第2話 恵まれた縁

 その時、少し離れたところから「女将おかみさーん、茉莉奈まりなちゃーん」とふたりを呼ぶ元気な声がした。見ると寺島てらしまさんが手を振っている。右肩にクーラーバッグ、左肩に大きなトートバッグを担いでいた。


 その横では高牧たかまきさんと雪子ゆきこさんも大きく手を振っていた。


「あ、来はったわ。私荷物運び手伝って来る」


「うん」


 茉莉奈は立ち上がって黒いスニーカーを履き、寺島さん方に駆け寄る。今日の茉莉奈は水色のカットソーに、座りやすい様にバギータイプのジーンズを履いていた。コートは冬用だが明るいベージュだ。


「高牧さん雪子さん、寺島さん、こんにちは。寺島さん、持ちますよ」


「ええで。重いからな」


「だったらなおさらですよ」


「いやいや、大丈夫やから」


 そんな押し問答をしていると、高牧さんと雪子さんは「おやおや」「あらあら」と微笑ましげにふたりを見た。


「仲ええねぇ」


「ほんまやのう」


「そりゃあ俺と茉莉奈ちゃんの仲ですからね〜」


「何言うてはるの」


 相変わらず軽い寺島さんのせりふに、茉莉奈は呆れてぴしゃりと言い放つ。


 結局寺島さんは荷物を譲ってくれないまま、香澄かすみのもとに辿り着いてしまった。


「香澄ちゃん、茉莉奈ちゃん、今日はお招きありがとうねぇ」


「女将たちの料理で花見ができるなんて、感無量かんむりょうやわ。ほんまにありがとうのう」


「俺も役得ですわ。ほんまにありがとうございます」


「いいえぇ。こちらこそお礼が遅くなってしもうてごめんなさいねぇ。さぁさ、上がってくださいな」


 今日は、茉莉奈を尾形おがたさんから助けてくださったことのお礼を兼ねてのお花見なのだった。お弁当を作り、飲み物も用意するからとお誘いしたのだ。


 すると寺島さんが飲み物を買って来てくださると申し出てくださったので、恐縮しつつも甘えることにした。香澄は寺島さんにお金をお渡しし、その予算内で工面くめんしてくださる様にお願いしたのだ。


 高牧さんたちは広く取ったシートに上がり、寺島さんはさっそくクーラーバッグを開ける。


「缶ビールいろいろ買うて来ましたよ。茉莉奈ちゃん用に氷結ひょうけつのレモンもあるからな」


「ありがとうございます」


 ビールも飲める茉莉奈だが、まだそう量は飲めない。なので缶酎ハイの氷結をお願いしたのだ。


 茉莉奈はいくつかの缶酎ハイを試してみたのだが、ストロング系だとアルコールが強く、ほろよいだと物足りない。結局定番で確実なものに着地してしまうのだった。


「高牧さんには秋鹿あきしか、雪子さんには黒霧島くろきりしまっと」


 「秋鹿 火入れ純米吟醸」は、大阪府の秋鹿酒造でかもされた日本酒である。秋鹿を冠する数ある日本酒の中でも定番と言える一品だ。穏やかな香りとふくよかな旨味、酸味もほのかに感じさせる。旨味と酸味の調和は燗上がりもするのだが、冷やでも発揮され、こうして外でいただくのにぴったりと言える。今回は4号瓶で用意していただいた。


 「黒霧島」は先述の赤霧島あかきりしま同様、鹿児島県の霧島酒造が造る芋焼酎だ。黒麹で仕込まれたこの焼酎はとろりとした甘みがありながらも、後味はすっきりしている。食事にも合わせやすい万能の芋焼酎とも言えるのだ。今回は小サイズの紙パックでのご用意だ。


 お湯割りがお好みの雪子さんのために、寺島さんは保温ポットにお湯も用意してくださった。本当にありがたい。


 寺島さんは今日も朝早くから農作業に出ておられた。なのに来てくれて、ここまでしてくださったのだ。頭が下がるとはこのこと。


「寺島さん、ほんまにありがとうございます」


 茉莉奈が一緒に飲み物を用意しながら言うと、寺島さんは少し照れた様に「へへ」と笑った。その珍しい反応に茉莉奈は「おや?」と思ったが、そういうこともあるのだろうと気にせず準備を進めた。


