢は竹刀の赤き荷電粒子部分に到達。
白と赤が混じりあいながら化学反応の如く光を拡散(コンフューズ)、展開していたアンドレアルフスの羽根を照らす。
荷電粒子の雨とでも呼ぶべきその高熱の光は、超硬質であるはずの羽根の奔流をあっと言う間に融解させた。
汚い花火が賑わせる星空。落下してくる竹刀を狩哉がキャッチする。
唖然と嘴を開けて、立ち尽くすアンドレアルフス。
様子を見ていたパジャマ姿のグレモリーも、狩哉達の芸当に腰を抜かしかけていた。
「こ、こら、ボーっとするんじゃないの貴方達! さっさと行きなさい! 今ならまだ間に合うから!」
茜は腰に手を当て、朝寝坊した子供を学校に送り出すお母さんのような指示を出す。
「うあーん、これはきっと悪い夢ですぅ! 悪魔を殺して平気なのー?」
グレモリーは枕片手に猛然と疾駆、狩哉達に向かっていく。
「怖いのは格下げだけー!」
アンドレアルフスは再度放った羽根を竜巻のようにして身に纏い、突っ込んできた。
「狩哉、そこをおどき下さい。まとめてお掃除しちゃいましょう」
「ん? おう」
狩哉が横に避けると、小坪が肩についた灰を払いながら一歩前に出る。
(小坪、本当の『黒』い力を見せる気か……)
想像しただけで鳥肌が立ってしまった狩哉には目もくれず、小坪は両の手を横に重ね、胸の前に構えた。
「黒武術・流派天上不敗が最終奥義――」
小坪の体を覆っていた黒い光がその手に集中、さらに凝縮していく。
ゆっくりと小坪が両手を上下に離していく――
そこには。
――空間に穿たれたかのような、黒球があった。
「黒の秘拳! 指向性マイクロブラックホオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォールゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!」
声を裏返らせ、咆哮を上げる小坪。
技の名前が長い上にまとまりがなく、覚えづらい。
グレモリーとアンドレアルフスは黒球を見た途端、跳躍した――
――かのように見えた。
ニ体の悪魔は浮遊しながら、空中でもがいていた。
体の自由が全く効かないのだ。
小坪の胸に浮かぶ黒球が悪魔達を空間ごと吸いよせている。
響く耳鳴りのような音。
アンドレアルフスが纏っていた羽根とグレモリーの枕が、一足先に黒球へ吸い込まれた。
悪魔達は己の力で何とか逃がれようとするが、どんどん強くなっていく潮汐力にはとても叶わない。
宙に浮いたまま地面と平行に、垂直落下するかのように黒球へと吸引される。
――しゅぽん。
掃除機で大きな物を吸ってしまったような音がした。
グレモリーとアンドレアルフスは、小坪の眼前で跡形も無く消えてしまった。
可憐な女子高生が生み出した、シュバルツシルト半径を持つ事象の地平面は、悪魔達を丸々と飲み込んで素粒子にまで分解したのだ。
ふっ、と小坪が息を吹きかけると、ローソクの炎のように黒球は消えた。
「暗黒の深淵に還るがいいわ――闇こそ貴方達にはふさわしい」
「わーすごいすごい! さすが小坪ちゃんだなあ!」
パチパチと嬉しそうに拍手する弓華。
小坪の口元は微妙に緩んでいる。
中ニ病全開の台詞と技を久しぶりに堂々と決められて、ご満悦のようだった。
「一応聞いておくが、どこが拳なんだよ。いきなり最終奥義だったし」
放置するのも落ち着かないので、狩哉はツッコんでおいた。
「掌から放たれるものであれば拳でいいのですわ。バトル漫画とか格闘ゲームとかでもそうでしょう? 崇高なる私の『黒』き『飢餓』の力から生まれた黒武術を愚弄するおつもりなのですか?」
「いや、愚弄はしないけど……その崇高な力で菓子パン貯蔵するのはアリなのかよ」
「大いなる力には大いなる責任が伴うのです――某大国の蜘蛛男も言っておりました」
全然答えになっていない返答をして、小坪は目を逸らした。
絶対に誤魔化された。責任関係ないし。
それにしても恐ろしい力である。
小坪の力は使い所を選ぶが、狩哉では勝てる気がしない。
美女悪魔グレモリーは、自分の力を示す前に瞬殺されてしまった。
「よくも、私の可愛い悪魔達を――やはり先輩達は、『古き蛇』である私の敵です」
激情に震える声に、狩哉達は振り返る。
一人になった茜の燃えたぎる形相が、狩哉達を強く睨みつけている。
七つの竜の瞳にも、同様の怒りが宿っている。
茜が相当する七つの大罪の一つ――『憤怒』の示す通りに。
「どうしても戦わなければいけないのか? そこまでして、今すぐ人間を滅ぼしたいか」
「ええ、サタンですから」
台詞の方向性が狩哉と被った。
偽りでは無いのに現実味が無い。
「それがどうしたんだよ茜ちゃん! そんなの僕らが争う理由にならないよ!」
弓華がポジションを無視して前に出てくるが、茜は鼻で笑う。
「またそんな人間じみたことを。四騎士はアレゴリー――終末の寓意として使命のみに徹する存在でしょう? 情緒に沿って戦うなど、人間のやることじゃないですか」
「貴方は本当に使命感で戦っているのですか、茜」
小坪も前に出てきた。
狩哉と弓華、三人が一列に並ぶ。
三色の光が干渉しあい、仄かに明滅しながら半球状に拡がる。
世音は会話に入ってこずに、しきりに髪をいじりながら携帯電話を気にしていた。
――飽きているのだろうか。
「……何を言いたいのでしょうか、玄野先輩」
「私には、貴方の心労が分からないことも無いのですわ、茜。人として生まれてから、似たような思い出が私にもありますから……」
哀しみを称えた瞳で、小坪は告げる。
(何を話すつもりだ……?)
