第12話 甘い先輩
「確かに、ここに入っていったよな?」
焼け焦げた空、夜の闇を率いて住宅街を見下ろす、宵の明星。
狩哉と小坪は茜を追って路地裏を通り、築三十年は下らないであろう古びた木造アパートの前まで来ていた。
「自宅のようですね。なんとも庶民的で見窄らしい、あの悪戯小娘に似合う住まいですわ」
尊大に胸を張って鼻息を荒くする小坪。
「商店街の肉屋の娘が言う台詞か? そんなに差ある?」
「あそこは仮の住まいだからいいんです!」
狩哉はガンを飛ばされる。
もし茜が黙示録アレゴリーの一人であるなら、ここも仮の住まいであることに変わりはない。
人間が生まれる家と自分を生む親を選べないように、アレゴリーもまた生まれる家と親を選ぶことは出来ない。
どこでどのような生活をしていても。
何であってもおかしくはない。
主に選ばれた聖母を選べるのが、唯一にして特殊な存在なのだ。
「家の中までは追えないからな。今日はこの辺で帰るか」
「えー、激しい銃撃戦は無しですか」
「物騒な期待してるんじゃねーよ。銃撃戦どころか戦略級兵器もびっくりの能力持ってるくせに」
小坪の袖を引っ張り、狩哉はその場からさっさと離れようとする。
アクション映画的な展開に執着して荒ぶっている小坪の相手などしていたら、何時間あっても足りない。
その行く手を、長い影が遮った。
狩哉と小坪はハッと警戒するが。
「かーるーやんっ♪」
弓華だった。
携帯電話を片手に持って、部活用の弓を背負っている。
「びっくりさせんなよ、後で合流するんじゃなかったのか?」
「何言ってるんだよー。狩哉が僕のメール無視したんでしょ」
弓華にムスっとされて、狩哉は懐の携帯電話を取り出す。
画面を見れば、確かにメールを受信していた。
『公園の近くまで来たけど、どこにいるの?』
と、十五分程前に。
「あー悪い……追いかけるのに夢中で気づかなかった。けど、どうしてここが分かったんだ?」
「学校でこのアパートの場所を訊いたんだよ。公園行くよりここに向かう方が近かったからさ。もしかしてこっちで待ってた方が早いかなーと思って隠れてたんだ。予想大正解!」
軽快な仕草でVサインを決める弓華。
『勝利』の騎士だけにビクトリーが似合う。
関係無いかもしれない。
「ふん、私達はずーっとこそこそ尾行してたのに……楽そうでいいですわね、弓華とムーは」
「そうでもないんだよ? 茜ちゃんのお知り合い探して話聞き出したりするの、結構大変だったんだから」
小坪の軽口に、弓華は嘆息混じりに返す。
「そんなに口が堅かったのか? あいつの友達」
「そうじゃなくて、茜ちゃんと仲が良い友達が全然見つからなくて……同じクラスの子も、茜ちゃんとはあんまり喋ったことが無いみたいだったんだ」
「坂月先生も、学校に出てこないって心配してたしな。下校中も一人ぼっちだったし、友達いないみたいだな……」
神妙な顔つきで頷く弓華。
弓道部の人気者である弓華と茜は、正反対の交友関係を人間と結んでいるらしい。
「……………………」
小坪は不愉快そうに眉を顰めて口をつぐんでいる。
何か勘に障ることを言っただろうか。
八つ当たりされても困るので、狩哉はスルーした。
「で、友達がいないのにどうして家が分かったんだ?」
「無無美ちゃんが、色仕掛けで訊きだしたんだよ」
さらりととんでもないことを弓華は告げた。
触りたくないが狩哉はとりあえず聞く。
「……誰に?」
「学年主任の上原先生」
その教師なら狩哉も知っている。
生真面目で校則にうるさい、定年間近の肥満気味男性教師だ。
色仕掛けに引っかかるイメージなど無かったのに。
無無美も、色仕掛けなんてするタイプじゃなかったのに。
