第8話 弓華のお弁当

 今日の午前中最後の授業は、体育だった。

 内容は最も手を抜くのが難しい(狩哉が思っている)柔道。


 相手を全力で投げ飛ばすわけにもいかず、負けすぎるわけにもいかない。

 ヘブライの祖ヤコブ相手に格闘し苦戦したという暗黒の天使は、相手を持ち上げるのが上手かったのだろう。名前も名乗らなかったらしいし。


 心身共に疲弊したまま着替え、自分の机でうすらぼんやりとしていた狩哉は、重い腰を上げて視聴覚準備室に向かわねばならなかった。


 一つ目の理由は、弓華が狩哉に手作り弁当を作ってきていたこと。


 先日の世音の監視の後、ファストフードで空腹を紛らわせていたら


「毎日お昼がパンだと栄養が偏るから、今度は僕が作るよ!」


 と弓華が張り切ってしまったのだ。


(何が悲しくて男の作った弁当を食べなきゃならんのだ……ちょっとぐらい食べなくても、死にはしないし)


 別にアレゴリーだから霞を食って生きているとか、人間のソウルを力の源にしているとかではない。

 乙女の生け贄を捧げられると復活できるとか、パワーアップとかでもない。


 むしろ今の狩哉は、生き血を捧げられようものなら見ただけでリバースする。レアステーキもアウトでウェルダンしか食べられない。


 食べなくても平気なのは、単に狩哉の人間としての体が、丈夫というだけの話だ。


 弓華の好意は面倒だったが、本来の姿だった時代も含めて弓華の料理など味わったことなど一度も無いので、少し興味はある。


 問題はそれを聞いていた世音が、


「だったらアンタ達、昼休みに視聴覚準備室きて一緒に食べなさいよ。監視ついでだから」


 と、提言してしまったことだ。


 これが理由の二つ目である。


 そのおかげで今日は小坪と無無美も一緒に、視聴覚準備室で昼食を摂ることになってしまった。

 無無美はともかく、小坪のショックは計り知れぬものがある。


 人目を憚らず食に没頭出来る時間を奪われた小坪は、あの日十五分間瞬きもせずに、死んだ巨魚(リヴァイアサン)のような目で弓華を睨んでいた。


 そんなわけで狩哉が視聴覚準備室に着いたときには、すでに世音以下全員が長机を並べていた。


「いらっしゃい、狩哉」


 奥の席で世音が、格調高く微笑む。

 こんな美少女だらけの面子に迎え入れられて一緒にランチなんて、普通の男子ならリア充もいい所だ。

 異世界にでも行かなければ実現しそうもない。

 いや異世界から来たんだけど。

 天国ってところからだけど。


(まともな奴が一人でもいればな……って、俺も含めてだけど)


 席に着くと、弓華以外は祈りもせずとっくに食べ始めている。


 たかが数分を待つことすら出来ない、この千年来の仲間達。

 愛しくて血の涙が出る。憶えの無い聖痕まで浮き出そうだった。


 世音はウインナーやミニトマトやミートボールなどがバランス良く詰められた、彩りの良い弁当を食べている。

 母親が作ったのだろう。

 女の子らしい小さな弁当箱が、世音の可憐な見た目に似合う。


「……旨そうだな、世音」


「ん? まあね、普通だよ」


 世音は興味無さそうに答える。

 誉めてもこの反応だから困る。会話が続かない。


 一方小坪はいつも通り、大量の菓子パンを貪っている。

 今食べているのは生クリームいっぱいのバナナボート。机の上には食べ散らかした菓子パンのビニール袋が山を作っていた。

 狩哉より先にこちらにいたということは、購買のパン争奪戦争には参加していないようだ。

 貯蓄でこれだけあるのなら購買の分は生徒に譲ればいいと思うが、それも『飢餓』を司る騎士の本能だろうか。

 眺めていたら、小坪が睨み返してきた。


「あげませんよ?」


「いるか。見ているだけで胸焼けだ」


 本当は腹が減っていたが、プライドに邪魔をされてしまった。


 そして無無美は――


 こんがり焼きたての北京ダックの皮をナイフで削ぎながら、これまた焼き立てのガーリックトーストを食べていた。

 香ばしい湯気が立ち昇っている。


(どこからダックを持ってきたんだ……? つーかなんで焼きたてなんだ)