茜に敵対意識を剥き出しにしていた小坪が、何かを語りかけようとしている。
「こ、小坪ちゃん? どうしちゃったの?」
割って入ろうとする弓華を、狩哉は制止する。
「よく分からんが、話させてみよう。こいつの人間としての過去なんて、俺も初めて聞くしな」
逡巡しながらも、
「うん……」
と不安そうに弓華は頷く。
小坪は悲壮にも見える顔を上げて、真っ向から茜を見つめる。
「私達アレゴリーは、ほんの少しでも目覚めのタイミングがズれると、記憶や名前、使命感の相互関係のバランスが崩れるようですわね。その中でも最も重要な使命感は、目覚めてしまえば常に心の中で燻り続けます。行き場さえ分からずに、自分を燃やすような使命感だけがあるのは――辛かったでしょう、茜?」
「私の思いが、辛さが、玄野先輩になんて分かるわけ無いです……!」
「分かるのですわ。私もそうでしたから。中学のとき、私も使命感だけが早く目覚めてしまったのです。意味の分からない、強烈な使命感だけが。そのとき私は、周りに自分を特別だと思わせて、僅かなモラトリアムをやり過ごそうとしたのです。『自分は人間ではない、世界を救う英雄』だと、周りの人間達に告白したのです」
「先輩も……?」
意外そうに、目を見張る茜。
「……最悪の中学時代でしたわ。友達なんて一人もいませんでしたし、教師ですら私を腫れ物扱いするのです。教室では常に一人。ノートには下世話な落書きもされましたし、体操着をハサミで切り刻まれたこともあります。自分がどうしてここにいるのか、全く分からなかった。貴方も近い経験をしたでしょう?」
小坪は本当に、茜と似たような――
――いや、それ以上の経験をしていたようだ。
不明瞭な使命感に自分で理由をつけて、その使命感に浸る。
それは良くても中二病、下手をすれば真性の妄想。
煩悶していた茜は、小坪の目を見つめて――
――茫洋に口を開いた。
「思い出したく無いんです。信じられないかもしれませんが、私の中学時代は――古き蛇として蔑まれた、あの遠く長い日々よりも苦しかったんです」
「『人生』とは、恐ろしいものですわね。私も記憶がちゃんと目覚めるまではただ、苦しかった。でも私は、狩哉や弓華、無無美と、人として出会えました。四騎士としての記憶の全てを一気に思い出すことが出来て――それでええと、あの鬼畜、世音とも出会ってしまいましたが……悪くないと、思ってしまったのです」
恥ずかしそうに目を泳がせる小坪。
怪訝に茜が、小坪の顔を睨む。
「何がですか、玄野先輩? 何が悪くないと?」
「人間の汚れた世界、終わることが決まっている世界。それが私、嫌いでは無いのですよ――悔しいのですが、それなりに」
迂闊にも頬に紅が差してしまった小坪は、照れ隠しに顔を顰めた。
「終わらないこの世界が、悪くない、ですって……」
動揺しているのか、声を震わせる茜。
「ふ、ふぃぃ……小坪ちゃん、辛かったんだねえ、悲しかったんだね……」
黙っていた弓華が、ぽろぽろ泣きながら小坪の頭を撫でだした。
「ちょっと弓華! 恥ずかしいですわ、自重なさい!」
「だってえ、だって……僕はタイミングが良くて、悩んだりもしなかったから……小坪ちゃんの気持ちも知らなかったから。でもさ、ほら、僕がいるよ。使命を共にする仲間が。狩哉もいるよ、無無美ちゃんもいるよ。みんな仲間だよ。ね、狩哉!」
泣きながら弓華が、狩哉に笑いかけてきた。
狩哉も照れ臭くなってくる。
「ん、ま……まあな。四騎士は、四人で四騎士だからな。一人は嫌だよな」
「……狩哉は相変わらず朴念仁ですわね」
小坪がはにかむ。
狩哉も「うっせ」と返して微笑んだ。
一方、世音は――
――世音は無表情に、狩哉達の様子を眺めていた。
(あいつだけは、仲間でも何でもねーんだな……)
狩哉は奇妙な失望を覚える。
なんだかんだで付き合いも長い。