――そういうアレゴリーは、また別の存在なのに。
(俺の周囲の人間関係、どんどんただれていく……)
渇いた笑いが狩哉の半開きの口から漏れる。気が抜けて周囲に気を配るのも忘れていた。
だから狩哉達は、
「……先輩達、何か用ですか?」
いつの間にか茜が真横で仁王立ちしていたことに、全く気づかなかった。
野暮ったい路地裏の風景に、金髪と鳶色の瞳が驚くほど似合わない。
「あ、茜ちゃん!?」
大袈裟な仕草で飛び跳ねる弓華。狩哉も仰け反った。
小坪だけが冷静に、茜の双眸を見つめている。
「アパートの前で騒がれてたら、近所迷惑なんですけどね」
首を傾げて見上げてくる茜の口元に、野性的な八重歯が煌めく。
可愛い。
「い、いやあ俺達はたまたま通りかかっただけで。なあ弓華、小坪?」
「う、うん! たまたま三人とも、ここで鉢合わせしたんだよね!」
「さすがにそれは無理あるだろ」
「え?! えーとえーとじゃあ、僕より強いヤツに会いに来た!?」
「確かにそれだとこの三人揃うだろうけども」
「私達は貴方を尾行していたのですよ、真田茜さん」
パニック状態の狩哉達を尻目に、小坪があっさり告白する。
「おい小坪、そんなに堂々とばらすんじゃねーよ!?」
「そ、そうだよ!? 世音ちゃんに怒られるよ!」
騒ぎ立てる狩哉達を、小坪と茜は迷える子羊を憐れむような目で見ていた。
「うるさいですわね、もう……この子の様子を見れば、隠しても無駄なことぐらい分かるでしょう」
小坪の言葉に、深く茜が頷いた。
様子と言われても、態度がでかいぐらいで茜の感情は読み取れない。
「この子の目は、全てを知っている目です。茜さん、貴方――私達が黙示録のアレゴリー、四騎士の一人だということをご存じなのですよね?」
「はい、先輩達のことはよーく知ってます」
なぜか不満そうな茜。
「では単刀直入に訊きますが――貴方は人間なのですか? それとも……」
「同じです、玄野先輩。私も黙示録のアレゴリーの一人です」
スムーズなやりとりだった。
小坪と茜は互いに目を逸らさず、それでいて、堂々としている。
(普通に喋っちゃうのかよ……これまでの尾行は何だったんだ)
放課後の尊い安らぎのひとときを返して欲しかった。
歴史番組を録画することも忘れていたのに。
「へえ、やっぱり茜ちゃんもアレゴリーだったんだ! 何々、どんなの? 教えてよ、黙示録のどこら辺で出てくるの?」
自分の苦労も厭わず、フランク極まる調子で話しかける弓華。
茜は怪訝な眼差しを弓華に向けている。
「出身中学聞くノリで黙示録を語るなよ」
「えー、だって仲間みたいなもんでしょ、同じアレゴリーなんだし。ねえ、茜ちゃん?」
笑いかける弓華だが、茜はどこまでも不機嫌だ。
「先輩達と私を一緒にしないで下さい。私は仲間なんかじゃありません――仲間なんか、いません」
弓華の笑顔が凍り付いた。
うるうると助けを求める目で、狩哉達を見てくる。
小坪はそれを無視して、表情を殺したまま押し黙っている。
とてつもなく気まずい。
「……そういう言い方は無いだろ? こんだけ好意的に話しかけてくれるヤツに対してさ」
ついつい弓華を庇ってしまったが、アレゴリーには本来、好意も悪意も、善意も無い。
黙示録に記された内容を遂行する使命のみが――
――決定論的に、あるのみだ。
二の句を告げようにも、狩哉の思考からは出てこなかった。
「何で私と馴れ合おうとしてるんですか、先輩達は? アレゴリーなのに。バカみたい。アホみたい」
ぷいっと横を向いて、茜は吐き捨てる。
学校では世音に継いで生徒に人気があり、馴れ合いが好きな弓華にはなかなかきつい一言だ。
