第13話 厄日

 ドリンクバーが創世記の時代からあったら、いくつかの人類の忌むべき大罪は重ねられずにすんだに違いない。


 狩哉が一人で物思いにふけりたいときの必需品だ。


 震える哀れな茜を連れて、狩哉は茜のアパートからそう離れていない、ファミレス奥の窓際席にやってきた。


 時間を潰すには最高の場所だ。

 狩哉はこの店の常連であり、メロンソーダはここでしか飲まない。

 トニックウォーターを基本にすれば、アレンジで無限に気分を変えられる。最近はコーヒーも豆から挽いていて美味い。

 いつも長居しすぎて店員には好かれていないだろうが、許してほしい。

 小遣いの少ない四騎士に許された数少ない娯楽なのだ。


 一緒に頼んだ特製バニラアイスを浮かべた自家製クリームソーダをすすって、ようやく狩哉は一心地ついた。


「狩哉、幸せそうだね。可愛い」


 弓華が抹茶パフェを口に運びながら、狩哉を見て苦笑する。


「今日は気が張りつめてたからなー……疲労に糖分が効くよ。いつも小坪の暴飲暴食を見てるから、ありがたみを忘れかけてたなあ」


 茜は狩哉達の顔色を窺いながら、目の前のアップルティーとアップルパイに手をつけないでいる。


「茜ちゃん、遠慮しないで食べていいよ。僕達が奢るから」


「そうだ。アップルパイも旨いし、ドリンクバーは飲み放題だ。飲まないと損をするぞ。この店はファミレスの中でも格別ドリンクの種類が多いし、飽きないからな。有史以来いくつものファミレスを見てきた俺が言うんだから、間違いない」


 どうでもいい保証だが、野菜ジュースとレモンソーダのブレンドが絶品なのはセフィロトを通さなくてもわかる真理だ。


「先輩達は、いつもこんな感じなんですか……?」


 遠い親戚の家に来た幼子のように、茜は体を強ばらせている。


 茜がアレゴリーであるなら、広い意味で四騎士は親戚ではある。

 お兄ちゃんと呼ばれるのも悪くない。


「うん、まあいつもあんまり変わらないよね。四騎士全員と世音ちゃんだけで何時間も過ごしたり」


「地獄の時間をな……」


 狩哉は卑屈に笑う。


 繰り返すが地獄の住人に恨みは無い。


 一人の女子高生に脅されていじられて怯えるような場所は、九層に連なる地獄の最下層に至るまで存在しない。


「……やっぱり情けないです、先輩達。四騎士は、私から見ても恐ろしい黙示録がもたらす破壊の筆頭じゃないですか。そんな人達が終末を訪れさせることもなく、こんなバカみたいでくだらない世界を放っておくなんて、どうかしてます」


「それに関しては返す言葉もねーよ……」


 いつか罰せられる日が来るとは思っていたが、後輩にファミレスで叱られるとは狩哉も思ってもみなかった。


「ご、ごめんね。本当に……」


 四騎士のトップバッター、弓華が素直に頭を下げる。

 心底申し訳なさそうだ。


「記憶も使命もしっかり覚えてるのに――何もしないなんて。よくないですし、勿体無いです」


 茜が絞るように呻く。

 羨望と悔恨が混じりあったかのような、複雑な表情だった。 


「ねえ茜ちゃん、言いたいことはわかるんだけど……無理にとは言わないけど。お話を聞かせてくれないかな? 僕立アレゴリーにはそれぞれ役割があるけど、軽い悪戯を繰り返すなんて使命は無かったはずだよね?」


 あくまで優しい口調で、弓華は囁きかける。

 自分達が挑発されたことについては触れていない。


 バツが悪そうな顔で、茜が重い口を開いた。


「私だってそれは分かってます……自分には、本当にやるべきことがあるはずだってこと。でも分からないんです。……ちっとも思いつかないんです」


「分からない……? もしかして自分のアレゴリーとしての属性や、名前も分からないのか?」


 狩哉が訊くと、茜は小刻みに震えながら頷いた。


(なるほど。こいつが執拗に俺らを責めてくるのは、自分が誰だか分からない故の八つ当たりって所か……)