ただの人間と言えど、もう少しぐらい関心の色が見えてもいい気はしたが、使命の無い人間はこんなものかもしれない。
――小坪が再び、困惑する茜に向き直る。
「茜。貴方の破壊衝動は、早すぎた目覚めに対する苛立ちと、人としての生を呪うばかりに生まれたものなのですわ。使命とは違う、人類の敵対者としても異なる、人間的感情です。そんな心構えでは、世界を滅ぼすなんて尚早ではありませんか?」
「…………違う。私はそんなんじゃない…………人の中に勝手に入るな。まやかすな!」
茜は、青い首を振る。
「茜、落ち着くんです」
心配そうに小坪が茜に近づこうとするが、茜は後退る。
「私は古き蛇。その使命のためにここに戻ってきた。私は赤き竜。人類の最大の敵対者――黙示録に書かれることと、多少運命が変わろうとも……私は、私は世界を終わらせる! こんな世界、私が一人で終わらせるんだ! 家畜に神はいないッ!」
嘆き、悲しみ、怒り、憎しみ、叫ぶ。
やはり茜の心を染める闇は、使命から生じるもののみでは無い。
人が、人に向ける闇が。
過分に含まれている。
そして相変わらず当然のことしか言っていないのに、どうしてもゲームのラスボスの口上に聞こえてしまう。
「もう、聞き分けの無い子ですね! せっかく私が黒歴史を語ったというのに!」
「二つの意味で黒い歴史な」
「誰が上手いこと言えと言いましたか! 黒武術・流派天上不敗、水平チョップ」
最終奥義より後に披露された小坪の通常技が、狩哉の喉元に炸裂する。
「ちょっと二人ともー! 茜ちゃんの方ちゃんと見て!」
弓華に叱られ、狩哉と小坪は改めて茜に向き直る。仕切直しが多すぎる。
「なにゆえもがきいきるのか――ほろびこそわがよろこび」
突如漢字入力機能を失った茜の背で、七つの竜の首が咆哮をあげた。
地の底から響く――
――この世の全てを呪った者の叫び。
叫びと共に、虹色の後光が茜の背から拡がっていく。
狩哉達がこの国で見た、異教の像の背を飾る『光背』に似ていた。
禍々しい茜の『光背』はどんどん拡散していき、周囲で煌めく星雲に接触。
星は瞬く間に砂粒となり、真の闇を空にもたらした。
「これが『古き蛇』の終末の空隙(エスカ・トロス)の本領か……!」
狩哉は慄然としながらも竹刀を構える。
刀身をコーティングした荷電粒子が伸展する。
「『月光背(げっこうはい)』とでも呼んで下さい」
茜が吠えると、竜の頭の一つがぎろりと狩哉を睨んだ。
『月光背』の一部が翼のように巨大化、狩哉に向かってはためいてくる。
得体の知れない恐れを抱きながらも、狩哉は竹刀の荷物粒子で『月光背』と切り結び、かき消そうとする。
「……何!?」
狩哉が伸展させた荷電粒子は、壁を殴ったプラスチックのバットの如く押し返された。
反動でさらに後方に吹っ飛ばされる。
反射的に空中で体勢を整えて着地するが、思った以上の衝撃に膝をついてしまった。
「狩哉!? 立体機動に移ってー!」
恐慌状態に陥った弓華が意味不明なことを叫びながら駆け寄って来ようとするが、狩哉は掌を突き出して制止する。
「撃て、弓華! 茜の背中のペットどもを狙え!」
「う、うん!」
力強く弓華は頷き、七本の絵をつがえる。
白き『勝利』の矢を束ね、連続で掃射。
直線的に飛び出した矢が、茜の背に生える各竜の頭部を据える。
「光在れ(ハレルヤ)!」
茜が高音ソプラノで叫ぶ。
『月光背』が光量を増す。
届いたはずの弓華の矢は、光の中で砂粒と化した。
「すごい――! さっすが古き蛇、四騎士より遙か後にやってくるアレゴリー。並の悪魔とは違うんだね!」
ぽかんと口を開けて、弓華は茜を賛美した。
「誉めてる場合かバカ! あいつの力は、原理はよく分からんが超強力な『力場』だ! オーガニック的な何かだ! 俺とお前の力押しじゃ分が悪いぞ!」
茜の口が、はしたなく大きく開いた。
