第14話 不眠症
(完全に不眠症だ……)
木曜は祝日で、幸い学校が休みだった。
茜の件が思ったより早くひと段落したので狩哉は家で過ごしたのだが、妙に胸騒ぎがして一日中落ちつかず、夜になってもちっとも眠れない。
シミュレーションRPGをプレイして強制的に脳を疲れさせ寝落ちを狙う、という体に悪い作戦で何とか入眠しようとしたが、とっくの昔にパーティキャラは育てきって全ステータスはカンストしている。
その上全ルート攻略してしまい、やることが無くなってしまった。
それに狩哉は戦略の類が得意なので、彼我に圧倒的戦力差のあるステージでも手を見つけ出して難なくクリアしてしまう。
近日中に追加シナリオをダウンロード出来るそうなので楽しみにはしているが、こんな所で『戦争』を司る能力を全力で発揮している自分に嫌気が指していた。
それでもゲームはいい。
あまり血が出ない。
倫理規定さまさまである。親目線の皆さんありがとう。
ぼーっと遊びながらようやく浅い眠りに入ったかと思うと、狩哉は窓の外に明けの明星を掲げながら目覚めたのであった。
小鳥の囀りが耳に優しい。
染み着いた早起き生活が、昭和生まれの後期高齢者並だった。
眠ることすらできない。
そんな満身創痍の状態で、他の四騎士と集合した金曜日。
いつも通りの、昼休みの視聴覚準備室。
食欲なんてスプーン一匙分も無い。
「何げっそりしてんのよ。『赤』の騎士の分際で、血色悪いなんて笑えるわね」
世音の世音による世音らしい一言で、弱った胃がさらに収縮する。
「狩哉、大丈夫? 僕のここ、空いてますよ」
弓華が心配そうに、自分の膝上を指さす。
「大丈夫だ、問題ない」
「こっち側の世界に来れば楽になれるのにねえ」
無無美が微笑する。
「大丈夫じゃない。問題だ」
世界が終わっても無無美の世界には行きたくない。
小坪は昨日のことを引きずっているのか、黙りこくっている。
しかもあの小坪が食欲を失っているらしく、今日は菓子パンも控えめだ。
控えめといっても10袋以上はビニール袋が散らかっているが。
他のメンバーは皆食事を終えているようで、まったりしていた。
このお弁当タイムが定例イベントになるのが狩哉は怖かった。
――さらに飼い慣らされていく。
狩哉の不安を無視して、世音が口を開く。
「自分の名前も分からずに虐められるアレゴリーね。ふん、だっさいわね。人間にやられ放題でプライドが傷つかないのかしら」
購買の人気商品であるカフェオレを楽しみながら、失笑する世音。
「それをお前が言うか。四騎士をたった一人で手玉に取りやがってるくせに」
「取られる方にも問題がある。とか考えないわけ? 自己責任でしょ」
弱者の心を折る的確な一言。
完全なるいじめっ子の論理である。最低の好感度だ。
「恥骨にびんびん来るわっはー……大勢で囲まれて罵られてなぶられていじられて怒られてハブられて醸されるなんて……」
無無美はうっとりと目を輝かせている。
「ばんばん醸されてシュールストレミングにでもなってくれ」
狩哉達とは別ルートで茜を追っていた無無美も、茜の悲惨な中学時代についての詳細は知識として得ていた。
その上で興奮している。
虐めも快楽に変えられるのだから、Mもここに極まれりだ。
幸せは案外簡単に手に入る。
「……四騎士より大分後にやって来るアレゴリーなのでしょうね。あの茜さんは」
一人言のように呟く小坪を、世音がじろりと横目で睨む。
「でしょーね。アンタ達四騎士も順番通りに記憶が目覚めたっぽいし、茜ちゃんはたまたまアレゴリーとしての使命感と力だけが顕現したんでしょ」
「僕は小学校時代に目覚めたけど、名前が分からないなんてこと無かったけどなあ」
名前と使命を同時に思い出している弓華は、納得がいかない様子だ。
狩哉は高校入学と同時に弓華が女性化してしまったことの方が、よっぽど納得がいかない。まったく使命と関係ない。
ないから否定するということもないが。可愛いし。
