第15話 目覚める茜
不吉(ミアズマ)を孕んだ水気のある不快な風が、廊下の窓から教室へ吹き込んでくる。
昼休みの終了を告げるチャイムが校舎に鳴り響き、一時の休息を得ていた生徒達が続々と席へと戻っていく。
教室という、自由は無いが未来を与えてくれる狭い楽園に。
その楽園に背を向けて、狩哉は煉獄(プルガトリウム)たる校舎裏を目指して疾走する。
弓華と小坪も狩哉に続き、だらりと急ぎもせずに世音も着いてきていた。
無無美だけがいない。
世音に何やら囁かれたかと思うと、盛りのついた群霊(レギオン)のように、
「きしゃー! 我々は大勢なり!」
と一鳴きしてどこかに行ってしまった。
(期待はしてないが、そこまでアレゴリーとしての自覚が無いとはな)
近くに別のアレゴリーがいるというのに世音のお使いの方が大事というのだから、失望を禁じえない。
階段をどこかの部活動並の速さで駆け抜けた狩哉達は、ものの一分程度で校舎裏にたどり着いた。
校舎の陰から不良生徒達のたまり場をのぞき込むと、数日前に狩哉が瞬殺した生徒達が一人の女子生徒を囲んでいる。
茜だ。
自分の前に立つ男子生徒を毅然と睨みつけながら逃げずに立っているが、その足が小刻みに震えているのが狩哉からも見えた。
「な、な、なんでしょうか先輩達……? わ、私、もう授業があるんで……」
茜の声は上擦っている。
いざとなれば、未熟なアレゴリーの力でもこの場の人間ぐらいは消し飛ばせるはずだが、自分を虐めた人間を相手しても無抵抗だった茜に何が出来るのか。
「とぼけてんじゃねーぞ真田茜。お前がチャリパンクさせてるのを見たってヤツがいるんだよ。そのガキくせー金髪の後ろ姿をよ」
「商店街で魚屋のガラスも割ったんだってなあ」
「この桜吹雪が全部お見通しなんだよ」
次々と茜の悪戯を暴いて追いつめようとする不良達。
どうやら時代劇マニアが一人いるらしく、はだけた学制服の胸元に桜吹雪模様のTシャツが見えた。悪趣味だ。
毎回やってるのそれ。
「しょ、証拠でもあるんですか?」
あくまでも強がる茜の足が、じりじりと下がっていく。
「信用出来る筋からの情報なんだよ、へへへ……まー、学校にばれたら停学じゃすまないんじゃないか? 軽犯罪といってもやりすぎだろーが、ああ?」
茜の前に立っている男子が、ポケットに手を突っ込んで胸を突き出しながら、公園の鳩のように威嚇している。
平和の象徴に似た威嚇はいささか間抜けだ。
「ひ……だとしても、先輩達が私を直接罰することなんて出来ないはずです」
「罰しようなんて思ってねえよ。美味しい思いをしようってだけだ」
鳩男が顎を突き出すと、時代劇男が茜の背後に回り込んだ。
ぐるっと腕を回し、茜を後ろから羽交い締めにする。
「な、何を……」
叫ぼうとした茜の口を、もう一人の特徴の無い男が手で押さえ込んだ。
どこから取り出したのかガムテープを貼り、両手首にもぐるぐるとガムテープを捲く。
「口止め料も貰うけど、ちょっとぐらい先輩達を楽しませてちょーだいね」
男達が下劣に笑いながら、飢えた悪竜(タラスク)のようにだらだらと涎を垂らす。
茜の悪戯とは全く別種の悪戯を、彼らは茜に与えようとしているらしい。
ただでさえ声の聞こえづらい場所でガムテープまで使うのだから本気だ。
――アレゴリーに対する暴行。
人類史上、前代未聞の罪だろう。カインもユダもびっくりだ。
黙って見ていた狩哉だったが、さすがにこれは嫌悪感を隠せない。
めらめらと争乱の炎が、狩哉の瞳に宿る。
弓華の瞳は怒り故か三白眼になり、小坪の瞳は深淵たる闇に染まる。
「まさかアンタ達、全員で出てって茜ちゃんを助けるつもり?」
あざ笑う世音の瞳には、やる気そのものが無い。
「黙って見てる気かよ、世音」
「別にどーでも。あの茜ちゃんがどうなろうと私の知ったことじゃないし」
「……世音ちゃんは、ひどいことされそうになってる人が目の前にいるのに、放っておくんだ?」
穏和な弓華の声色にも、低く暗い感情が篭もる。
「あの子はアレゴリー、人間の敵でしょうが。私は人間。アレゴリーに同情なんて出来ないし、してやらないわ。私が手を出す前に再起不能(リタイヤ)ってくれるなら、手間が省けて助かるぐらいじゃん」
悪意たっぷり、半笑いの世音。
その笑顔の向いた先から、悲痛な呻き声が漏れ聞こえてきた。
ガムテープの下で茜が必死にもがき、不良に抵抗しているのだ。
取り囲んだ生徒達は茜の頬や腹をつつきながら茜の恐怖心を膨らませ、弄んでいる。
(こいつらみたいのが、人間をやっているから……!)
