第11話 不浄の神
そこからの茜の道草っぷりは、狩哉達の予想以上だった。
通りかかったマンション、住宅街、コンビニなどあらゆる場所で茜が足を留めるのでその度に狩哉達は隠れなければいけない。
相手が金髪で目立つので、幸い見失うことは無いが、神経は磨り減る。
商店街を通ったときは、狩哉は人目が気になって小坪の背中に隠れてしまった。
「ヘタレ男子キャラですか? リアルでやっても痛いだけですよ」
小坪にだけは言われたくなかったので狩哉は少し泣いた。
涙に耐え、追跡を続けて分かったことは、たった一つのシンプルな答え。
――学校周辺の悪戯の実行犯は、茜である。
牛乳シール貼り代えの時点で薄々勘づいてはいたが、一軒家のインターフォンにべったりガムをつけたり、コンビニで今日発売の週刊漫画雑誌にこっそりコーヒーをこぼしたり、地味な悪戯をそこかしこで茜は行った。
特にとあるマンションの自転車置き場で人がいない隙に、住人の学生のものと思われる自転車のタイヤをカッターで切り裂いているのを見つけたときは、狩哉は発憤して怒鳴りかけた。
茜が去った後に自転車を確認する。
それはまさに、狩哉の自転車のタイヤの傷跡と同じものだった。
今見られたら、狩哉達が容疑を疑われるだろう。
「畜生、あいつの仕業だったのか……」
「私の靴に入っていたガムも、恐らくはそうなのでしょうね。おのれこしゃくな……どうやって靴下代を出して貰いましょうか」
狩哉も小坪も、じわじわと苛立ちがこみ上げてきた。
多少のお仕置きは人間であっても許されるだろう。
――手を出していいものか。
世音の命令に逆らうことになるのではないかと思案しながら、狩哉達は茜を追いかける。
最後に商店街のラーメン屋の窓から中に小石を投げ入れた茜は、涼しい顔をして近隣の辺境(リンボ)的に寂れた公園に立ち寄った。
悠々とベンチに腰掛け、辺りを見回している。
巻き貝をモチーフにした――しかし塗装が剥がれて錆びつき、どう贔屓目に見ても巻きう○こにしか見えないすべり台の裏に隠れて、狩哉と小坪は茜の様子を眺める。
「また周囲を警戒していますね……ここではどんな悪行を重ねるつもりでしょうか」
大仰に言いながら、小坪が拳をギリギリ握りしめる。
「けど、なんか今までより楽しそうっつーか、機嫌良さそうに見えないか?」
ベンチで足をぶらぶら揺らして、誰かを待っているかのように遠くを見る茜は、健康的な一人の女子高生にも見えた。
「悪戯三昧でストレス解消なされたんでしょう。もしあの小娘がアレゴリーであるとすれば、行為が矮小で人間臭いことこの上ありませんねもがーもが」
いきなりポケットから取り出した栗まんじゅうを頬張り出す小坪。
最高に可愛くない。
「お前って自分のこと見えてるのか」
「私は第三の黒の騎士で飢餓を司る騎士ですが何か?」
「簡潔な自己紹介ありがとう。分かっててそれなら何も言わん」
本当に面倒臭い。
茜を観察し始めてから三十分の時が流れた。紅に染まる太陽が小さな公園を照らしている。
シーソーが、ブランコが――
そして狩哉達の隠れるう○こ……ではなくすべり台が、くすんだ赤に染まっていく。
(血便のようだ)
と思ってしまった狩哉は、己の発想の下品さを恥じる。
「暮れなずみ、沈みゆく光……これが世界の選択なのですね。散りゆく者こそ美しい」
陶然と目を細め、またしても意味不明な小坪。
「当分散りそうに無いけどな、世界」
「……せっかくの気分を壊さないでくれませんか?」
小坪は栗まんじゅうの破片がついた頬を膨らます。
こんなに半端な黄昏ではない、終末の空隙(エスカ・トロス)なる限定的な終末空間を、四騎士全員は展開出来る。
だが狩哉達四人は四人共に、自分達が生み出した滅びの空間よりも、この世界の何でも無い情景や自然現象に哀愁を感じることが多かった。
それが何故かは狩哉達にも分からない。少なくとも、この体を持ってからの感傷だ。
待ち遠しそうだった茜の表情には、曇った不安の色が現れている。
あまりに何事も起きないので、待つ狩哉達の疲れも貯まってきた。
途中、弓華からのメールを受信した。
この近くまで来て、茜がいなくなったら狩哉達と合流して調べたことを報告したい、とのことだ。
マメな四騎士である。
正直可愛い。
「あっ! いたいた。今日は来ないと思ったよ」
一言も発さなかった茜が、嬉しそうな声を上げるのが聞こえた。
ハッと狩哉達が視線を向ける。
(あれは……!)
座っている茜の臑に、小さな黒い影がすり寄っている。
「みーみーみー」
狩哉が先日、商店街から帰るときに近づいてきた野良猫だ。
「よしよし、待っててね」
茜は野良猫の頭を優しく撫でながら、鞄の中から猫缶と紙皿を取り出した。
「みー!」
おねだりをするように前足を上げる野良猫。
「ちょっと待ちなさい」
と茜が人差し指を立てる。
ベンチの下に紙皿を置き、トップブリーダー推奨(かどうかは分からないが)の猫缶を丁寧に開ける。かぶりついた野良猫が、はぐはぐと夢中になっている。
茜は両手で頬杖をついて、その様子を愛おしそうに見つめていた。
あまりに微笑ましいその光景に、狩哉は茜が愛車の仇敵であることを忘れかけた。
「まさか、あの猫を麻のロープで惨たらしく絞殺する気なのでは……」
同じ光景を眺めているとは思えない、殺伐とした小坪。
「どうしてお前はことバイオレンスな行為に関してはいちいち具体的なんだ」
脳裏にくっきり映像が浮かんで、狩哉は吐き気を催した。
茜の猫への視線は、家族に対するものと同じ親愛の情が感じられる。
会話の内容から察するに、何度もここで会っているのだろう。
悪戯に疲れた後の憩いの時間といった所か。
「子供のような悪行の次は、子猫とスウィートタイムですか。良いご身分ですが、あの子がアレゴリーだとは到底思えませんわね」
「ただの情緒不安定な子供って感じだな」
ここまで追跡してきて、重要そうな情報は何一つ得られていない。
世音に責められないぐらいの手がかりは欲しいのだが。
食事を終えた野良猫の頭を撫でていた茜が、鞄を背負って立ち上がった。
「みーみー……」
名残惜しそうに靴や脛に顔をすり寄せてくる野良猫に、困ったように茜は顔をかいて。
「また明日ね、明日」
小さくひらひらと手を振り、歩き出す。
野良猫も聞き分けよく、
「にゃーん」
と一鳴きしてどこかへ走り去っていった。
見失う前に動き出さねば。
狩哉も立ち上がり、そっとすべり台から顔を出す。
「おい、追いかけるぞ小坪」
「やれやれ、どっちの悪戯子猫ちゃんをですか?」
ため息を吐きながら、小坪も重い腰を上げる。
ブランコに乗っていた子供が、こそこそと歩く狩哉達の姿に気づいた。
子供は目をキラキラさせて、
「うんこの神様だ!」
不浄を司る魔神の属性を、狩哉達に与えた。
ベルフェゴールは有名だなと狩哉は感心して、現実逃避した。
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