 高牧さんには透明の使い捨てコップに秋鹿を注ぎ、雪子さんには紙コップに黒霧島のお湯割りを作る。茉莉奈はよなよなエールを選び、香澄はヱビスビール、寺島さんは一番搾りと、見事に飲み物がばらけた。


「ほら茉莉奈ちゃん、音頭どうぞ」


 寺島さんに言われ、茉莉奈はよなよなエールの缶を握り締めながら「は、はい」といささか緊張してしまう。


「あの、遅くなってしまいましたけど、あの時はほんまにありがとうございました。今日は楽しんでってください。ほな、乾杯!」


 思い切って言って缶を掲げると、皆さん「かんぱーい!」と威勢良く合わせてくれた。


 ちびりと口を付ける高牧さんと雪子さん、ぐいっと缶を傾ける香澄と寺島さん。茉莉奈はふたりの様に勢いよく行けなくて、くいっとよなよなエールを口に含んだ。


 華やかでフルーティな香りにホップのまろやかさ。喉に刺さる炭酸が心地よく、茉莉奈は続けてこくりと飲み下し、「ほぅ」と息を吐いた。


「さぁさ、みなさんたくさん食べてくださいね〜」


 香澄がお重の風呂敷ふろしきを解いてふたを開ける。お重はおせちにも使う3段で、それぞれにぎっしりと料理を詰め込んだ。


 1段目にはうるいのごま和え、菜の花の辛子和え、はまぐりの佃煮つくだに、長芋ステーキ、かしそら豆、ちんげん菜の塩炒め、たけのこの土佐煮、新ごぼうの酢漬け、春きゃべつのザワークラフト。前菜にもなる様なものを詰めた。


 2段目にはたらの芽の天ぷら、新じゃがいもの煮っころがし、鶏の照り焼き、煮豚を入れた。メインになる様なものだ。


 3段目はご飯物。うすいえんどうご飯のおにぎりと、ふきのとう味噌を包んだおにぎりをご用意した。


 上から下まで春を敷き詰めたお重だ。高牧さん方はそれらを見て「おおっ」と感嘆の声を上げる。


「こりゃあ凄いのう。美味しそうじゃ」


「ほんまに。こんだけ春の味覚、用意するん大変やったんや無い?」


 午前中から茉莉奈と香澄並んでせっせと用意した。筍は前日から茹でていた。茉莉奈はともかく香澄は慣れていて、お陰でそう大変では無かった。香澄がメインとなり、茉莉奈がサポートして整えたのである。


「ほんまに凄い。さすがやわ」


 寺島さんも重箱を前に目を輝かせている。茉莉奈は皆さんに紙皿と割り箸を配った。


「じゃんじゃん食べてくださいね。ママの春料理、絶対に美味しいですから!」


「茉莉奈、ハードル上げんといてよ〜」


 香澄は慌てるが、香澄のお弁当が美味しく無いわけが無い。自信を持って言える。


 そうしてうたげが始まった。皆で春料理に感動し、お酒を楽しむ。


 本当に「はなむら」は恵まれていると、茉莉奈はしみじみ思う。店員とお客さまとしての線引きを超えてはいけない。だがそれ以上の繋がりがあるのだと感じさせる。


 あのチャットアプリのグループには確かに驚かされたが、皆さんそれだけ茉莉奈を気遣ってくださっているのだ。香澄を、「はなむら」を大事にしてくださっているということだ。


 それは香澄が長年掛けて築いて来たものだ。茉莉奈もそれを引き継いで行きたいと思っている。


「香澄ちゃん、茉莉奈ちゃん、お弁当ほんまに美味しいわぁ」


「ほんまにのう。ここ最近で最高の花見じゃのう」


「ほんまですね。桜は綺麗やし、外で飲むビールは旨いし、料理は最高やしで、たまりませんわ」


 こんなことを満面の笑顔で言ってくださるご常連を、これからもおもてなしして、憩っていただきたいと心の底から思うのだ。

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小料理屋はなむらの愛しき日々 山いい奈 @e---na

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