――狩哉の中で何かが切れた。
「世音、お前は分かんねーのか。アレゴリーだろうが何だろうが、今あそこで乱暴されかけてるのは、ただの傷つきやすいだけの女の子だろ。人間のお前がそれを可哀想だとは思わねーのか」
狩哉は溢れ出る殺気そのままに、世音を恫喝する。
並の人間なら気絶するか正気を失うかするであろう狩哉の真なる気迫を受けて、それでも世音は動じない。
それどころか、待ちわびたかのように微笑んだ。
「アンタに人間性を説かれるとは思わなかったわねー……うふふ」
「うるせー、俺はどうせ人間を殺すためだけに遣わされた存在なんだ。三人この世から消しちまうぐらい、どうってことねーよ」
激昂して怒鳴りそうな狩哉に、弓華が囁きかけてきた。
「狩哉、僕も同じ気持ちだけど、ここはあいつらから茜ちゃんを離すだけにして、先生を呼んだ方がいいんじゃないかな……」
「む……」
弓華の言うことにも一理ある。
その方が現実的だ。
小坪も浅く頷く。
「私達が安易に四騎士の力を使うより、教員の手できちんと、あの破廉恥どもを罰して貰った方が、後々よろしいでしょうね」
狩哉の心に、平静が戻ってきた。
ニヤニヤしているだけで何も命令してこない世音のことは、視界から外す。
「……そうだな。よし。俺と小坪はあのバカ男どもの気を逸らして、弓華は近くの教室に駆け込んで、誰か先生を呼んできてくれ」
「分かった!」
答えた弓華が、決然と翻る。
その足下が――剥がれた。
地面が、校舎裏のじめじめした土を構成する破片が剥離し、ぱらぱらと上空に舞い上がっていく。
――地面だけではない。
校舎の壁も、校舎裏に立つ木も、あっという間に薄っぺらい欠片となって虚ろな闇の空隙に吸い込まれていく。
「終末の空隙(エスカ・トロス)!?」
弓華が足を留めて、周囲を見渡す。
――足下に拡がっていく、それは闇。
立ててはいるが、足場の一切が暗黒に包まれていた。
「小坪、お前か!? どういうつもりだ!」
焦った狩哉が、隣の小坪に詰め寄る。
「違いますわ! 私は、このような形で終末をもたらすことはしません!」
小坪も混乱していた。
――頭上に拡がり続ける、それも闇。
暗黒にぽつぽつと星の光が滲むように現れ、広大な銀河までもが可視化した。
一際目立つのは、ぎらぎらと虹色の光を発する金星。
人間の知る金星にしては大きく見える。
夜の星霜を率いる妖星、とでも形容した方が良いだろうか。
昼休みだった校舎裏は天も地も、星と闇に包まれた外宇宙さながらの異空間に一変してしまった。
「お~……なかなか虚無感に溢れてるわねえ……」
他人事のように感心している世音。
小坪でも弓華でも無いのであれば――
――この終末の空隙(エスカ・トロス)を拡げたのは。
「先輩達、そこにいたんですか」
狩哉が、弓華が、小坪が、慄然と振り返る。
星空の下に、茜だけが超然と立っている。
口に貼られていたガムテープが半分以上剥がれて、食堂の暖簾のように垂れていた。
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