「弓華は元から小学校時代に目覚めるタイミングだったから、しっくり自分を受け入れられたのね。弓華が小学校低学年、狩哉が高学年、小坪と無無美が中学のときだったっけ?」
小坪が視線を逸らしながら頷く。
無無美はと言うと、
「あれは嵐の夜のことだったわ」
滔々と自分語りを始めようとしたが、世音が舌打ちをして制止させた。
「確かに全員、黙示録の順番通りだったな。名前を思い出せなくて混乱するってことも無かったし……目覚めのタイミングがちょっとでもズレると、こんなに面倒なことになるんだな」
自分も先に使命感だけが目覚めてしまったら、と狩哉は想像を巡らす。
分からないのに他人と違う、という感覚は人間としての狩哉の精神状態にどんな影響を及ぼすだろうか。
(少なくとも、落ち着いた学生生活は無理だな……)
虐めるか、虐められるか。
迫害するか、迫害されるかだ。
「黙示録の記述とズレてしまっているアレゴリーは惨めね、うふふ……アンタ達四騎士が何もしないから、茜ちゃんの目覚めが早まっちゃったんじゃなーい?」
狩哉は歯噛みする。
自分達が終末の封印をいつまでも解けないことが、他のアレゴリーの活動にまで影響を与えていることは事実だ。
予定を狂わせている罪悪感は、生半可なものではない。
締め切りを破るといろんな人に迷惑がかかる。どんな職業でも。
世音とも茜とも舌戦を上手く広げられないのも、罪の意識からといっていい。
弓華もバツが悪そうに俯いているし、いつもなら一言ぐらい返す小坪も沈黙している。
無無美は頬を紅潮させて満面の笑み。
これはいつも通り。
羨ましくなってきた。
「で、どう対応すりゃいーんだ? お前の所に連れだしゃいいのかよ?」
茜の心境を考えると心苦しい。
だが世音と直接会わせれば、茜のアレゴリーとしての正体も分かるだろう。
「そうね~……」
どうでも良さそうに世音は腕を組み、悩んでいる素振りを見せている。
(こいつ、悩んでるように見えるときは大体何も考えてないか、どうでもいい思いつきを口にしやがるんだよな……)
世音が薄いピンク色の唇を開けて何かを発しようとしたのと同時に、レッド・ツェッペリンの『天国への階段』の着信メロディが室内に流れ出した。
びくりと全員が机の上を見る。
このメロディは世音の携帯電話だ。ちなみに狩哉はレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの『ウェイク・アップ』にしているが、聴くと責められている感じがしてきたのでそろそろ変えようと思っていた。
どうでもいい。
眉一つ動かさず、世音はイントロを楽しむようにのんびり聴いてから、電話を手に取る。
今回に限らず世音は会話の途中でも、いきなり携帯電話を取る。
毎回通話はしないので、電話の着信では無い。
今も時間をかけてただ閲覧している感じなので、ハマっているというSNSだろうか。
「ふうん……緊急事態って感じね。やばいやばい」
電話を机に放り出して、世音は億劫そうに呟く。
緊張感はまるで無い。
小坪は不審げに、世音と携帯電話とを見比べている。
「……何かあったのですか?」
「うん、まー。例の不良どもが、校舎裏に集まってるっぽいわ。暇な奴らよね」
それは狩哉が何とか手を抜いて倒した、あの不良達のことだろう。
「あいつらか。今度は誰を恐喝してるんだか……まさか、また俺に止めに行けとは言わないだろーな?」
――とにかく目立ちたくない。
ただでさえ不眠なのに、これ以上トラブルに突っ込まされるのは狩哉の精神には耐えがたい。
「別に言わないけど。呼び出されたのが誰なのか聞いたら、アンタは黙ってられるのかしらね~」
「何を勿体ぶってやがんだよ……? 悪巧みでもしてんのか」
不安を隠せない狩哉に向かって、世音はぺろりと舌を出して。
「ばれちゃったみたいよ、アンタ達の後輩」
――嗜虐的に。
そして邪悪に告げた。
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