 自分というものを上手く表現出来ない。

 自己実現の途上にある、こじらせた思春期の少年少女のようだ。


「そっか……それで、僕達を見るとイライラしちゃってたんだね?」


 肯定も否定もせず、俯いている茜。


 その沈黙が、茜の返答を物語っている。


 アレゴリーにも思春期があるのだろうか。

 黙示録を矮小化しすぎだと怒る人間が出てきそうだが、実際に狩哉の目の前にいる茜はこうして悩んでいるのだから仕方が無い。

 現実を受け入れるべきである。


 子供のような悪戯はどうかと思うけれども。


「先輩達はどうだったんですか……?」


 不意に、すがるように茜が顔を上げた。


「俺達? どうって、何がだよ」


「私みたいな時期が、先輩達にもあったんですか? 自分が人間では無いと気づいていながら……何も出来ない、何も思いつかなくて苦しい、っていう時代が」


 弓華がうーん、と天井を仰いで記憶を辿る。


「僕は目覚めのが早かったからなあ……小学校低学年のときに、自分が第一の『白』の騎士、司るのは『勝利』だって所まで分かっちゃったし」 


「え、そうだったのかお前。随分早熟だったんだな」


 それは狩哉も知らなかった。


 狩哉も自分の属性や使命を自覚するまでは、それほど時間がかからなかったが。


 ちなみに小学校高学年のときのことであったが。


「へへ、言ったこと無かったからね。四騎士は一応黙示録に出てくる順番に沿って目覚めてるっぽいから、僕が一番早かったみたいだよ」


「ほー。なんか、きっかけでもあったのか?」


 何となく狩哉が訊くと、弓華は寂しそうな、困ったような複雑な顔をした。


「それは――ちょっと狩哉にも言いたくないな。あんまり気持ちいい思い出じゃないから」


「ああ、わ、悪い」 


 うっかりしていた。

 四騎士が目覚めた時期には定められたタイミングがあったが、それぞれ、きっかけとして大きなショックやストレスがあったようなのだ。


 小坪や無無美も、それについては詳しく話そうとしない。

 聞く気もない。


「うん、気にしないで。狩哉と一緒になったらいずれ話さなきゃいけないから」


「一緒にってなんすか」


 弓華は答えずに、はにかんだ。

 意味深だった。

 そして可愛い。腹が立つほどに。


「お二人とも、早いですね……私は高校生にもなって、まだなんです。早い方がいいのにな。初めての夜ってどんな感じだろう」


 悔しそうに再び俯く茜。

 その頬が恥辱に染まって赤く染まっている。


(なんか会話内容だけ聞かれたらやばくねーかこれ?)


 気のせいかまたしても、周囲の視線が集まっている気がした。

 どうして他のアレゴリーといると、こうも目立つのだろう。


「中学時代は、悲惨でした」


 ぽつりと茜が呟いた。

 何かを話したがっているようだ。


 狩哉と弓華は、言葉を挟まずにただ聞いてやることにした。


「一番大切な、自分の本当の部分は分からないのに、自分が特別な存在だってことだけは分かるんです。自分が将来、世界を滅ぼそうとするのは運命なんだって、確信を持っていました。最初は病気なのかとも思いましたが――でも、違った。ある日とってもイライラしていたときに、手に持っていたグラスに念じてみたんです。『無くなってしまえ』って。そしたら……グラスがあっと言う間に、粉々になって。砂になって、掌から、さらさらと落ちて。それで……」


 茜は言葉に詰まる。


 狩哉や弓華にも、覚えが無いわけではない。

 終末をもたらすアレゴリーの力は、凄絶にして強力すぎるのだ。

 人間が本来持つべき力ではない。


 それでも力自体の目覚めより先に、自分の名前と使命を知った狩哉達はそれを制御出来た。


 ――茜には同じことが出来ない。


「お母さんが私の誕生日に買ってくれた、大切なグラスでした。やっぱり、自分は人間の敵なんだって……それが、分かって。そのころはバカだったから、クラスのみんなに告白したんです――『私は人間じゃないの』って」