「う……バカって言われた……アホとまでコンボ続けられた……そんなこと、狩哉と小坪ちゃんと無無美ちゃんと世音ちゃんぐらいにしか言われたこと無いのに」
結構言われていた。
後輩の一言で、弓華はまたしても涙目だった。
狩哉が困っていると、小坪が一歩前に進み出た。
「そこまでアレゴリーアレゴリーと連呼しておいて、貴方のやっていることは何なのですか? 人間の子供にも劣る悪戯、軽犯罪の乱発ではありませんか。貴方こそバカみたいですわ」
「…………」
今度は茜が黙る。
何か言いたそうに口をもごもごとさせているが、言葉を飲み込んでいるようだ。
「おいおい小坪、落ち着けよ」
「狩哉は黙ってて下さいませ。このような軽率なアレゴリーは、大いなる闇に飲み込んで恒久の獄に閉じてしまわねばなりませんッ! くっ。右手が疼いてきやがりました――あの力を使わねばならないとは」
「こ、小坪ちゃん……?」
困惑する弓華の側で、茜は気味悪そうに小坪を見上げている。
(やべえ……こいつまた一人でテンション上がってきてやがる)
小坪は創作に浸りきり、右腕を左手で抑えながら、苦しそうな顔でずんずんと威嚇するように茜に近づいていく。
「アトランティスの秘められた力を持ちて、天空のエターナルでフォースなブリザードによって貴方の汚れた血を浄めてあげましょう! それが私の使命ですわッ!」
「アトランティス……? 四騎士ですよね?」
茜が訝るのも当然だ。
言っていることがアレゴリーとは無関係すぎる。
「そこに直りなさい、真田茜。選ばれし者、この玄野小坪の王者の剣を受けるのですッ!」
「いや、お前剣なんて持ってないし。剣は俺の武器だし」
狩哉の冴えないツッコミを無視して、小坪は茜を真上から見下ろした。
ぐぐぐ、とキスする気かというぐらいに顔を近づける。
茜は耐えていたが、やがて目を泳がせ始め、ついっと背けた。
「……気持ち悪いです玄野先輩。不当に誇張した下世話で大衆向けな漫画の読み過ぎなんじゃないですか。一緒にいて恥ずかしいです」
「何ですって!?」
「恥ずかしい、と言ったんです」
茜はすぐに返す。
「私の愛する高尚な漫画を――よくも……!」
気持ち悪いと言われることより、漫画をバカにされたことの方が小坪の逆鱗に触れたらしい。
怒り心頭の小坪は、大きく手を振り上げた。
茜が「ひっ」と声をあげて縮こまる。
小坪の掌が、茜の頬にジャストヒット――するかと思いきや、茜の姿は忽然と消えた。
弓華が茜の手を掴んで、引き寄せたのだ。
「小坪ちゃん、初めて会ったよく知らない子に、いきなり暴力は駄目だよ」
「弓華は黙ってて下さい! この手の子供には一度お灸を据えないといけないのですよ。悪戯もきっちりと、周りの者に告白させます」
憤慨する小坪だが、何をそんなに怒っているのか狩哉には分からない。
「待て待て、小坪。ちゃんと話してみないと何も分からんだろうが」
「話す必要などございませんッ!」
小坪はまったく譲らない。
「狩哉の言う通りだよ、小坪ちゃん。茜ちゃんが何者か分からない以上、ちゃんと話を聞いてあげないと」
弓華が茜の肩を庇いながら、発憤する小坪から身を引いている。
「甘ったるいことを――甘いのは菓子パンだけで充分ですわ! 勝手にしなさい!」
小坪は吐き捨て、たおやかな黒髪をなびかせて歩き出した。
「おい、待てって!」
狩哉が止めても、振り返らない。そのまま行ってしまった。
「あーあ、小坪ちゃんは短絡的なんだからなあ。大丈夫? 茜ちゃん」
「だ、大丈夫です……」
謎のアレゴリーは、弓華の腕の中でぶるぶる震えていた。
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