第8話

「それで、結局この現象をどう説明するわケ?」

 一行は階段に近い教室へと場所を移していた。ここであれば、階下で異変があった場合にすぐ対応できる。

「分からんな。ショウと与一君とトッコちゃんが、なぜ中学生の姿でここにいるんや」

 廊下でNAW本部と通信していたクニ子が、教室内に戻ってきて尋ねた。

「屋上で天体観測をしていたら、いつの間にか屋上の鍵が閉められていたそうヨ。そして日が昇ったら感染が発生していタ」

「それもまたおかしいな。その話やと、一夜明けたら感染が広がっていたってことやろ?」

 クニ子が疑問を呈する。それに対し、与一もうなずいた。

「俺も同じ認識だ。目を覚ますと、テレビで感染症のことが取りざたされていた。ここ数日ほとんど外出していなかったから、明確にいつ発生したとは言えないが」

「やから、それっておかしいやん」

「何がおかしいのヨ」

「私たちは、少なくとも二年前からこの感染症と戦ってるんやで」

 与一が「いよいよ食い違っているな」と頭を抱えた。

 中学生の登紀子が口を開いた。

「もう一度、原因を教えてくれますか?」

「やから、研究所の爆発やよ。怪しい研究ばっかりしとる研究所で、軍事利用を目的とした兵器の開発、タイムマシンの製造、異次元への介入――」

 そこまで言ってクニ子は口を閉じた。目が大きく見開かれている。

「まさか――」

 中学生の登紀子もうなずいた。

「タイムマシン、異次元、どちらも今の現象を説明できます」

「私たちにとっては、急速に感染が拡大したのではなく、感染が広まった世界に放り込まれたということネ」

 与一が「すまん、もう一度説明してくれ」と手を挙げる。理解に相当な労力を要しているのか、額に汗がにじんでいる。

 説明を中学生の登紀子が請け負った。

「この世界では研究所の爆発により、この感染が広まった。でも、それだけじゃなかった。研究所は時間の操作や異次元の研究も行っていたから。結局、いくつかの世界線――いわゆるパラレルワールド――が、時間もごちゃごちゃになった状態で重なったんじゃないかってこと」

「でもそれやと問題があるやろ。研究所の爆発は二年も前の出来事や。なんで今さら次元が混ざらなあかんねん」

 クニ子の疑問ももっともだった。中学生の登紀子も「さすがにそこまでは」と首を振る。

 次に口を開いたのはショウだった。その横には片時も離れずクニ夫が寄り添っている。

「僕、その爆発のニュースを見ました。でもそれは一昨日の夕方やったと思います」

 おろおろと窓の外を見ていた中学生の与一も、その言葉に振り向いた。

「あ、それ僕も見ました。有害物質が出てたら怖いなぁって、ママが言ってたから……」

 飛び出した「ママ」の言葉に、大人の与一が頭を抱える。小さな声で、「そういえば中学時代はまだ『ママ』呼びだったなぁ」とつぶやく。

「それなら説明がつくんじゃないかしラ? この世界では二年前に爆発が起こったけど、他の世界線では最近のことだっタ。つまりなんて言うノ? 複数の世界線で『準備が整った』ってことじゃなイ?」

「そう考えるのが妥当やろな。証明する方法もないわけやし」

 まだまだ気になることは山のようにあるのだろうが、クニ子は切り替える気になったようだった。しかし与一は頭をまだひねっている。

「いや、他に説明しようがないのは分かるんだ。ただ、俺は自分の拳を一番に信じてきた。だから、今の理屈はどうにも突飛すぎて付いていけそうにない」

 トッコは含み笑いをこぼした。

「証拠になるかどうか分からないけド、一個思い当たることがあるワ」

「なんだ?」

「さっき、クニ夫さんが飲み物をおごってくれたでショ? ペットボトル八本で八百円ネ」

 与一は話が見えず、眉間にしわを寄せた。

「確かにそうだったが、何が言いたい?」

「クニ夫さんは硬貨を四枚入れたワ。でも、それっておかしくなイ?」

 トッコはクイズを出すかのように指を一本立てて見せる。与一はしばし考え、「ああ」と声をこぼした。

「硬貨の枚数か」

「そう。百円玉なら八枚必要ネ。あるいは、八百円玉一枚で済むはズ」

 今度はクニ子らが首をひねる番だった。

「八百円玉? そんなもんあるわけ――ああ、あんたらの世界ではあるんかいな」

「そうヨ。私たちの世界では、百円玉の次に大きい硬貨は八百円玉ネ」

 クニ子は胸元から取り出した小銭入れをごそごそとやり、五百円玉を取り出した。

「ほんなら、これを見たことないんか?」

 与一はまじまじとそれを見つめる。

「驚いた――本当に五百円玉が?」

 彼らのやりとりを見ていた中学生の登紀子が「面白いですね」とつぶやいた。中学生三人組は、それぞれにポケットの中の財布を探る。一様に取り出したのは、くたびれた紙幣だった。

「うちらの世界では、五百円玉も八百円玉もなくて、五百円札」

 彼女の言葉に、男子二人――ショウと中学生の与一――も大きくうなずいた。

「五百円札って、大昔のことやないか。しかもなんや、印刷されとるのは前総理かい」

 クニ子が力なくツッコミを入れる。

 ここまでのやりとりで、全員が「時空を超えた並行世界重なり仮説」をひとまず信じる気になったようだった。

 クニ子が腹を決めたように手を打ち鳴らした。

「よっしゃ、よく分からんけど、よく分かったわ。それで、今後のことや。二、三十分もすれば、NAWがヘリをよこしてくれることになっとる。この第二棟の屋上や。この後、みんなで移動してヘリを待つで――」

 ――ズズゥン……

 建物全体が震動した。前後左右に身体が揺さぶられる。

 クニ夫はショウの肩を抱いた。

 クニ子はその二人に駆け寄った。

 与一は中学生の与一に覆いかぶさった。

 トッコは中学生のトッコを抱きしめた。

 震動は止まらなかった。やがて地面の平衡が失われ、傾いていくのを与一は感じた。

「なんてこった」

 与一のつぶやきは地響きと瓦礫の砕ける音でかき消される。

「この世界ではまだ校舎の倒壊が起こってなかったのか――」

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