第6話 金髪の後輩

 ようやく休日ボケの抜けた火曜の放課後。


 二年前に設営されたショッピングモールの影響で、すっかり寂れてしまった近所の眞石(マゴグ)商店街に、狩哉はお使いに来ていた。


 シャッターの下りた店舗が増えていく中、狩哉の家族は馴染みの店が多いこの商店街を今も贔屓している。


 狩哉の両親は至って普通の人間であり、家庭にも特に問題は無い。

 家族は狩哉が四騎士の一人ということも知らない。

 受胎告知もされずにダイレクト受肉出産だったそうだ。


 まあ、


「貴方の子供は将来世界を終わらせます」


 などと告知されて


「はい生みます!」


 と喜んで産む親はいないだろう。


 むしろそんな親はこっちが嫌だ。


 狩哉も『第二の赤の騎士』としての記憶が目覚めるまでは、自分をただの人間だと思っていたので、騎士の使命と記憶が一気に戻ってきたときは混乱したものだった。


 しかもよりによって唐辛子入りの超絶辛いタイ式レッドカレーの刺激で覚醒した。

 

 正直切ない。赤ければいいのかと自分でも思う。


 ちなみにだが、他の四騎士メンバーも狩哉同様、一般家庭の中で人間として生活している。


 その内、小坪の両親は商店街にある肉屋を営んでいた。

 肉屋の娘が『飢餓』を司る存在というのは、皮肉が過ぎる気がするが。


(お総菜のコロッケが絶品なんだよな)


 ということで、狩哉は深く考えないことにしていた。

 実にサクサクな衣が、学校帰りの減りかけた腹には絶品なのである。


 実は小坪も店の手伝いをしていてコロッケは小坪の得意料理だったりするのだが、このときの狩哉はまだ知らなかった。


(さて、今日のおかずは手作りきりたんぽ鍋っと……)


 お買い物メモ片手にエコバッグを下げて、狩哉は商店街を進軍する。

 母親が秋田生まれなので、きりたんぽ鍋は朱見家の定番料理だ。


 米は母の実家から送られてきたあきたこまちがあるし、鶏肉も家にあるので、買うのはゴボウやマイタケその他、野菜類。


 殆ど八百屋で揃うだろう。

 セリがあれば良いが。


「やあ狩哉くん、お使いかい?」


 ラーメン屋『七会軒』の店長が、また走り込みながら声をかけてきた。

 大きな買い物袋を下げている所を見ると、材料の調達か。


 早足で息が荒い。

 何故か商店街の外から来たので、市場かどこかで買いだしをしてきたのだろう。


「はい、まあ……」


(別の意味でも天の『御使い』です)


 とは口が裂けても言ってはいけない。

 そもそも御使いなど一切出来ていないし。


「そうかそうか、高校生にもなって感心だねえ。またうちの店に食べに来てくれよ」


 愛想笑いを返し、狩哉は店長を見送った。


 あそこのラーメンはあっさり和風ダシで狩哉も大好きなのだが、実は世音も常連客だったと最近知ったのだ。

 鉢合わせするのが怖くて、とても食べに行けなくなった。


(女子高生が一人でラーメン食うなよなあ……)


 まったく。

 若者というか人間の常識が通用しない奴である。

 多様性重視とはいえ、世間はまだまだ空気を読めない相手に冷たい。


 頼まれた食材を買い終えて、自宅のマンションに帰ろうと狩哉は商店街を出る。

 沈みかけた陽が、鮮血のように空を朱に染めている。


(ち、血……!?)