「ああ……なるほどな」 


 その言葉で、茜がどのような中学時代を過ごしてきたかの察しがついた。

 狩哉も人間として小・中・高と学校生活を経験してきたから分かる。


 この国でなくとも、学校という共同体は徹底して異物を排除する。

 中学という多感な時期なら尚更だ。


 いきなり共同体の均衡を揺るがす――


 空気(ルーアハ)を読まない発言があれば、共同体は徹底して攻撃してする。


 ――虐め。


 程度の差はあれど、古代からあった迫害と同じ質のもの。

 言葉のニュアンスを甘くみていれば、死者も出る。


 ――そして、悲劇は連鎖する。


 迫害された者達が新たな弾圧者となっていくのを、歴史の中で狩哉は幾度も見てきた。


「それからは、誰も私に話しかけなくなりました。腫れ物でも見るみたいに扱われて、無視されて、後ろの方から笑われて。教科書が無くなったことも、一度や二度じゃありません」


「大変だったんだね、茜ちゃん……よく我慢出来たね」


「辛いのは辛かったですけど――それでもクラスメイトはクラスメイトでしたし。元々仲が良かった子もクラスにはいたし、何かしようとは思えませんでした。それに、私自身、自分の正体が分からなかったから、怖くて……」


「そっかそっか。えらいね」


 震える茜の頭に、弓華が掌を乗せて撫で始めた。


 茜の顔が一瞬、気持ちよさそうに弛緩するが。


「こ、子供扱いしないで下さい!」


 茜はハッとして弓華の手を払いのけた。

 それでも弓華は決して怒らない。


「ごめんごめん。見た目は高校生でも、子供じゃないよね」


「いや、子供だろ。自分の本当の名前も分からないんだから」


 狩哉は辛辣に、しかし当然のように言い放つ。

 むっと茜が睨んでくるが、動じない。

 弓華だけが反論する。


「狩哉まで小坪ちゃんみたいな言い方しなくてもいいじゃないか。辛い思いしてきたんだよ、茜ちゃん」


「それは分かるが、過去は過去だ。下らない悪戯をする理由にはならないだろ? どうして俺の自転車はパンクさせられたんだ? 納得のいく答えが欲しいぞ」


 毅然と狩哉が問うと、茜は再び俯いた。


「それは……人間が不快な行動を取り続ければ、人間の敵、黙示録のアレゴリーとしての記憶が蘇るかもしれない、って……」


「何だそりゃ。せこいっていうか考えることが安直すぎるだろ、だからガキなんだよ。名前が分からなくても、ちゃんと自覚を持って……ん?」 


 義憤に身を任せようとした狩哉の脳裏に、疑問が走った。

 茜が怪訝そうに見上げてくる。


「な、なんですか……?」


「お前、今も自分のアレゴリーとしての名前が分からないんだよな? ならいつ、自分が黙示録のアレゴリーだって気づいたんだ。それに自分のことも分からないくせに、どうして俺達が四騎士だと知っているんだ」


「……!!」


 しまった、という顔で茜が目を逸らす。


(こいつ、まだ何かを隠してるな……)


 茜の表情の変化を、狩哉は見逃さない。


「よ、余計なことを話しすぎたみたいです……玄野先輩に脅かされた状態で、白倉先輩に優しくされてしまったので、ついつい油断しちゃいました。お姉さんっぽい人だと、お母さんを思い出しちゃうので……」


