第2話 沸き上がる嫌悪感
次、
小上がりを見て、空いていることを確認しつつも、「いらっしゃいませ」と出迎えた
「小上がり空いてる?」
「はい、空いていますよ。どうぞ」
「ありがとう」
尾形さんは笑顔のまま真っ直ぐに小上がりに進む。真っ先に手前の左側、いつもの席に着いた。お友だちの3人も上がった順に奥から掛けて行く。
茉莉奈はおしぼりを人数分、小上がりにお持ちする。この時期は温かいおしぼりだ。枚数もおひとり1枚である。
「注文ええかな」
「はい。どうぞ」
「俺、生ビール」
尾形さんが言うと、お友だちも全員「俺も」「俺も」「僕も」と生ビールを頼まれた。
「食いもんは後で」
「はい。まずは生ビールお持ちしますね」
茉莉奈は飲み物カウンタで素早く生ビールを作ると、両手にジョッキを2客ずつ器用に持って、小上がりへ。
「お待たせしました。生ビールです」
茉莉奈がジョッキをテーブルに置こうとすると、尾形さんが手を伸ばして来た。茉莉奈は一瞬びくりとなって動きを止める。
頭が目まぐるしく動く。このまま尾形さんにジョッキを手渡しすれば、また手が触れるのでは無いだろうか。できたらそれは避けたい。どうしたら。
しかしそんな悠長なことをしている隙は無かった。尾形さんの手がジョッキに触れた。
そして、茉莉奈の手にも。
一瞬にして茉莉奈の身体がぞわりと総毛立った。そのまま固まってしまった茉莉奈の手からジョッキを取り、尾形さんはお友だちそれぞれの前に「はいよ」と置いた。
全身の血液がすぅっと足元に落ちた気がした。茉莉奈はジョッキの取っ手を持っていた。受け取るのなら本体を持つだろうから、手に触れなくても取れるはずだ。こう何度もあってしまえば、やはり偶然では無いのだろうか。
「茉莉奈ちゃん?」
尾形さんに言われて茉莉奈ははっと我に返った。すると手に何やら感触があったので見下ろしてみると、尾形さんの指先が触れていた。茉莉奈はぞわりと気味の悪さを感じ、とっさに振り払った。
「……あ」
嫌だろうがなんだろうが、お客さまに失礼をしてしまった。茉莉奈は慌てて頭を深く下げた。
「も、申し訳ありません!」
すると尾形さんは気にした風も無く、「大丈夫やで」と、今度は茉莉奈の二の腕をとんとんと軽く叩いた。
「本当に、申し訳ありません」
茉莉奈はもう一度頭を下げると、そそくさとその場を離れた。そのまま
「茉莉奈、なんや聞こえたけど、どないしたん」
「……ママ、ごめん。お客さまに、尾形さんに失礼なことをしてしもうた」
蚊の泣く様な声しか出なかった。情けなさに自分が嫌になる。
茉莉奈が嫌悪感を感じても、相手は「はなむら」のお客さまなのだ。茉莉奈の都合で嫌な思いをさせてはならない。下手をしたら「はなむら」の評判を下げることになってしまう。大事な大事な香澄の「はなむら」。そんなことだけはあってはならない。
「尾形さんは何て?」
「大丈夫やって言ってくれはったけど……」
「あんたは謝ったん?」
「うん」
「せやったら大丈夫や。あんまり気に
「ほんまにごめん」
「気にせんでええから。少し休んだら仕事に戻れる?」
「……うん」
切り替えなくては。まだ「はなむら」は開店したばかりだ。それに今日は週末の金曜日。これからますます忙しくなる。
気にしなかったら良い。尾形さんがわざと触れて来ようが、ただの偶然であろうが、どんと構えていれば良いのだ。こんなことで心を揺らしている場合では無い。
茉莉奈は気合いを入れる様に、
「茉莉奈ちゃん、大丈夫かの?」
高牧さんが
「はい。大丈夫です。お騒がせしてしもうてごめんなさい」
唯一の幸いは、お客さまの少ない、それもご常連ばかりの時間帯だったことだろうか。
「それやったらええけど、困ったこととかあったら正直に言うんやで。わしらで良かったら聞くからのう」
「そうやで、茉莉奈ちゃん。いらん我慢とかしたらあかんよ」
そう優しく言っていただき、茉莉奈はじんと目頭と熱くする。ああ、自分はなんて素敵な人たちに、ご常連に恵まれているのだろうか。
さっきまではかすかに恐怖すら感じていたと言うのに、もう心が暖かいものに包まれている。じわりと全身に血液が戻って来た様な感覚を覚えた。冷えていた指先にも温度が戻って来る。
「高牧さん、雪子さん、ほんまにありがとうございます」
茉莉奈は今度こそ自然な笑みを浮かべることができた。おふたりの穏やかな笑顔は、茉莉奈を心の底から安心させてくれた。
「うんうん。ほなさっそくで悪いねんけど、
「私は
「はい。お待ちください」
「菊水の四段仕込」は、新潟県の菊水酒造が
甘口とは言うがさらっといただくことができ、その風味は柔らかだ。だがキレの良さも感じさせる日本酒である。
ちなみに「はなむら」では「菊水の辛口」のご用意もある。その名の通り辛口の、菊水を代表する一品でもある。
そして「白玉の露」は、鹿児島県の白玉醸造が醸す芋焼酎である。あのプレミア芋焼酎「
さつまいもコガネセンガンと白
茉莉奈は飲み物カウンタでいそいそと飲み物を作り、「お待たせしました〜」と笑顔でお運びした。
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