 疑問は尽きないが、匂いを嗅いでいたら盛大に腹が鳴った。

 教室中に響いてしまった。


 それを聞いた世音が、


「ふっ……」


 と邪悪に嘲笑する。


 気恥ずかしいだけのはずが、どうして嘲笑までされるのか。

 謂われの無い罪を責められている気分だ。


 迫害だ。


 そんな狩哉の様子を見て弓華がクスクス笑いながら、


「お腹ぺこぺこみたいだね、狩哉。はいっ、これ!」


 弁当を包んだナプキンを狩哉の前に置いた。 


「お、おう。ありがとうな弓華」


 一応礼を言って、狩哉はナプキンを解く。

 二段重ねの弁当箱は無骨なアルミ製でやけに大きい。

 いかにも男子向けという感じだ。


「お前この弁当箱、わざわざ買ったの?」


「違うよ、お父さんが会社に行くときに使ってるやつ借りたの」


「そうか……お父さんの今日の昼飯は?」


「バーゲンで買ったカップ麺と栄養ドリンク入れといた。大丈夫、あっちは一・五倍の特大サイズだから。古の巨人(ネフィリム)もお腹いっぱい、方舟に乗らなくても気合いで大洪水を乗り切れるよ」


「…………ノアも同情して乗せたくなるな」


 こんなに罪悪感を伴う手作り弁当があるだろうか。


 恐る恐る狩哉は蓋を開けてみる。


 一段目はご飯だった。


 純白の白米が隙間無くいっぱいに詰まっている。

 ふりかけなどは特にかかっていない。


「ほんのり塩がかかってるからね!」


「ごま塩じゃなくて、普通の塩か?」


「天然塩だよ、石垣島で摂れたやつなんだって。それと実は――塩でハート作っちゃった! 恥ずかしい!」


「白米に塩でハートマークじゃ見ても分かんねーよ」


「感覚の目で見て! 文字通りハートで感じて!」


 そんな能力は四騎士には無かった。

 愛にまつわる特性など無用なのである、と恐らく主が思ったのだろう。


「ま、まあ食えればいいや……」


 味さえあれば問題無い、と狩哉は弁当箱の二段目を開ける。


「えっ」 


「えっ」


 思わず出た声に弓華も反応する。


「何この弁当怖い」


 中身はおかずだったが、少しばかり予想に反していた。


 焼いた白身魚、ただし身のみで皮は剥がれている。

 

 輪切りのゆで卵、ただし白身のみ。


 蒸されたシュウマイ。マカロニサラダ。


 何故か刺身のツマも入っている。


「白! 何これ白っ!」


 おかずもご飯も、何もかもが白を基調にしていた。

 別に派手じゃなくてもいいが、彩りもへったくれも無い。


「だ、駄目かな? 一所懸命作ったんだけど……シュウマイにもちゃんと味付いてるんだよ、塩で」


「また塩かよ! わざわざゆで卵の黄身取り除くこと無いだろ、減量中のボクサーじゃないんだからよ!」


「だって僕、第一の『白』の騎士だし……僕らしい弁当っていったら、これかなと思って」


「今まで『白』って感じの伏線殆ど無かったのに、こんな所で『白』司っちゃうのか……」


「下着も白いよ?」


「それは言わなくていいです」


 涙目で指をいじりだす弓華を見ていると、悪者になった気がしてきた。


「僕の弁当も狩哉とお揃いなのに、食べてくれないんだめそめそ」


「口でめそめそって言うなわざとらしい」


「ちょっと男子ー、謝りなよー」


 真剣っぽく怒気を含ませてくる世音。


「どっちも男子じゃ! 食うよちゃんと!」


 タチの悪い虐めに合っているような気分だったが、狩哉は。


「いただきまーすりゃぁぁぁぁああ!」


 必要の無い裂帛の気合いを込めて箸をつけた。


「召し上がれ」


 弓華の期待の視線を感じながら、焼き魚やシュウマイを口に入れる。


「……うん、旨い」


 味には何の問題も無い。

 彩りさえ。


 彩りさえあれば完璧だ。

 弁当の彩りに拘りなんて無かったのに。

 性癖を壊された。


「良かった! 今度また作るからね」


「あ、ああ。楽しみにしてる……」


 ただし、ふりかけとしょうゆは持参する必要がある。


「じゃ、僕もいただきまーす」


 弓華も、自分の弁当箱を開けて食べ始めた。

 しっかり白い。

 むぐむぐいいながら白米を口に詰め込んでいる。


(周りが食べてる中、待っててくれたんだろうしな……彩りぐらい勘弁してやるか)


 狩哉は食事を続けながら、弓華の横顔を見て苦笑した。


 この弓華が、四騎士の先陣を切って地上に殺戮をもたらす『勝利』の化身である。


 本人も狩哉も忘れかけていた。そのとき。




「んーで。アンタ達の正体がバレたんだって?」


 世音がデザートのチェリーを舌の上でレロレロと転がしながら訊いてきた。


 険のある言い方に狩哉達は怯える。

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