「『白』と『赤』の力は全て貰っています! かつて天使の三分の一の力を貰ったように――分かっているのですか黙示録の四騎士ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
『月光背』がさらに眩く光量を増し、一気に空間に拡がっていく。
(クソ、あれをまともに食らったら俺達も持ちこたえられねーぞ! 人間の世音はひとたまりも……)
焦慮に支配された狩哉は、判断が鈍って動くのが遅れてしまった。
急いで駆け出そうとする――
――その前方に、小坪が立っていた。
「黒武術、流派天上不敗が極限奥義! 指向性マイクロブラックホール・ダブル・タイフゥゥゥゥゥーーーン!」
小坪が張り手をかますように、両手を前に突き出す。
先程悪魔達を吸い込んだ黒球が、左右の掌の前に生成されている。
最終奥義で終わりでは無かったようだ。
クソ長いネーミングは多分今思いついた。どうしても拳法に喩えたいらしい。
拡がり続けていた『月光背』がブラックホールに吸い込まれていく。
超重力で光すら飲み込むブラックホールは、茜の力にも有効だったようだ。
「おお! やるじゃねーか小坪!」
狩哉は感嘆するが、小坪は滝のような汗をかき、苦しそうに唇を噛んでいる。
騎士一人の力で、黙示録最強レベルの力を押さえつけているのだ。
力としても、存在としても限界を越えている。
「き、きっついですわこれは! 私自身が特異点に飲み込まれてしまう――茜、いい加減に諦めなさい! 私情で世界を終わらせるなんて、黙示録の先輩として許しません!」
「忘れたのですか。人間の世界に浸かり続けた先輩が。私というアレゴリーがどんな存在であるか」
茜は冷酷な笑みを浮かべながら、小坪を見定める。
「茜、貴方は――!」
小坪には、茜の次の台詞が予想出来た。
「大魔王からは逃げられません!」
『月光背』がさらに光量を増す。視界が光に染まっていく中で、小坪が生み出した黒球に、物理的にはあり得ない亀裂が走っていく。
暗黒が割れる。
原初の宇宙、闇の世界に光が生まれたときのように。
「これほどまでかよ! 四騎士は所詮黙示録の露払いか、畜生!」
恐らくは『月光背』はあれでも、最大出力の三〇%といった所。あのまま拡大していったら、通常空間なら木星ぐらいまでは覆ってしまえるだろう。
それなのに――
――勝利を確信しているはずなのに。
茜の瞳には、涙が浮かんでいる。
その涙の意味を、訊かずして狩哉は受け取ってしまった気がした。
(こうして、いずれ哀しみだけが世界を覆い尽くすんだ……)
狩哉の魂は、諦念という滅びの谷(ゲ・ヒンノム)に沈みゆこうとしている。
「はいストップ、ストーップ! そこまでよバカアレゴリーズ!」
状況に似つかわしくない、明朗な声。
狩哉が、弓華が、小坪が――
――茜までもが、呆けた顔で声の方を向いた。
携帯電話を閉じた世音は、聖ゲオルギウスにも負けない勇猛な顔で茜を睥睨している。
茜は一瞬逃げ腰になっていたが、すぐに睨み返す。
「ただの人間は黙っていな……」
「うるさいアンタこそ黙りなさい。長々とこの創世記以来の美少女ヒロインである世音様を空気にして、バトル漫画展開してんじゃないわよこの侵略ヘビ娘」
「へ、ヘビ娘……?」
茜の口角が斜めに上がる。
悪魔とディスカッションを交わしたという弁舌家・哲学者は数多くいたが、悪魔の王にただの悪口を言った人物は人類史でも珍しい。
「『古き蛇』の出番は『四騎士』より大分後になってからでしょーが。順番間違ってんじゃないわよ。他のアレゴリーも混乱するんだから迷惑かけるのはどーかと思うわね。脱皮し損なって皮あまりにでもなったんじゃないの?」
「で、ですから私は人類の敵であって、天の敵であって、そんなことに気を遣うつもりなど無いと……」
「ふうん、いいんだ。この私に気を遣わないで、あの子がどんな目に遭っても?」
世音が、ビシっと茜の後ろを指さした。
茜が展開している『月光背』の死角、背後の何も無い空間。