 自分の連想に青ざめる狩哉。さすがに間抜けだと自分でも気づいた。


 思い浮かんだイメージを振り払って歩こうとすると――

 足に生温かい感触があった。


 焦っていた狩哉は、


「何者だッ!」


 とドスの利いた声を出して見下ろす。


 その浅ましくもいと小さき存在は狩哉を見上げ、雷鳴にも似た音を喉から響かせる。


「みーみーみー」


 ただの野良猫だった。


 特徴の無い薄茶色と白の斑な毛並みからして、雑種だろう。


「……びっくりさせやがって」


 冷や汗を拭いながら、狩哉は野良猫の頭に手を延ばした。

 ゴロゴロと音を立てながら気持ちよさそうに目を細めている。


「人なつこいな、お前。野良にしては太ってるし、この辺の人に可愛がられてんのか?」


「みー」


「そうかそうか、良かったな。ご主人様になってやりたいんだけどなー、うちはマンションだからなあ」


「みーみー!」 


 念のためだが、狩哉に動物と会話する能力は無い。

 世界に終末をもたらす特別のアレゴリーと言えど、狩哉は猫にまで敵対するわけではない。

 ただ、素直な生き物には好感が持てた。身近な人間が素直じゃなさすぎる。


「食い物は――野菜しかねーなあ。何か買ってきてやろうか?」


 狩哉が肉屋に寄っていこうか悩んでいると。


「ここで何をしてるんですか、先輩」


 背後から声がした。


 振り返っても姿が見えない――

 と思ったら狩哉の視界の下方に、一人の少女が立っていた。


 狩哉は怪訝に思いながら見下ろす。


「ん……? 誰だっけ?」


 少女の背丈は、四騎士の中で一番背が低い小坪より頭一つ小さい。

 小学生かと見間違えそうになったが、狩哉と同じ学校の制服を着ていた。


 目立つことに煌めく金髪の髪をヘアピンで留めていて、丸っこいおでこが出ている。

 丸々とした瞳は鳶色だ。ハーフだろうか。


 シュールというか不気味な印象を抱かせるのが、少女の右手に握りしめられた大きな石。


 ――夕闇の下ではなんとも物騒な気配がする。


「喋ったことは無いですが、先輩は私のことをよーく知っているはずです」


 鼻にかかるような少女の甲高い声には、微かな苛立ちが含まれていた。


「え、いや。初対面だと思うけど……」


「そんなことはありません! 先輩が私の体を忘れるはずが無いんです!」


 少女は声を荒げて言い放つ。


「…………………………はあ?」

 

 ぽかーん。

 目の前で海が割れたときのモーゼご一行ぐらいぽかーん。


 買い物帰りや通勤帰りの会社員達の視線が、狩哉の背中に突き刺さる。


 凄く痛い。


「あらまあ、若いわねえ」


「あんな可愛い子を捨てるなんて……」


「もげろ」


 ストレートすぎる罵倒がヒソヒソ話に混じって聞こえた。


「あ、あのなあ! 唐突に話しかけてきたと思ったら、何のつもりだお前? 見た感じ後輩っぽいけど、お前となんて話したこともねーぞ!」


「記憶は魂に刻まれているはずでしょう――先輩は黙示録のアレゴリー、『四騎士』の一人なんですから」


「…………!」


 狩哉は慌てて、少女の口を手で塞ぐ。


 周囲の視線を気にする余裕も無かった。


「な、何でそれを知ってる!? 何者だッ!」


 先程野良猫に使ってしまった台詞を囁く。


「私の名前は真田茜です。けれど私の名前なんてどうでもいいでしょう? 先輩には天から与えられた使命があるはずです」


 狩哉の指の隙間の間で、少女――

 茜の、薄い唇が蠢く。


「こんなに人がいる場所で、それを言うな……!」


 掌のこそばゆさを我慢して、狩哉は訴えかける。


「……情けないです、先輩。黙示録のアレゴリーがこんな人間に馴染んだ生活をして、人間の目を気にするなんて」


「いや、それは確かにそうなんだけど、これには事情ってもんがあってだな……じゃなくて! 言うなってそれを」


「先輩達が何もしないから、私のような後輩が苦労するんです!」


 茜は怒気を強めると同時に、両手で力一杯、狩哉の腹を押してきた。


「ぐえ」


 思いもよらない衝撃に、狩哉はうっかり手を離してしまう。


 その隙に茜は狩哉から距離を取って、


「きちんと認めて、責任を取って下さいね先輩!」


 叫びながら、走り去っていった。


「お、おい、待てよ!」


 少しだけ本気を出して追いかけようとするが、ただでさえ人目を引いているのに人知を越えたスピードで追いかけてしまったら、百キロババア的な都市伝説になりかねない。


 元から伝説の存在だけども。


 無駄に慣れてしまった脳内セルフツッコミを心中で披露する。


 やるせない。


 事態を見守っていた中年会社員の一人が狩哉に近づいてきて、肩に手を置いた。


「認知するのかい、兄ちゃん……?」


 真顔で言われる。


(この男も俺の正体を知っているのか!?)


 一瞬混乱した。

 目立つどころか、誤解が行き着く所まで行っている。


 これ以上ここに留まってしまったら、二度と買い物に来ることは出来ない。


 狩哉は気まずさを誤魔化しながら、野菜を抱えて走り出した。

 商店街の方から


「魚屋の窓が割られてるぞー!」


 という声が聞こえたが、とにかく早く帰りたかったので無視する。


 騒ぎの中で、あの野良猫もいつの間にか姿を消していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る