 話を誤魔化そうとして、茜は声色が高くなっている。


「え、僕? 僕がお母さん? うわー狩哉、聞いた? 僕がお母さんだってだって! 赤ちゃん何人欲しい?」


 目的も忘れ、弓華が舞い上がる。 


「作れるかバカ」


「やってみなくちゃ分からないじゃないかー!」


「四騎士の力でも無理なものは無理だ! いいか茜、このアレゴリーモドキ。弓華はオ・ト・コだ。元の姿のときかられっきとした男だ」


 狩哉が説き伏せるように告げると、茜の目がまん丸になった。

 四騎士の仮の姿と本当の姿を知っていた茜だが、弓華の人間としての性別までは知らなかったようだ。


「変態だ……!」


「変態!? ひ、ひどいよ茜ちゃん! さっきはお母さんみたいって言ってくれたのに! 多様性の時代なんだよッ! クレームくるよ!」


 茜も弓華も互いにショックを受けて立ち上がる。


「変態は変態じゃないですか! 四騎士の一人が変態なんて、恥ずかしくないんですか!」


 長身の弓華を見上げながら、茜が至極真っ当な正論を吐く。

 やはり子供だ。

 他人が他人だということを、受け入れられていない。


(もう一人真性の変態がいるって聞いたら、どう思うだろーな……)


 無無美の方は、今のように罵倒されたら狂喜乱舞してしまうのだろうけど。


「やっぱり先輩達は恥ずかしいです! 無自覚ですッ!」


「違うよ、全然違うよ! これが本当の僕なんだよッ! イデアル僕だよー!」


 怒鳴りあう二人に、再び周囲の視線が集中する。

 ウエイトレスもこちらを不審そうに注視していた。


「あー、すまんが二人とも目立つのはその辺にしてだな……」


 割って入ろうとする狩哉がテーブルに手を突く。


 その指の隙間から、煙のようなものが立ちのぼった。


「……?」


 煙ではない。

 それは、テーブルそのものが三次元世界の破片として解離し、剥がれたものだった。


 テーブルに穿たれた空間の穴の向こうには床ではなく、うっすらと乾いた土が見えている。


(終末の空隙(エスカ・トロス)……!? こ、こいつら、こんな人の多い所で何してんだー!)


 狩哉の手の下からひらりひらり舞い上がる世界の欠片。

 ファミレスの一角に、容赦のない終わりの刻が訪れかけていた。


 茜と弓華の視線が交わった空間が、蜃気楼のように撓んでいく。

 今はまだ無意識のようだが、二人分のアレゴリーの力が干渉しあっている。


 ――二人がその気になれば。


 ファミレス全てが終末の空隙(エスカ・トロス)に巻き込まれる。


「取り消してよ、茜ちゃん!」


「イヤです! 変態騎士の言うことは聞けませんッ!」


 二人の罵りあいを見て、若いウエイトレスが近づいてくる。


(やばい! 見られちゃう! 見られちゃいけないアレゴリーの恥ずかしい所見られちゃう!)


 ――仕方ない。

 狩哉は覚悟を決めた。


「いい加減にしろバカどもーーーーー!!」


 二人の頭を、思いっきりはたく。

 びっくりした二人が狩哉の顔を見ると同時に、剥がれていったテーブルの破片が瞬時に戻る。


 ――空間の撓みも無くなった。


 戻るときは一瞬、というご都合主義的特性があって良かった。

 感謝します、主よ。


「どうかされましたか……?」 


 ウエイトレスが丁度よく到着し、心配そうに茜と弓華の顔色を窺っている。


 幸い一般人に終末を垣間見られることは無かったようで、狩哉はホッとする。


 危うく変態を巡る口論から発展したハルマゲドンを起こされる所だった。


「あの、俺らもう出ますんで、会計よろしくお願いします!」


 伝票をウエイトレスに押しつけた狩哉は、不機嫌そうに視線を逸らしあっている茜と弓華を無理矢理立たせて、レジに向かった。


 早急に店を出るために、狩哉が三人分払う。


 高校生の財政的には大ダメージである。

 客の目も不必要に引いてしまったし、当分この店に来る勇気は無い。


(厄日すぎる……)


 汚れた夜に照らされて、災厄の化身は世界を憎んだ。

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