いつの間に入ってきていたのか――
――無無美が呑気に、へらへら笑顔で立っていた。
「ごめぇん、遅れちゃったわっはー」
「ムー! 貴方、どこに行っていたのですか?!」
ひび割れた黒球を汗だくで維持しながら、小坪が訊く。
「ふぇっへっへ。これこれ、この子」
無無美の胸元に小さな影があった。
心地よさそうな顔で無無美の手に抱き抱えられ、くるまっている。
「みーみー!」
茜が公園で可愛がっていた、野良猫であった。
「みーちゃん!? どうしてここに!」
茜の目が丸くなる。
七つの竜の首も丸くなった。
「あの子がここにいるってのに、そんな大技かましてていいのかなー? 狩哉達はともかく、猫ちゃんにはちょっと刺激が強すぎるんじゃない?」
他人事のように世音は囁く。
「…………あ、あうう」
茜は呆然としたまま、『月光背』の拡散を止めてしまった。
周囲を照らしていた強烈な光は星空に散逸、小坪も黒球に「ふ~」とため息を吹きかけて消す。
無無美は星空の上を悠々と歩いていき、世音に野良猫を受け渡した。
「どうぞ、マイマスター」
「あ、み、みーちゃん?」
茜の言葉などお構いなしに、誰にでも懐く野良猫は世音の腕に包まれて、みーみー鳴いている。
口元だけを歪ませて、全然笑っていない目で世音が猫の背中を撫でる。
「可愛いわねえ……食べちゃいたいぐらい……いや、食べさせたいぐらい……」
(何をだ)
世音に笑いながら見せられたグロ映画の映像が、狩哉の脳裏によぎる。
「みーちゃんをどうするつもりですか! どうして貴方が、私とみーちゃんの関係を!?」
茜は古き蛇としての威厳を萎縮させ、瞳を潤ませる。
勿論七つの竜の首も潤ませる。
世音は、敵対者を前に不敵に笑う。
「私にはアンタ達アレゴリーの持つ属性の全てが分かるのよ。名前も、使命も、過去も――弱点も、ね」
茜の顔に、これまでに無い恐怖が浮かんだ。
狩哉達の表情にも一様に畏れの色が浮かぶ。
『白』も『赤』も『黒』も『蒼』も関係無い、染め上げられた同一の畏怖だ。
「ぞくぞくするわねえ……」
そして熱い吐息を漏らす無無美。
来なくてよかったのに。
「みーちゃんは……みーちゃんは私が唯一、心を許せたお友達で……」
「へー、猫が。猫がねえ。そうよね、『古き蛇』は霊長類ヒト科の敵対者ではあっても、猫科の敵対者では無いもんねえ……そんな伝説も無いようだし?」
ぷるぷる震えている茜に、世音の口撃は容赦が無い。
狩哉達も見守ることしか出来ない。
「どうするつもりですか、私のみーちゃんを……?」
「アンタがこの終末の空隙(エスカ・トロス)を解除しないと言うのなら……惨たらしく残酷に、出来るだけアンタの心がぐっちゃぐっちゃになる方法で、ただの肉塊(アダマー)になってもらおうかなー♪」
「だ、駄目! それだけはやめて、お願い!」
茜が両手を組み合わせて懇願――
祈願を捧げる。
七つの竜の首も頭を下げていた。
『古き蛇』が決してやってはいけないポーズだった。
にんまり歯を見せて笑い、してやったりの世音。
「じゃ、今は諦めてくれる? 世界に終末をもたらすなんてこと?」
「あうう…………」
ぐったりと茜は膝をつく。
「はい………諦め、ます………」
涙目に加えて鼻水まで垂れてきている。
勿論七つの竜の首も――くどいので説明不要だ。
(なんて女だ……俺ら四騎士を時間稼ぎに使いやがったのか……)
黙示録の四騎士それぞれの本気の力でも叶わなかった『古き蛇』茜、人類の敵対者を。
ただの人間である世音は『猫を人質に取る』=すなわち『猫質』で懐柔してしまった。
絶句する狩哉達に囲まれ、腰に手をあてて楽しそうに世音は勝ち誇る。
「ほーんと、人間に毒されてるわよねーアレゴリーって」
「みーみーみー!」
呼応するように、人類の敵の友人は鳴いていた。
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